見出し画像

余命14日間の彼女と青信号を渡れないボク *3話*

#創作大賞2023

  *

 

 病室へ行くと、テレビがついたサイドテーブルに、黒い手帳が置かれていた。オレンジ色の付箋がハラリと落ちて、拾う。手帳へと挟もうと広げると、安寿海の街の地図が現れた。花丸がついた地図には、新開発地と旧土地との境目が赤いペンでワニの歯みたいにジグザクに引かれている。僕が家を出る前、親父は安寿海の再開発に力を注いでいた。

 他所からこの地へと移り住んできた人に街の景観を揃えるために市が推奨するオレンジ色の屋根の家を売りつけ、古い住民にはオレンジ色の屋根に変えるとこの街から補助金が出ると誘って、新しい街に塗り替えるそんな仕事。おそらく花丸がついている土地は既にオレンジに塗り替えられた土地だろう。

 親父の安寿海市の押し活は周囲から受け入れられ、日付とともに花丸の場所がどんどん増えている。僕がいない間に親父は街を変えることに一役買っていたというわけだ。オレンジ色の屋根の数は、親父が残した成果だ。

 オセロの白と黒みたいに、この街をオレンジ色に塗り替えるという計画は、いつか終焉を迎える。全てがオレンジに包まれた時。それはきっと爽快な気分を味わうのだろう。

「全然羨ましくないけどな」

 強がりなセリフを吐いて、親父の手帳をそっと閉じた。






 その後、姉ちゃんがやってきたのは朝方だった。夜勤明けのお袋と共に、スーツケースをガラガラ押して病室へとやってきた。

「お父さんは?」

 咥えた歯ブラシを口の脇にずらして「まだ寝てる」と応える。

「嘘、まだ目覚めてないの?」

 と、困ったような声を僕へと向けて投げた。それに緩く首を振ってやる。

「狸寝入りじゃね?」


 親父は時折、こちらをチラチラ視線を向ける。だが振り向くたびに寝ているふりをするのだ。あんな喧嘩をした過去をお互いに抱えたままだ。自分から声をかけるのはなんだか癪だ。そして親父もきっと同じ気持ちなんだろう。どっちが先に折れるのか、今も尚、意地の張り合いが続いている。


「ちょっとー。お父さん? 寝てるの?」

 薄いミントグリーンの手術着を着た親父を、姉はやや強引に揺らした。

「寝てる……」

「起きてんじゃん」

「蒼央、わざわざ東京から、帰ってきたんだよ。ほら、蒼央もお父さんにいいなって」

 話題を僕へと振られ、仕方なしに、口の中のミント味の泡を洗面台へと吐き出した。排水溝へと流す音が静寂の中の唯一のB G Mとなる。ごごごっと、排水溝の奥へと吸い込まれていった水音を聴いてからようやく口を開いた。

「親父、調子どう?」

「……お前とは話さない」

「何、拗ねてんのよー! しばらく帰ってこなかっただけでしょーが」

「……やだ」

というなり親父は子供のようにプイッと顔を背け、再び寝たふりをし出した。

「やだって、ねえ、おとうさーん? 目を開けなさいよー!こうして心配して帰ってきてくれてんのよ?」

 姉の言葉に反応せず、おまけついでにいびきまでプラスされる。そんな父の背中を姉は力一杯叩いたが、父は起きようとしなかった。このままじゃ時間の無駄でしかない。せっかく折れてやったというのに、機会を逃したのはそっちだ。ナップザックを引っ掴む。

「帰るわ」

 失望を肩の上に乗せて、病室を出た。すると、母親が僕の名を呼び追いかけてきた。

「蒼央、今あったばっかじゃないの。それなのに、もう帰っちゃうの?」

「……親父さ。ほんと成長してねえのな、まあ僕もだけど」

「お父さん、今は素直じゃないけど、ちゃんと蒼央と話したいと思ってるわよ」

「っは。どこが?」

「ウチ、帰ってきなさい」

 母さんが真っ直ぐに僕を見た。思えばどれぐらいぶりに母親の顔をまともに見たのだろう。こんな顔をしていただろうか。こんなに瞼を重くさせ、目の下が垂れ下がっていただろうか。目尻に深い皺が刻まれているのを見て、ぎゅっと心臓が痛んだ。
 僕のせいじゃない。
 そう叫びたいのに、何も言えずに、その場を去った。







