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コロナに感染ける

我ながら、巧い釣針を工作した心算に悦んでいるが、
竿を振ったその先が、大海であるか、小さな湖畔であるか、は我が靄の為に彼岸を確認できそうもない。

其は其として、昔から家の娘を守った邑々も、段々えたいの知れぬ村の風に感染(かま)けて、忍び夫(づま)の手に任せ傍題にしようとしている。            

これは、折口信夫氏による『死者の書』からの引用である。
通常、「感ける」と書いて「かまける」と読むのが正式なところだが、
ある種、一つの事柄に係うことを、それに感受性の染まった状態だと捉えれば、
よく考えられた文学的表現だと感じられる。

今の世を表せば、
人々にコロナが感染し、
また、
人々がコロナに感染けている。

今の僕を表せば、
仕様も無い言葉遊びに脳の機能を消耗を配するほど、惰性に感染けている。
(仕様も無い消耗配す。しょうもないしょうもうはいす。。。ハイ。。)

コロナ禍において、引きこもり続ける間に自堕落な生活がすっかり身に染みてしまった。
ここ三ヶ月で、四回しかろくな外出していないので、引きこもりよりも引きこもっているかも知れない。
(コロナの所為にしている時点で、それ以前から僕は怠惰な性向なんだろうけれど、、)

拙文お読み頂き、非常に有難い限りなのだが、
実を申すと、申し訳ないが、この記事には何ら伝えたいこともなければ、意味もない。
ただ、あまり人は意識していないようだが、
思うに、意味のない土壌にエンターテイメントは建っている。
ニヒルな可能世界では、
意味のないものが、少なからず価値を獲得するはずなのだ。
そういうことを剽然とやってみようと試みた次第で、
怠惰を切る端緒が見つかることに淡い期待を寄せていたりする。

何かしら皆様に感染(うつ)るものがあれば、幸いにございます。

以上失礼致しました。

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