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モラトリアム真っ只中




いつのまにみんな大人になったんだ



中学の同窓会に参加したときのこと。
集まるのは二年前の成人式ぶりで、きっとそのときも話したけれど忘れているので、みんな今何してるんだっけ?の確認の時間があった。
同級生達は体感で社会人と大学生が半々くらいだった。


高校卒業後、もしくは専門学校・短大卒業後に社会人になった子達は私が大学の法学部にいることを知ると「すごーい、頭良いもんねかっこいい」とすごく褒めてくれた。(弁護士とかなるの? いや、ならないかな、あっそうなんだ、という気まずい会話までがセットとはいえ。)


確かに成績がよかった中学時代の私しか知らない同級生達は、まだ、私のことを頭が良いと思ってくれていてなんだか申し訳ない。今となっては滑り止めでギリギリ入学した大学で、4年の1月にしていまだに卒業が確定していないザマである。




まあそんなことは置いといて(置いとけるようなことではない)

私からしたら、私と同い年だというのにもう立派に社会の一員として国に貢献している同級生達のほうがよっぽどすごいしかっこいい。



就活の面接で「入社後何をしたいですか?」という質問に対する嘘を考えることに本当に苦しんだ。
まだ働いたこともないし、働きたくもないのに、仕方なく面接に来ているのだから、何をしたいかと言われましても(笑)



強いていえば、好きでもない相手に告白しまくって全員から振られるような就活地獄をもう一度味わいたくないし、生活に困らない程度のお金があれば良くて志もないのでキャリアアップを考えた転職や独立をすることはきっとありません、長年御社の犬として働いていきたいと考えております、くらい。もちろんそんなことは言えないけど。



面接に向かう電車の中では、スーツを着た社会人を見る度に、この人もこの人も、同じように面接をして内定をもらって働いてるんだ、すげー、と尊敬の眼差しを向けないわけにはいかなかった。



なんとか内定をゲットして就職先は決まったものの、本当に働きたくない。いつまでも大学生でいたい。4月、面接を担当してくれた人事の方が入社した私を見て、向上心のなさと仕事のできなさに話が違うじゃないかと腰を抜かさないかが心配。



そもそも、本当にいつまでも大学生でいることになるのではないかという問題もある。同窓会中、ほかの大学生組が留学がどうだっただの、卒論がなんだの話している間、私はひとり、二週間後に控える期末試験の心配が常に頭の隅にあった。情けない。(私の大学の法学部には卒論がない)



同級生達は異国の地にひとりで飛び込み他の人にはない経験を積んできたり、3年生のうちに必要単位数をほとんど取り終わって関心のあることについて深く研究を進めて論文まで書いたりしているというのに、私だけが、必要最低限以下のレベルでジタバタしている。4年間何をしていたのだろう、記憶がない。




先日、同窓会をきっかけに、中学の頃何度かお互いのおすすめの本を交換し合ったことがある友人から、数年ぶりにおすすめの本を聞かれた。とても嬉しい、懐かしいこの感じ。


私が友人に送った文章の一部


友人から送られてきた文章の一部


喜びも束の間である。


ボキャブラリーも知識量も圧倒的な差、なんてこった、かっけえ、、
正直にいうとちょっと意味がわからなくてググった。ディストピア、ディストピア、、逆ユートピアね、なるほど。

(さすがにこのLINEの文章が私の限界値なわけではないけれども、あまりにも)

連絡をとっていなかった数年間で、たくさんの文章に触れて思考して、いろんな経験を積んで知識や感性を磨いたんだろうなと思った。(知らんけど)



みんな知らぬ間に成長していて、もうあの頃のみんなではなくて、将来について考えつつしっかり現在を生きていた。

懐かしさに喜びを感じているようじゃだめなんだ、もう一度あの頃のように、じゃなくて成長した私達で、じゃないと。



内面の成長には経験値が足りないので徐々に成長することとして、せめて表面的にだけでもみんなと同じラインに立っていられるようにとりあえずちゃんと大学を卒業しなければ。そして脱モラトリアムするんだ。


さて、勉強勉強。







追伸
なんだかつべこべうるさいけども、こんなことを考えている時期もあったという記録なので、ご愛嬌ということで。

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