 海岸沿いに「ゴーストシャーク」という古びた喫茶店兼民宿がある。オレンジ色の三角屋根に白く塗られた壁には、壁一面に、ハロウィンに出てきそうな、お化け鮫が描かれている。

 海に向けて突き出したウッドデッキには水着姿の客が木のベンチに腰掛けていた。あの水着客は、他所の街から来た海水浴客だろう。この時期になったら、この店には地元の人間は寄り付かない。

「ゴーストシャーク」は夏になると海水浴客目当てに、商売をする。
 普段はオムライスとナポリタンといったごく普通の喫茶店メニューなのに、夏場は、焼き蛤や、かき氷に焼きそばなんていう海の家のようなメニューにシフトし、値段も2倍に上昇する。観光シーズンに稼げるだけ稼いで、冬を乗り切ろうとする算段は、この店のオーナーから新しいオーナーに引き継がれても尚、健在らしい。

 ウッドデッキを通り過ぎ、店の扉を開ける。途端に冷気と共にアロハミュージックが僕を歓迎した。

 アロハシャツを着て、日本式ハワイを気取ってるのは、僕の幼馴染のこの店のオーナーである大嶋海斗(オオシマ カイト)だ。親父さんは去年引退し、息子に店を任せてハーレーで世界一周をする旅に出たと聞いていた。海斗の親父のインスタによると、トルコの遺跡をバックに手足の長い褐色美女に囲まれて、よろしくしていたから、当分は帰国する予定はないだろう。

「いらっしゃいませー。って、蒼央じゃん!」

「おいっす。腹へった。なんか食わせて」

 と、空いているカウンター席のスツールへと適当に腰掛けた。すると隣に海斗が滑り込む。

「おいっすじゃねえよ。何年振り、あ、5年かー」

「そんな経つか」

 海斗のノリは5年経とうと変わらない。きっとあと10年たってもこいつは同じように僕を出迎える気がする。海斗のせいか、よりこの土地にある時の流れがゆっくりに感じられる。

「お前ユーチューバーやってんだっけ? 蒼央との写真、店のインスタにあげていい?」

「ご勝手に」

 スマホをこちらへと向けると、カメラのシャッター音をさせた。早速写真の具合を見て、インスタのサイトへと移動している。

「えーっと。ハッシュタグ、なんだっけ?ユーチューバーのさ、番組の名前さー」

「へー、ユーチューバー? 蒼央に芸名とかあんのかよ?」

 と、水のグラスをドンと勢いよくカウンターテーブルに置いたのは、ユタさんだ。長い髪を一つに縛り、首筋と腕にガッツリタトゥーが入ったダウナー系男子で、海斗と共に店を切り盛りしている。

「注文、早くしろ」

 と、睨まれてしまい、

「あ、アイスコーヒーと、お、オムライスを」と、ビビりながらも答える。伝票をさっとテーブルに置くと、ユタさんはカウンター裏へと戻っていった。ユタさんは、僕らの5つ上で、姉の同級生。

 漁師の親父に育てられたせいもあってか、ちょっと口もガラも悪い。ユタさんの親父は、水揚げは少なくなったといえども僕の2倍ほどあるぶっとい腕で、僕と同じぐらい大きな魚をポンポン投げる。ガラが悪い父親と、魚臭い漁師たちに囲まれて育ったのだから勇ましいのは仕方がない。

 盛り上がった上腕二頭筋で、大きな鉄のフライパンを豪快に揺らして米を炒めている。シャツの裾をぐっと引っ張って、顔の汗を拭うと、鍛えられた腹筋が露わになった。

 すると、カウンターにいた女子が、どこぞのアイドルに遭遇したかのようにキャーきゃー歓声を上げて騒ぎ出した。そんな女子たちにユタさんはニコリともせずに、ひたすら鍋底をかきまぜ続ける。

