見出し画像

ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第50話「招き猫」

猫の恩返しに救われた、第2代 彦根藩主

猫の恋止むとき閏の朧月(芭蕉)───更に衣を着込むほど寒いことから「衣更着(きさらぎ)」とも記される2月ですが、その寒さをよそに猫たちにとっては熱い恋の季節。

「ニャーオ、ニャーオ」と鳴き交わす「猫の恋」は、早春の季語です。ちなみに、「ニャン」が連なる2月22日は「猫の日」だとか。2年前から国内で飼育されている猫が犬の数を上回り、巷では何度目かの猫ブーム※が起きている模様です。

「猫に小判」「猫の手でも借りたい」の諺もあり、忠犬の犬に比べて猫はそっけない反面で甘えん坊な“ツンデレ”で、何を考えているかわからないという印象があるようです。その一方で、招き猫の置物などにみる招福や縁起のいい伝説や、近年は“ひこにゃん”※のような人気キャラクターとしても身近な存在です。今回は、人と猫の関係の変遷を辿りながら、今でも“猫の恩返し”が伝わる猫寺の話などをご紹介します。
 
今でこそ猫は愛玩動物、ペットとして扱われていますが、インドや中国から仏教が伝来し始めた奈良時代、大事な仏典を鼠から護る使役動物として飼われていました。遣唐使が仏典とともに船に乗せて連れてきた猫は唐猫(からねこ)※と呼ばれ、積み込んだ食料や仏典を狙う鼠たちを駆除する小さな乗組員として、長い航海の間に心を和ます相棒として日本にやってきました。
 
もちろん、すでに日本固有の和猫もいましたが、唐猫は狩猟能力に長けており、鼠駆除に役立つ猫として奈良・平城京の東大寺や西大寺などで放し飼いにされていました。東大寺の宝物を納めている正倉院の建物には「鼠返し」※という仕掛けがありますが、それ以外に強力な番犬ならぬこんな“番猫”の働きがあったことは、興味深い話です。
 
平安時代になると、公家や貴族の間ではこの貴重な唐猫に首輪を着け、綱でつないで室内で飼うことが流行しました。清少納言が書いた『枕草子』には、当時の一条天皇が可愛がり、高貴な女官に付けるような「命婦(みょうふ)の御許(おもと)」という名前を付けていたことが書かれています。

これを一変させたのは江戸時代の徳川家康。慶長7年(1602)、当時の公家の日記によると、庶民の暮らしが鼠による被害で困っていることを知り、猫の綱を解き放すようにお触れを出したということが記されています。ここで、和猫も唐猫も自由に往来を闊歩し、尻尾の形も毛色や柄も多種多様な猫が人々の生活の中に浸透していきました。

江戸の寛永時代(1624- 1643)、今の東京・世田谷あたりの寺で、「たま」と名付けた白猫を飼っていました。その日の生計もままならない貧乏寺で、和尚は自分の僅かな食事を分け与えるような暮らしぶりでした。そこで「お前が恩を感じるなら、何か果報を招いておくれ」と、たまに話しかけていたといいます。

ある日、江戸に赴任し、世田谷領も治めるようになっていた井伊直孝(いいなおたか)※は、仲間たちと鷹狩の帰りに、この貧乏寺に立ち寄ることになります。この寺の門前にうずくまっていた猫が、しきりに右手を挙げて通りかかった直孝たちを境内に招きます。

不思議に思いながらも中に入り、応対に出てきた和尚にその訳を話し、直孝一行は寺で一休みすることにしました。和尚は渋茶と茶菓子などで彼らをもてなし、静かに説法を語り始めました。すると、俄かに空模様が変わり、雷鳴がとどろいて雨が降り出します。

一説には直孝一行が佇んでいた松の木の根元に雷が落ちたともいわれ、それをたまが救うために寺で一休みするように誘ったという話もあります。

以来、直孝はこの寺に寄進をして自分の菩提寺としたことから、貧しかった寺は立派な伽藍が整いました。そして後の時代に亡くなった直孝の戒名を入れて寺の名前は「豪徳寺」※となり、白猫のたまの姿は招福猫児(まねきねこ)の人形となり、福を招く縁起のいい寺として、今日でも参詣する人々で賑わっています

【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※猫ブーム
「猫の日」は、一般社団法人ペットフード協会が昭和62年(1987)に制定した記念日。ちなみに犬の日は「ワン」が連なる1月11日。令和4年( 2022 )の飼育数は、犬は705万3000頭、猫は883万7000頭で猫が多く、ここ最近の猫人気が反映されている。ちなみに猫が犬の飼育数を超えたのは2017年あたりから。
https://petfood.or.jp/topics/img/221226.pdf

※ひこにゃん
滋賀県彦根市の地域キャラクター。豪徳寺の白猫の「たま」がモデルとも言われ、赤い兜を被った白い猫の姿で、「ゆるキャラ」ブームつくる。

※唐猫
中国から渡来した猫。舶来の猫。中国から入った確実な記録は元慶8年(884)ごろとされる。特徴は尻尾が長いなどとされるが、日本猫との明確な差別化は難しい。

※鼠返し
鼠が入り込むのを防ぐための仕掛け。校倉・板倉などの建物の、床下の柱などに設ける逆斜面の板の類をいう。

※井伊直孝[1590-1659]
江戸時代前期の大名。徳川家康の重臣として活躍した井伊直政の次男。慶長20年(1615)、病弱な兄に代わって滋賀県の彦根藩主井伊家2代となる。大坂夏の陣での大功などにより徳川氏の重鎮的な存在となり、寛永15年(1638)ごろから江戸に赴任。秀忠、家光、家綱3代に仕え、江戸に終身定住する。

※豪徳寺
東京都世田谷区豪徳寺にある曹洞宗の寺。以前は弘徳寺という臨済宗の寺だったが、井伊直孝が江戸に住んでからはその菩提寺となり、万治2年(1659)直孝の法名によって豪徳寺と改称された。直孝のほか、井伊直弼など井伊家代々の墓碑がある。また、直孝を招いた猫「たま」の話から、招福を呼ぶ招き猫人形で有名な猫の寺としても知られる。
https://gotokuji.jp/manekineko/


参考資料
『猫づくし日本史』(武光誠著 河出書房新社)
『猫の歴史と奇話』(平岩米吉著 築地書館)
『日本風俗史事典』(日本風俗史学会編 弘文堂)
『鈴の音が聞こえる- 猫の古典文学誌』(田中貴子著 淡交社)
『江戸時代人名控1000』(山本博文監修 小学館)
『図説 俳句大歳時記 春』(角川書店)
『猫の日本史』(桐野作人著 洋泉社)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?