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笑いに関する名言集――冬のファインマン祭り その2

 名言集はたくさんあるんですが、笑いに関する名言集に乏しいと常々思っておりまして、暇を見つけては集めてnoteに載せています。ちなみに、「笑いに関する名言」を次のみっつのどれかに当てはまるものとしました。

・笑いに関係する言葉が入っている名言
・笑いに関係する仕事をした人の名言
・笑う余地がある名言

 前回は物理学者ファインマンの名言に絞って集めたのですが、ファインマンの性質上、笑う余地のある名言もまたいろいろ手に入りましたので、載せてみようと思いました。さすがファインマンともなりますと、割と厳選しても1回では収まり切れない量が集まりましたので、2回に分けてしまいました。前回と同じく、出典は「ファインマン語録」で、トップの画像は英語版ウィキペディアからの引用です。

 それでは早速、参ります。まずはこちら。

どうも理解できない何ごとかを考えていると、ぼくらは混乱と称する、すごく気持の悪い感覚を味わいます。これはとてつもなく難しく惨めな状態で、ぼくらはこの混乱のせいで、事実はほとんどいつも気落ちしているのです。この状態はなかなかふっ切ることができません。さてこの混乱ですが、ぼくらはみな頭の足りないエテ公か何かのように、棒を二本組み合せてバナナを取ろうとするんだが、どうもうまくいかないからなのでしょうか? ぼくはいつも自分が、二本の棒を組み合せようとしているエテ公みたいに、間抜けな感じがしてしかたがありません。それでもときには棒切れがうまく組み合わさり、バナナに手が届くことがあるのです。

原出典「1965年 スウェーデンのテレビ局によるノーベル賞受賞者インタビュー」

 原出典をご覧の通り、ノーベル賞受賞の際のインタビューなんですが、当然のように棒でバナナを取ろうとする猿の話になっています。

 他にも、割と受賞したばかりのコメントとしてこんな言葉も遺しております。

これはね、1949年にやった仕事なんだよ。どうやら受賞者が足りなくなったもんで、昔のものを掘り返して見てるんだと思うね。

原出典「1965年10月28日 サウスショア・レコード紙」

 ファインマンの笑いは基本的にはこんな感じで、どこか人を食ったようなウケの取り方をしております。しかも、割と深刻な場面でもどうにかして笑いどころをねじこんでくる。そんな芸人根性的な部分が見て取れます。

フォン・ノイマンが、ぼくの頭に吹きこんだ面白い考えがある。それはぼくらが今生きている世の中に責任をもつ必要はないというもので、このフォン・ノイマンの忠告のおかげで、ぼくは「社会的無責任感」を強く感じるようになったんだ。それ以来というもの、ぼくはとても幸福な男になってしまった。

原出典「1975年5月 下から見たロスアラモス UCSBでの講演」

 フォン・ノイマンとは天才数学者で名高いジョン・フォン・ノイマンのことです。

 ロスアラモスとは第二次世界大戦中にマンハッタン計画の一環として原子爆弾開発のために設立されたロスアラモス国立研究所を指しています。

 ファインマンはフォン・ノイマンと共にロスアラモスに所属し、研究をしておりました。そこで経験した話だと思われます。

 その後の核兵器の使われ方を考えますと、あまり感心できない類の研究と言われかねませんし、上記の言葉も人によっては無責任さに怒るかもしれません。しかし、敢えてこんな言葉を残していることからも、ご自身が関わった研究の深刻さを痛感しているように思えます。

 関連してこんな言葉も遺しています。

(原子力エネルギーに関する国連会議後)それ以来というもの、ぼくは政府がどう動くものか、そしてそもそもどこが悪いのかがわかりはじめた。つまり命にかかわる重大なことが、あまりにもあっさり決定されるってことだ。そりゃそんなにあっさり即断がくだせるのは見上げたもんだが、さいころでだって即断できるんだろ。あれは全く……ひどいもんだ。実に深刻な問題だった。