「確か、横断歩道? 交差点?」

「【しんごうき】」

「そーそ、【しんごうき】!赤、青、黄色の3人組だよなあ」

 スマホでYoutubeの【しんごうき】のページを開いた。本人を目の前にして検索をかけるとはいい度胸である。

「3万人、へー、やるじゃん」

「別に、すごかねえって」

「照れんなってー」

 登録者数だけでは、そのうちの何人が番組を継続してみてくれるのか、投げ銭をいくら投げるかの数字は測れない。ここ数ヶ月の間の登録者数は横ばいだ。グラスを掴んで水を飲む。冷えた水が、殺人的に暑い外を歩いてきた僕の身体の中を通過する感覚にしばらく気持ちを向けた。

「でもさ、地元出るときは、歌手になるとか言って家出してなかったか?」

「むせる」

「よく覚えてんな」

「だって、お前、高校の時、歌うまかったじゃん」

「へー、割とモテたりして」

「それがさーこいつ女の前になると、妙にカッコつけだしちゃって」

「いいから、さっさとインスタにあげろよ」

「あーはいはい。こんな感じーであげましたっと」

 と、スマホを僕へと向けて見せた。インスタのホーム画面には、店「シャークている」のサメの尻尾のマークのアイコンがある。U R Lなどが貼ってあるその下に、僕の間抜け面が映されていた。

#タグには 、「【しんごうき】のメンバー、蒼央。ご来店♪ 」

と、記されている。

「こういうのユーチューバーとかだと、広告料として金取られる?」

「別に、あげればいいじゃん。もう僕辞めたし」

「ラッキー! ただで広告してくれるってこと?」

「あ、やっぱ金取ろうかな?」

「……あ、あのさ、今うち夏シーズンでさ、海からの客も来て、めちゃめちゃ忙しいんだよね」

「へえ、儲かってんだ」

「まあ夏場はね。だからさ。蒼央、うちでバイトしね?」

「は?」

「3食賄い込み、時給8百円、家賃タダ」

「家賃タダって、別に僕、家は実家あるし」

「ユーチューバーやめたら金ないんだろ?」

「別に、海斗から、仕事をもらうほど落ちぶれてねえよ」

「蒼央、おれら、小学校の頃からの仲なんだから、それぐらいわかるわ。なんか嫌なことあると、お前、うちに来て親父にオムライス食わしてもらってたもんな。ぶっちゃけ、帰るとこねえんだろ? だからここにいるんだろ?」

むかつくが、さすがは僕の幼馴染だ。痛いところをついてくる。

「蒼央、オムライス」

 と、カウンターの一段高い位置へと、ふわふわの卵の上にデミグラスソースがたっぷりと掛かった器が置かれた。アイスコーヒーのグラスと共に受け取り自分の席の前に皿を置く。

 早速……と、スプーンを握りしめた。すると、海斗が僕のスプーンをすっと引き抜いて奪い取った。

「ちょ、おい」

「わかる、わかるよー。親父さんさ、この町の名士じゃん?その息子ってやつだと色々大変なんだろーさ。だから、有名になって実家に堂々と戻るつもりだったんじゃねえの?」

「わかったような口聞くなって」

「でも、でもそれも叶わなかった。まあさ、誰だってプライドはあるもんさ。だからさ、泊めてやるって。部屋余ってるしさ。ど? 」

「悪いけど、暇じゃないんで」

「じゃ、オムライス代払って」

スプーンを僕へと差し出して、海斗がニコリと微笑む。

「は?」

「オムライス代とアイスコーヒー代、占めて1800円、払って」




「ビール如何ですか?」
「冷たいのありますよ~~~」
「キンキンに冷えてますよ~」

 只今の体感温度は40℃越え。
 ぎらつく太陽の下、10キロ超のボックスを抱え、火傷しそうな程の熱を湛えた砂の上を歩く。8月に入り、徐々に人は増え、売れ行きも上がるが、気温も上がる。人々が居る範囲は更に広がっていく。ゴーストシャークから半径1キロほどとはいえど、この暑さの中では、其の1キロは果てしなく長く辛い距離だ。

