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【第43回】ライトニン・ホプキンス/ライトニン・ストライクス

小学生のときに、学校の窓からスゴくキレイな雷光を見たことがあって、その稲妻の姿がとてもカッコよくて興奮したことを覚えている。そして私はその年の七夕の短冊に「雷がたくさん見れますように」とお願いをしたのだ。そんなどうでもいい話を社会人になって会社の同僚の女の子に話したら、「可愛い〜」って言われてデヘデヘと鼻の下をのばしていた。そのときの私はまさに「モージョ・ハンド」の「ライトニン・ホプキンス」だったなと思う(デヘデヘについては以前書かせていただいた「モージョ・ハンド」の感想を読んでいただければと)。当然当時の私はブルースには出会っていないけれど。
そんな前置きから今回は、ライトニンさんの「モージョ・ハンド」に並ぶ名盤と言われる、「ライトニン・ストライクス」について書かせていただこうと思う。とは言っても正直この2枚、雰囲気がほとんどお変わりなく、私のような若輩者が書けることもあまりないんだけどね。ライトニンさんはこの2枚しか聴いていないんだけれど、この人はもうずっとこれで貫き通しているんじゃないかな。そう考えると、ライトニンさんは名盤と呼ばれるものを1枚聴けば十分じゃないかという気がしてくる。ただそこは腐ってもブルース愛好家なので、そこにLPがあれば聴きたくなってしまうものなのである。
さて、「ライトニン・ストライクス」についてだが、まず楽器の音に比べてボーカルの音がとてもよく聴こえることに気がついた。こんなにボーカルの音大きかったっけと思って「モージョ・ハンド」を聴きなおしてみると、こっちもボーカルの音は大きかった。さすがライトニンさん、貫き通してるぜ。
次に雰囲気、こんなにダークだったかしらと思った。たしか「モージョ・ハンド」のときは、ホロ酔い気分で陽気に歌っているイメージがあったのだが、「ライトニン・ストライクス」はそんな陽気さがずいぶん薄れている気がした。そして「モージョ・ハンド」を聴きなおしてみると、確かに1曲目の「モージョ・ハンド」は陽気な雰囲気を醸し出してはいたけれど(デヘヘの笑い声のせいかな)、全体通してみると結構ダークだったかも。さすがライトニンさん、貫き通してるぜ。
そんなわけで、このLPは基本的にはギターの弾き語りにドラムが控えめに入っている地味なブルースであり、そしてそれは「モージョ・ハンド」でも基本変わらないスタイルだ。なのでもしこの2枚のLPをテレコでカバーに収納したとしたらしばらくの間気づけないのではないだろうか。さすがライトニンさん、貫き通してるぜ。
2枚とも雰囲気的には嫌いじゃないけれど、ホプキンスさんはもういいかなとも思ったのだが、実は2枚ともフォーク・ブルース・ブーム※の際に再発見されたあとのLPであることに気がついた。これは端くれとはいえブルース愛好家を語るならば、是非再発見前の初期ホプキンスさんのLPも聴かなくてはなるまい。

※60年代にヨーロッパ中心に起きたブルース・ブームで、それまで録音から遠ざかっていたブルースマンがたくさん再発見されたらしい。サン・ハウスとかもそう。

僕を責める
青い(ブルース)稲妻が
焼き尽くす(げっちゅ)

季語はブルース。

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