笑いに関する名言集――子供と笑い 若者と笑い
世にあふれる名言集や名言サイトを見て、人は本当に名言が好きなんだなあと感心してしまいますけれども、その割には「笑いに関する名言」となるとほとんど存在しないわけです。「笑い」というジャンルで名言を片っ端からかき集めた人がほとんどいないと言ってもいい状況でした。
じゃあ私がやってみましょう、というわけで、ちょっとずつかき集めてはnoteに載せている次第です。
ここでは笑いの名言を以下のみっつのどれかに当てはまるものとしました。
・笑いに関係する言葉が入っている名言
・笑いに関係する仕事をした人の名言
・笑う余地がある名言
今回は若者と笑いに関する名言を集めました。若者が何歳以下の人を指すのかとか、いろいろ疑問はございますけれども、とにかく子供を含めた若者と笑いに関する名言がそれなりにございましたので、紹介してまいります。
まずは子供と笑いに関する名言から。
吉田絃二郎は日本の小説家でございまして、「島の秋」など小説から随筆、児童文学、戯曲と幅広い分野で活躍しました。大学で教鞭をとり、教え子に井伏鱒二がいるそうです。
子供のはつらつとした部分を書き表した名言だなあと思うと同時に、なんか時代がかった子供像にも見えてしまいます。100年以上前に生まれた方なのですから、世代間ギャップなんてあって当然なんですけれども、文章が綺麗なだけにギャップを感じるのがちょっと悲しくなります。
でも、今の子供だっていざ外で遊ぶとなれば、夢中になって大自然とたわむれてくれると思うんです。
子供に対して明らかな苦手意識を抱いている名言もございます。
チャールズ・チャップリン・ジュニアはアメリカの俳優でございまして、その名の通り、父親は喜劇王と名高いチャールズ・チャップリンです。ちなみにパパチャップリンは4人の女性と結婚しておりまして、ジュニアチャップリンは2番目の奥さんとの子供とのこと。
子供は素直だし、大人のようなガッチリとした損得関係もないため、付き合いで笑ってようなことができないという意味の名言なのでしょうか。私としては、子供は割とうんことか言えば笑ってくれる印象でしたが、仮にそれができなかったから苦労されたのだと考えると、チャップリンはかなり上品な方だったのかもしれません。
子供というよりは教師メインの名言ですが、こんなものもあります。
ニイルはイギリスの教育家で、「子どもを学校に合わすのではなく、学校を子どもに合わせる」という言葉でも知られています。当時としては先進的過ぎたのか、かなり議論の的となったようです。
上記の名言も彼の信条をよく表した言葉となっています。でも、悲しいかな「もっともよくない教師」が私の時にも結構いました。当然ながら「嫌な先生だな」とは思っていましたけれども、大人になって分かったのは、普通の先生でも油断すると「もっともよくない教師」になってしまうという点です。なぜなら真面目に頑張っている姿は必ずしも格好いいわけではなく、一見するとものすごく面白いことになっている場合もあるからです。その笑いにちゃんと耐え、「子どもとともに笑う」ことに成功できる教師は確かに「もっともよい教師」なのかもしれないとも思いましたけれども。
モンゴメリはカナダ文学を代表する人物として知られ、代表作「赤毛のアン」シリーズは日本でもよく知られています。
どこで見聞きした言葉か忘れましたが、「『若いですね』と言われるようになったら、もう若くない」みたいな身も蓋もない一言があるんです。上記の名言はその逆バージョンにしたような感じに見えます。ちなみに、出典元である「アンの愛情」はアンが18~22歳の頃の話となっています。
というわけで、この辺りから子供というより若者とか青年とか言われる名言に移って参ります。
ワイルドはアイルランドの作家であり、19世紀末に興った「世紀末文学」を代表する人物として知られます。
若者の良さを語っているようでもあり、たとえ理由が無くても笑うという行為を賛美しているようでもある名言です。
青年に関する名言として次のようなものもあります。
サンタヤーナはスペインの哲学者・詩人でございまして、早くにアメリカへ移住したことからアメリカの人と称されることもあるようです。
「阿呆」なんて言葉で締めているため、「若いもんが感情を出さないでどうすんの」と言っているようでありますが、「泣いても笑ってもいいんすよ」と言ってるようにも思える。名言には見聞きした人の解釈で分かれるものがございますが、上記の名言もそのように思います。
次第に若者とそうでない者とを比較している名言もございます。
井上は日本の小説家でございまして、「しろばんば」などの作品で知られています。出典元の「星と祭」は長らく絶版となっていましたが、舞台となった場所の住民が発起人となって復刊された作品です。
「人によるんじゃないっすか」と言ってしまいそうな名言ではございますけれども、言わんとしていることが何となく分かる部分もございます。過去を思い出して感傷的になるのは、年齢を重ねてきた人の方が、過去が多い分だけ多いような気はします。それを指して「ロマンティック」と言っているのかどうかは分かりかねますが。
ここへ来て再びのモンゴメリです。
「アンの夢の家」はアンが25~27歳頃の設定で、結婚して書体を持っている段階です。アンと会話しているのはコーネリアという女性でございます。
身体の年齢ならばともかく、精神の年齢は非常にぼんやりとしたものであり、ましてや身体にどのような影響を与えるのかも分かりませんけれども、アンの言葉になんか納得してしまう自分がいます。大人になると、どうしても子供っぽいと思われそうな部分を心の奥へしまいこんでいくようになります。
それは年齢を重ねると自然にできるものなのか、無意識のうちに無理しているものなのか、最初は無理していたけど次第に慣れていくものなのか。これもまた「人による」でまとめてしまいそうですし、そもそもアンのセリフはモンゴメリの創作でございますけれども、なんか本当にアンの言う通りな気もするんです。
最後はちょっと毛色の違う名言を。
スミスはイギリスの評論家で、多くの格言を遺した人物でもあります。
いきなりハゲから始まる名言のため、ちょっとビックリしてしまいますけれども、要は「別に年齢を重ねてもいいことは普通にたくさんあるよ」ってことなんじゃないかと思います。そう思うかどうかはやっぱり「人による」んですけれども、私も割とスミス側の感想を抱いている人間です。
◆ 今回の名言が載っていた書籍
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