 結局僕は、家に帰る勇気も持てず、だからと言ってしんごうきのメンバーのいる東京にも戻れずに中途半端なエリアに止まってしまった。なんとも僕らしいといえば僕らしい立ち止まりかただ。

 シャークテールの灰色の屋根が見えなくなってきたので、そろそろ戻ろうかとビーチパラソルの下に向けて最後のセールス文句を言うと、ハイビスカス柄のパレオを巻いた女が、影の向こう側からこちらへと顔をあげた。

「あれ? 成瀬君?」

 野球帽のつばをあげて、パレオから伸びる足のつま先から視線を移す。パレオと同じ柄のビキニ。肩にバスタオルをかけた女と、声に誰なのか考えた。考えた末、口元のホクロで合点する。

「もしかして、前田?」

「うんそうだよ! やっぱり、成瀬君だあ。久しぶりだね」

 目を細めて笑う前田は、高校時代の同級生だった。それでもって高2の春先に、短い期間だったが付き合っていた。とはいっても、互いの家を行き来したり、週末に二人で出かけたりするぐらいの今時珍しいほどに純な恋愛で、恋愛ごっこみたいなものだ。夏が終わり、互いに部活やら受験やらで忙しくなるにつれて自然消滅をした。

「地元に帰ってきてたんだ。てっきり東京の大学に行ったっきり戻ってこないと思ってた」

「ちょっとこっちに帰ってきててさ」

「いいよねーユーチューバーって時間に制約なさそうだもんね」

「あ、まあ」

「成瀬君、歌うまかったもんね。やっぱユーチューバーって儲かるもんなんだ」

「ん、まあまあね。それより、前田はどうしてた?」

 前田の髪はさらさらの黒髪だった。二つに結んだ三つ編みをほどく時に鼻先をかすめる香りに、ドキドキしたことを思い出した。緩いウエーブの癖ができた髪の束を耳にかけるしぐさが可愛かった。

 けれど、今は耳が出るほど短いショートカットだ。聞きたいことはあるけれど、今更聞いてどうなんだとも思う。今の今まで、顔すら忘れていたっていうのに。

「ああ、ずっーっと地元よ。ここはみんな高校卒業したら、いいとこ地方銀行に勤められるか、役所に入るかでしょ?東京の大学に行くなんて成瀬君ぐらいで、みーんな地元にいるから。あ、そうだ。近いうちに高校の同窓会しようよ。成瀬君は、夏休み、いつまでいる?」

 最後のワードは母親を呼ぶ子供の声がかぶさった。前田は、子供の声を聞くなり周囲をしきりに探し始めた。するとどこからともなく現れたピンクの水玉模様の水着を着た女の子が、柔らかそうな肉に覆われた山田の太ももにまとわりついた。

「ああ、萌香。パパは?」

「あっちー」

「あ、私の子供。萌香っていうの。ご挨拶は?」

「こんにちは」

 今、この話をしている瞬間に何年もの月日が経った気がした。ガチャガチャのカプセルの中から、ツインテールの子供が出てきて山田を「ママ」と呼ぶ。それぐらい、同級生に子供がいることに衝撃を受けている。

「あ、私ね、今、吉川だっていうんだ。3年のサッカー部の吉川先輩。覚えてる?」

 僕の様子などお構いなしに、今度は旦那の話へと切り替わった。高校時代のサッカー部の吉川先輩といえば、コンビニでトイレのすぐそばにあるコーナーを重鎮宜しく陣取っていた先輩だ。
 
 赤いニキビでぼこぼこの肌を見るたびに女子も男子も身震いしてた。アスファルトを年中削っていたズボンの裾はほどけてボロボロで、真っ黒な革靴はスリッポンみたいにへこんだまま形が出来上がっていた。
 
 靴の底を踏むことなど、人生であり得なかっただろう女子だった前田が、スニーカーだろうが、上履きだろうが、靴という靴をまともに履いていたところを一度たりとも見たことはない男とカプセルを一緒に開けている。そんな未来に頭蓋骨を叩き割られた気分だ。