原出典「1966年6月27日 チャールズ・ワイナーによるインタビュー ニールス・ボーア・ライブラリー・アンド・アーカイブおよび物理学史センター」

 ロスアラモスの縁もあってか、ファインマンは「原子力エネルギーに関する国連会議」にも参加し、そこで感じたことをインタビューで答えているようです。

 「即断」はどちらかというといい意味で使われることが多いですけれども、当然ながら時と場合によると申しますか、「命にかかわる重大なこと」までバシバシ決められると、空恐ろしくなる気持ちはよく分かります。もっとも、そうやって割り切って決めていかないとやってられなかったのかもしれませんが。

 そして、こういう場面でも「さいころ」を持ち出して揶揄することを忘れない。もう癖になっていたのかもしれません。私も怖い上司の前でギャグを挟んでにらまれたりするので気持ちはよく分かります。

この世の中には、ぼくらの手に負えない一般の愚かさに基づいたさまざまな現象がひしめいています。おまけに人間誰しも愚かなことをやらかすものだし、誰にも増して愚行の多い者がいるのもわかっていますが、どいつが最も多く馬鹿をしでかしたかなど調べたところでしかたがありません。

原出典「1963年 この非科学的時代 ジョン・ダンス連続講演」

 まったくその通りの話でございまして、皆さん誰しもやらかしながら生きているわけですけれども、その数を調査して「やらかし王」を決めたところで、人のやらかしが減るわけではございません。一部の人間のあんまりよくない好奇心を満たすだけだと思われます。そもそもやらかしの数なんて常に変化していくでしょうし、やらかしのトップだって移り変わっていることでしょう。

 馬鹿の入っている名言は他にもあります。

ひとりの馬鹿にできることなら、ほかの馬鹿にもできるはずだ。そしてだれか他の馬鹿が君をだしぬいたって、気にすることはない。自分が何かを発見したということに、スリルを感じるべきなのだ。

原出典「ファインマン計算機科学」

 こちらは馬鹿の入っている名言ではありますけれども、かなりポジティブな言葉です。

 確かに、自分と同じ発見を他の誰かがしているかもしれないし、自分より遥かに早くしているかもしれない。現在に至るまで膨大な数の人類が活動してきたわけですから、普通にあり得る話です。でも、自力で発見したという事実に興奮してもいいじゃないかとファインマンは言っています。その感覚が何かに繋がるかもしれませんし、本当に誰もしていない発見に繋がるかもしれない。先人とカブっていたからといって構う必要はない。

 何らかの発見を求める全ての人に捧げる言葉だと勝手に思っています。

物理学者もまた人間であるという証拠が欲しいと言うなら、彼らがエネルギーを測るのに使う、めったやたらな単位の馬鹿らしさ加減を見れば一目瞭然でしょう。

原出典「物理法則はいかにして発見されたか」

 そして再び「馬鹿」のネガティブな用法が目立つ名言です。様々な小難しい単位は物理学者がドヤ顔をしたいがための小細工だといじっているものと考えられます。

 最後に理論物理学ネタをふたつご紹介して今回は終わりといたします。

理論物理学にもっと金を出したって、ただ彗星の頭部を追う連中の数を増やすだけなら、何の役にも立ちません。

原出典「1965年12月 CERNでの講演」

 わざわざ「CERN(欧州原子核研究機構)」でこれを言っていると思うと、人によってはより味わい深くなる名言だと思われます。

 ここでは宇宙の謎を明らかにしようとする実験がおこなわれているため、彗星なんてワードを出したのでしょう。

理論物理学で最も重要で、最もでかい道具はくずかごだよ。

原出典「科学の未来インタビュー」

 理論物理学は文字通り理論で物理学を研究する学問でございまして、紙と鉛筆で難しい式をあれこれ書いて考えるのが伝統的手法と言われています。

 だから、くずかごのデカさと重要性を説いたわけですね。

 それでは、今回はこの辺で。ファインマン祭りはもう1回開催予定です。

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