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大洗の歴史について調べてみました。

こんにちは!大洗クエストの坂本(もこ)です。


はじめに

今回は大洗の歴史という観点でnoteを書かせていただきます。
「大洗の歴史」といっても非常に幅広いので、今回は第一回目として、私の気になったワードをいくつかピックアップし、広く浅く書いています。
様々な参考文献、インターネットでの情報を参考に、自分なりの解釈を加えました。大洗に詳しくないよ〜という方も気軽に見ていただけたら嬉しいです。
※記載内容に間違いがあった場合は、都度修正させていただきます。

その土地の歴史や風土に目を向けながら町を散策すると、今まで気がつかなかった新しい魅力に出会えると思いますよ!

1.”大洗”という地名について

”大洗”という地名を見た時、皆さんはどんな由来を想像しますか?
大きい+洗う・・・自分は何かを清めている場所(神聖な場所)なのかなと勝手に想像してしまいました。

残念ながら明確な由来はわからなかったのですが、諸説あるようです。
調べていく中で出てきた由来はこちら。
 ①”鬼洗い”または”鬼儺い(おにやらい)”からきた
  ※鬼洗い・・・大晦日の雨のこと
  ※鬼儺い・・・疫病を追い払う「追儺」と呼ばれる儀式のこと
 ②大きな波に海岸が洗われている様子からきた

また、大洗という地名自体は大洗磯前神社付近のことを指していて、その後、大貫・磯浜エリアが合併して大洗という地名になったとのことです。 

”大”きな波が礫岩を”洗”っている。
「洗う」という表現に荘厳さを感じますね。

2.磯浜古墳群について

大洗の歴史を語る上で欠かせないのが「磯浜古墳群」です。
総数6基(姫塚古墳・五本松/五本松下古墳・坊主山古墳・日下々塚古墳・車塚古墳)で形成されています。3世紀後半〜4世紀時代に作られたと推定されており、大洗の高台に位置しています。
また、令和2年には、姫塚古墳・日下々塚古墳・車塚古墳の3基が国指定史跡として登録されました。

磯浜古墳は大洗の高台にあり、大洗町が一望できるスポットです!

 磯浜古墳群で出土される埴輪は、一般的にイメージしやすい人型の埴輪(人物型埴輪)ではなく、筒や壺の形をしたもの(円筒埴輪)です。ちなみに、埴輪は古墳の装飾品として作られるものになります。なので壺といっても底がなかったりします。「日用品目的ではない」ということがこういう点からも分かります。埴輪にもいろんな種類があるので、埴輪に興味のある方はぜひ調べてみてください!

うみまち照らすin磯浜古墳群にて、磯浜古墳群で出土された埴輪の展示。

大洗町では「うみまち照らす」という光のアートイベントを行っており、大洗磯前神社や西福寺、そして磯浜古墳群でも開催されています。
今年の1月に実施されたうみまち照らすin磯浜古墳群の様子については、こちらのnoteでまとめていますので、見ていただけたら嬉しいです。
その他、磯浜古墳群シンポジウムなど、大洗の歴史を感じることができるイベントも開催されていますので、興味のある方はX(旧Twitter)アカウント「大洗町の歴史と文化」をチェックしてみてください!

うみまち照らすin磯浜古墳群で、スカイランタンが昇っていくところ。
とても幻想的でした。

3.潮湯治(うしおとうじ)と海水浴

突然ですが、皆さんは「潮湯治(うしおとうじ/しおとうじ)」という言葉を聞いたことがありますか?潮湯治とは、「皮膚病などの治療で海に入る」ことを指します。海水で病気の改善を促していたようです。
潮湯治の概念自体は、江戸時代に西洋医学を学んだ蘭学者によって伝えられたとされています。海水浴の起源にあたりますが、「泳ぐ」というよりも「浸かる」といった具合でしょうか。
※大洗での潮湯治は、桶に海水を溜め、それを熱した石などで温めて浸かっていたようです。
また、江戸幕府2代将軍の徳川秀忠も潮湯治を好んでいたようですので、もしかしたら大洗にも潮湯治目的で来ていたかもしれませんね。

その後、明治時代になり、海水浴場が作られることとなります。
今現在も「大洗サンビーチ」や「大洗海岸」は人気の観光スポットとなっていますが、非常に古くからの歴史があることがわかります。
※昔は「磯浜海水浴場」「大貫海水浴場」「大洗海水浴場」の3つに分かれていました。

早朝の大洗海岸。空のコントラストがまるで大きな虹のよう。

4.大洗の海水浴旅館

潮湯治を行うため、大洗に長期で滞在する人も増えていきました。そこで誕生したのが海水浴旅館です。明治26年には、魚来庵・木根屋・金波楼(現:里海邸)・小林楼・風月楼・金波楼別邸の計6軒の海水浴旅館が存在していました。
後述しますが、インフラの急速な発達により大洗への観光客の流入が加速し、海水浴旅館も大きな盛り上がりを見せることとなります。

里海邸からの日の出。

5.水戸鉄道・水浜電車の開通

大洗の歴史において、水戸鉄道(明治22年:小山ー水戸)と水浜電車(大正11年:水戸ー磯浜)の開通も重要なポイントです。
元々、金波楼(現:里海邸)の初代石井藤介によって、那珂川で蒸気船が運行していたのですが、この蒸気船に水戸鉄道が接続するようになりました。
上記のように大洗までのインフラが整備されたことで、海水浴場へのアクセスが良くなり、それに伴って海水浴旅館もより一層の賑わいを見せるようになります。
水浜電車は1966年に廃線となってしまいましたが、水戸鉄道・水浜電車などによるインフラの発達が大洗にもたらした恩恵は、非常に大きかったと言えます。

大洗の水浜電車の跡地には小さな公園があります。線路のデザインになっていて可愛いですね。

さいごに

いかがだったでしょうか。昔から保養地として著名人もたくさん訪れていた大洗の歴史の一部を取り上げさせていただきました。
大洗の歴史はまだまだ書くことがたくさんありますが、第一弾としてここまでにしたいと思います。次回以降は自然・建物・食事などのテーマに沿って歴史に触れていければと考えています。
皆さんが大洗に来たとき、「この場所・建物・食べ物にはどんな歴史があっ
たのだろう」と歴史に思いを馳せていただけたら嬉しいです。

次回の更新もお楽しみに!

大洗クエスト 坂本(もこ)

参考

ONCA|大洗自然と文化アーカイブズ 様
里海邸 様
和樂web
 様


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