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<いんたーみっしょん>喜劇舞台昔ばなし

「落語好きの諸般の事情」、今週はまさしく諸般の事情のため一週お休み。
代わりに、以前mixiにて限定で公開した記事を晒します。

先日NHK-BSプレミアムで放送した『たけしのこれがホントのニッポン芸能史』の喜劇の回。その中で紹介されていた、1991年2月の三木のり平公演『喜劇 雪之丞変化』について3回に分けて述懐した文章をまとめました。
もともとこの記事は2005年の「伊東四朗一座」公演を観に行った際に書いたものです。今読み返すと、現在ではもう覚えてない記述もあったりしたので、多少記憶が残っているうちに世に出して虫干しすることにしました。適当に読み流してください。

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★平成初期のお芝居の話(01~03まとめ) 2005年07月30日~8月2日・記

先週の「伊東四朗一座」公演の感想をそろそろ落語別館の日記に書こうかなーと思い、パンフレット(CD付き上製本)を読む。
中に、笑芸の権威でもある作家・小林信彦氏と、伊東四朗座長、三宅裕司番頭の鼎談が。この3人なので当然中味はコアで、昭和前半からの現在までの東京喜劇の話題を中心に笑芸能の歴史がみっちり。
そのいちばんラストに、1991年の三木のり平座長公演『喜劇雪之丞変化』(於・東京宝塚劇場)の話題が出てきた。 あ、これ知ってる。つーか観た。
鼎談の内容の大半は私にとって教科書みたいだったけど、最後の最後でよーやく、自分がリアルタイムで観たお芝居の話が出たのが嬉しかった。

1990年前後とゆーと、バブル景気の恩恵もあって、個人的にはいっちゃん仕事に時間を取られていた時期なのだけど、そのくせお芝居見物にもちょいちょい通っていた。今の自分の性格を考えると、よくまぁムリヤリ時間を作ったもんだ。
昭和から平成に移ったこの頃、私が劇場で観たお芝居とゆーと、関根勤のカンコンキンシアター(初期)多数、『小堺一機のおすましでSHOW』数回と、コサキン2人による『おげれつでショー』、第三舞台が3回とSETが1回。パンフレットが残ってるのは以上で、あとはイッセー尾形をジァンジァンと草月ホールで各数回。山田邦子が主演した『山田ババァに花束を』なんてのも観たっけ。落語は除外。
で、これらと同じ時期、東京宝塚劇場の『喜劇雪之丞変化』を2回観た。

三上於菟吉原作によるマゲ物のスタンダードで、人気女形・雪之丞が、幼少時に無実の罪をかぶせられ殺された親の仇の闇将軍・土部三斎に復讐する……というあらすじ。
主演の雪之丞はもちろん三木のり平(演出兼任)、後半で出てくる役者志願のお百姓・泥作との二役。伊東四朗は、弱きを助けて強きをくじく義賊・闇太郎。これがなんと見事な二枚目役。 笑わせる芝居はほとんどしていなかったと記憶する。
その他、女スリ・軽業お初に大空眞弓、お初の相棒・むく犬吉五郎に尾藤イサオ、土部の娘・浪路に当時人気絶頂の酒井法子(衣装のまま舞台で1曲歌ってた)、土部三斎に遠藤太津朗、etc。あの古今亭志ん五師も出演していた。役名はなんと「らくだの馬」。本編ではなくサイドストーリー的なシーンの中で、文字通り落語の『らくだ』よろしく死骸となり、泥作にかつがれて長屋を右往左往する迷演?だった。柄が大きいので役がよく似合ってた。

1991年当時まだ30歳前だった私がいきなり三木のり平公演に興味を抱いた理由は、そのまた7~8年前にテレビ朝日『欽どこ』で見たのり平(ゲスト)と欽ちゃんのやりとりで、気も狂わんばかりに抱腹絶倒した記憶がずっと残っていたため。
「あの笑いがまた観られるかも」と、『喜劇雪之丞変化』上演を知って思ったわけ。
それで、のり平座長の一挙手一投足を脳に刻み込むには1回の公演だけじゃムリだと思い、2回分のチケットを買ったわけ。当時から記憶力の悪さを自覚してたのね。

果たして舞台、第六場。劇中劇「櫓のお七」。つまり八百屋お七。
雪之丞(のり平)が親の仇・土部三斎邸へ忍び込むので、身代わりで舞台に立った泥作改め泥之丞(のり平の二役)。このシーンの演技が、期待どおりの動きと破天荒さ。本来シリアスな芝居を、泥之丞1人がメチャクチャにしちゃう。
もっともっと笑いたい~!と思ってたら、スッ、と終わって中入り休憩。今思うと、あの「引き」が東京っぽさだったのだなぁ。

『喜劇雪之丞変化』の舞台から4ヵ月後に観たのが、SET公演『新約・JAPAN書紀』 (於・こどもの城 青山劇場)。
こちらもゲラゲラ笑って、迫力あるゴスペルの印象だけは記憶に残っているのだけど、申し訳ないことに、それ以外の詳細はすっかり記憶から消えている。観た回数が1回と2回じゃ、こうも違うんかい? と我ながらあきれた。

(了)

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