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笑いに関する名言集――武力と笑い

 名言集は結構な数が出版されてきましたけれども、お笑いに関する名言はどうもあまりないようですので、忘れた頃にこうやって集めては作っております。

 ここでは笑いの名言を以下のみっつのどれかに当てはまるものとしました。

・笑いに関係する言葉が入っている名言
・笑いに関係する仕事をした人の名言
・笑う余地がある名言

 今回は笑いと武力に関係する名言をいくつかピックアップしてみました。

 笑いと武力はなかなか関係性が見出しづらいものでございますけれども、しばしば敵意がないことを相手に示すために微笑みを用いる場合がございます。武力を避ける目的で笑うわけですね。ですから、このようなことわざが存在しています。

怒れる拳、笑顔に当たらず

出典:名言 人生を豊かにするために(里文出版、2011)

 実際、敵意がないことを表すのに笑顔は有効な場合がございます。だからなのか、似たような名言がチラホラございます。例えば、「朝鮮のことわざ」として乗っていたものがこちらです。

笑っている顔はなぐれない

出典:座右の銘(里文出版、2009)

 表現がちょっと違うだけで、内容は同じです。最初のことわざはどこの国のものか書いていませんでしたので、恐らくは日本のものだと考えられます。つまり、日本と朝鮮に同じことわざが存在しているのだと思われます。

 更に、表現が違うだけで同じ内容のものがございます。

嗔拳不打笑面(しんけんもしょうめんをだせず)
白隠はくいん慧鶴えかく(1686-1769)、「槐安国語かいあんこくご

出典:禅語遊心(筑摩書房、2005)

 白隠慧鶴は江戸時代中期の禅僧で、臨済宗中興の祖とも呼ばれています。

 そして、槐安国語とは白隠が弟子たちから熱心にお願いされ、臨済宗大徳寺派の開祖である宗峰妙超しゅうほうみょうちょうの「大燈国師だいとうこくし語録」に批評などをつけたものとされています。宗峰妙超は大燈国師とも呼ばれていたようです。

 宗峰妙超は鎌倉時代末期に活躍した方でございまして、少なくとも日本では「怒れる拳、笑顔に当たらず」みたいな言葉は鎌倉時代から伝わっていたものと考えられます。

 続いてはこちらの名言です。

口に怒れども目には笑みを湛う。
トーマス・カーライル(1795-1881)

出典:座右の銘(里文出版、2009)

 カーライルはイギリスの歴史家であり批評家としてもしられ、「英雄崇拝論」「衣装哲学」「フランス革命史」などの著作で知られています。近代日本にも影響を与えた人物とされています。

 上記名言はどうも「口では怒ったことを言ってても、目では笑ってるくらいでいようよ」みたいな意味合いのようです。「そうすれば相手を追い詰めないでしょ」みたいな感じなんだとか。

 私としては竹中直人さんの往年のネタ「笑いながら怒る人」を思い出してしまいます。ちなみにこのような表情ですと、「怒れる拳、笑顔に当たらず」の「怒れる拳」は当たるのでしょうか当たらないのでしょうか。それともかする程度なのか。だんだん気になって参りました。

笑いによる攻撃に立ち向えるものはなんにもない。だのに、君たち人間は、いつも笑い以外の武器を持ち出しては、がやがや戦ってるんだ。
マーク・トウェイン(1835-1910)、「不思議な少年」

出典:世界名言集(岩波書店、2002)

 マーク・トウェインはアメリカの小説家であり、「トム・ソーヤ―の冒険」などの代表作で知られています。

 マーク・トウェインはユーモアと社会風刺に富んだ作風とのことでございまして、だから上記のような名言が出てくるのかもしれません。笑い自体が強力な武器であるのに、それを使わない人間を戒めているという、含蓄のある言葉です。これもまた「怒れる拳、笑顔に当たらず」と考えの根底は同じかもしれませんね。

 続いてはこちら。

本当に罪を犯す人というのは、にたっと笑いながら、平然と罪を犯すことができる人である。
オグデン・ナッシュ(1902-1971)

出典:世界名言集(近代文芸社、2004)

 ナッシュはアメリカの詩人でございまして、ユーモアを織り交ぜた詩を多数残したことで知られています。代表作に「ぼくもここでは見知らぬ人」「老犬は後ろ向きにほえる」などがございます。

 名言自体にはユーモアが感じられませんで、むしろぞっとさせられます。ナッシュは諷刺も得意としていたようですので、この名言もまた諷刺なのかもしれません。と同時に、「まあ悪い人はそんな感じかもな」と納得させる言葉でもあります。

 最後の名言はこちら。

外交官と幽霊は微笑をもつて敵を威嚇す。
長谷川如是閑にょぜかん(1875-1969)、「如是閑語」

世界名言辞典(明治書院、1966)

 長谷川如是閑は日本のジャーナリスト・評論家・小説家でございまして、新聞記事・評論・エッセイ・戯曲・小説・紀行などに膨大な作品を残しました。大正デモクラシー期の代表的論客のひとりとしても目されているようです。如是閑は雅号で、本名は萬次郎とのこと。

 そして、ウィキペディアにも上記名言が書かれております。長谷川如是閑を代表する言葉なのかもしれません。何と申しますか、外交官の大変さが端的に現れた名言のように思えてなりません。

◆ 今回の名言が載っていた書籍


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