「あ、そういえばさ、成瀬君のお父さん」

 急におやじの話になったので身構えた。一体どんなカプセルに手を出したっていうんだ。

「今度、あずみ合併するじゃない?それで、成瀬君のお父さん、新しい市の市長になるんだってね。親子で凄いねえ。さすがは成瀬君だ」

 前田は嘘偽りのない笑顔で微笑んだ。真っすぐに僕を凄いと思い、心の底から父のことを褒めている。こんな田舎町の長なんか、大したもんじゃないし、政治家やら地元の金持ちに上手く媚び売ったから手に入ったポジションってだけだろう。

 東京じゃ、大学出てるのなんか当然で、僕は毎年大量生産される「大卒」っていうカードをぶら下げているだけで、街角で「凄いね」なんて言葉はお世辞でも拾えやしない。大した威力なんかないんだって。この場所しか知らない前田の基準がいかにずれているのかを、いつか教えてやりたい。






 クーラーボックスに押し込まれたビールが溶けた氷水の中で揺れている。何処の海の家の売り子も浜辺をひっきりなしに歩いているから、いつでも喉を潤わせることができる。温くなれば、もう誰も飲みやしない。

「ビール、キンキンに冷えてますよ」

 時折僕を侮蔑する水着の女たちの視線にも負けず、冷やかしに声を掛ける野郎どもにも笑顔で接して、練り歩く。東京での、僕って存在も、肩からぶら下げているビールケースと同じようなもので、誰にも手を伸ばされず、ボックスの中身はいつも満タンのままだった。

 陽炎のなかで揺れる黒い影に空虚さを抱いてる僕は、オフィスビルの立ち並ぶ街にいるのか、砂浜を歩いてるのかわからなくなっている。どっちでもいい。どちらも僕を呼び止める者はいない。

 海の中で愉しげな嬌声を上げて騒ぐ人々は、わざとらしいぐらいに大声をあげている。もっとひっそり楽しんでしてくれよ。と、砂浜でビーチバレーをする男女を僕は嫉妬を込めて睨んだ。僕と同じように砂浜でボールを追いかける人たちを眺めている少女の姿に気がついた。

 真っ白な日傘を差した、濃紺のセーラー服の少女が膝を覆い、砂浜との境にあるコンクリートの階段に腰掛けていた。

 繊細に描かれた絵から抜け出て来た美しい少女が、粗雑に塗りたくられた風景画の中に入り込んでしまったかのように少女の周りだけ、全く違う空気が流れていた。湯気を出す砂浜に居る異様な少女に近づいて、声を掛ける。

「お嬢さん。この暑い中一人で何してるの?」

 白い水兵カーラーと同じぐらいに透き通った肌をした少女が、透かした日傘越しに、僕を見上げた。細い顎先と、桜貝のような淡い桃色の唇。儚げな雰囲気とは相反した意志の強そうな黒目がちの瞳。

 あまりにも整った容姿に圧倒された。乾ききった喉をツバで湿らせたが上手くいかなかった。急に声を掛けられたことに驚いたのか、立ち上がろうとした拍子によろけたのか、クーラーボックスの上へと手を突いた。途端に彼女の体重が、重たいボックスの上に乗り、上体が前へと倒れ込む。

「うわっ」

 そのまま熱を持った砂浜へと体を埋め、氷とビールが詰ったボックスの中身をばら撒いた。「...重い」と、苦痛を訴える少女の声で、自分が彼女に圧し掛かっていることに気づいた。慌てて起き上がり、砂浜に仰向けのまま倒れている彼女に向き直った。ぐっしょりと濡れた服は、中に身に着けている下着の色を浮かび上がらせている。

 レースの布地から視線をそらして、彼女に手を差し伸べる。だが彼女は動かない。少し開いた瞼は視点も何処かうつろで、頬は熟れた林檎のように赤かった。

「え、どっか変なとこ打った?」

 尋ねると、掠れた声で少女が呟いた。なんと言ったのか聞こえずにさらに近づいた。
「めまいが」

「いま、救護の人呼ぶから、待ってて」
 
 立ち上がろうとした僕の腕を彼女は掴んだ。

「そばに...居てもらえませんか?」

(4話へ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?