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余命14日間の彼女と、青信号を渡れないボク *11話*

#創作大賞2023



11話

 思わず叫んだ彼女の名前が冷たい空気をボッと燃やして、周りの人々を息苦しくさせた。ストレッチャーの傍で、銀色の点滴をぶら下げるポールを走らせていた若い看護師が険しい形相のまま顔をこちらへと向けると、「あの、患者様のお知り合いですか?」と、訝しげに尋ねた。その声の渇き具合に心臓が押しつぶされる。

 何を言えばいいのかなど準備しているはずもなくただ、酸素の薄まった頭の中から必死で言葉を取り出そうと口を動かした。

「え……ええ。いや、あの知り合いっていうか、ちょっと知ってるっていうか」

 適当な言葉も出ないまま、うろたえる僕を後回しにすることを決めた看護師は、廊下の先を睨みつけて、ストレッチャーを追いかけた。ICUの扉が閉じられ、再びの静寂が訪れた。

「あの....」

 志歩ちゃんに良く似た声がかかり、僕のすぐ傍に立つ女性へと視線を動かした。
年を重ねた彼女を思わせる姿に一瞬目を疑った。ぺこりと頭を下げる女性が、口を開く。

「調月志歩の母です」
「えええと、な、成瀬蒼央です。えっと志歩さんとは」

 先に挨拶をされてしまい困惑したが、志歩の母親は言葉を続けた。

「”アオ”さんですよね。お話は伺っています」

 母親の態度に困惑する。その間に志歩ちゃんの母親は静かな調子で言葉を続けた。

「志歩と一緒にいてくださった方ですね」

 乾いた空気を飲み込んだ。つまり下手な嘘は通用しないということ。

「あの、その。すみません! 大事なお嬢さんを連れ回してしまい、申し訳ありませんでした!」

 頭を深々と下げたが、彼女を連れ回したのは事実で、それが原因でとんでもない事になっているのなら、こんな緩い謝罪なんかじゃ済まない話だ。しかし志歩ちゃんの母親は首を振って否定をした。

「謝られることは、何一つありません。志歩は、あなたと見た、海の蛍がとっても綺麗だったと、嬉しそうに話してくれました」

「へ? は、話してた?」

 志歩ちゃんの母親が、僕と彼女との思い出を知っていることに驚いた。僕の驚き様に、バツが悪いといった様子で眉を寄せた。

「志歩から預かっていました。あなた宛のファンレターです。万が一の時はあなたへ渡して欲しいと」

 寂しげな表情を窓の外に向けた後、また僕へと視線を戻した。

「ファンレター?」

 ファンレター。という言葉に戸惑った。志歩ちゃんからファンレターを貰う所以が理解できなかった。どういう意味なのか知りたくて、急いで手紙を開くと、最初の一文に視線が吸い込まれた。

『拝啓、『拝啓、 【しんごうき】のアオ様。

いえ、成瀬蒼央さん。あなたは私の推しでした』





『驚いた? きっと気づかなかったよね。だって【しんごうき】のリスナーだって知ったら、線引かれるかなって思ったんだ。だってアオっていつもリスナーには敬語だったもんね。

だから私の推しがアオだってバレて、線を引かれたくなかったんだ。

線の向こう側で、【しんごうき】のメンバーと話すみたいに、一緒に笑ったりしたかったんだ。

だからね、ちょっとだけ演技したんだよ。

本当はもっと子供っぽい話し方だけど、少しだけ大人に見えるような話し方。頑張ったんだけど。どうだった?

少しは蒼央さんの好みの女の子になれていたかな?

ちょっとだけ私の話をしてもいい? 

私に残された時間で、あなたの恋人になろうとした、女の子の話』





Side 調月 志歩




「推しがいる! この街に!」

思わず、スマホを握りしめたまま、病室のベッドの上で叫んだ。

「もう志歩ちゃん。スマホ禁止でしょ」

 心音モニターの調子を確認していた看護師の桃ちゃんが顔を顰めて私を睨んだ。いつものようにスマホを持ったまま、軽く両手を合わせて謝罪のポーズをする。

「ごめん! でも見てみて! このインスタ!」

「うーん、どれ?」

 看護師の桃ちゃんへと、スマホの画像を見せた。古びた小さな駅舎の入り口には細長い一枚板に「安寿海駅」と記されている。その隣には短いメッセージで「#懐かしみ #5年ぶりの地元 」のハッシュタグ。

 そんな駅看板の隣には、私の推し配信者である「【しんごうき】」のアオが、駅の看板を指差したポーズで自撮りをしていた。

 アオは、すらりと高い背に、長い前髪の隙間から覗くのはアーモンド型の二重の瞳。細い顎は黒いマスクで覆われている。

「安寿海町。ってあずみだよね、この街の駅だよね! てことはアオって、あずみが地元ってこと?、桃ちゃん、会ったことある?」

「私がこの街に来たのは看護学校からだから、よく知らないかな」

 身を乗り出して尋ねると、桃ちゃんは首を傾げた。私がこの街に移り住んだのは、疾患が見つかってからだ。それからずっと病院の中で過ごしているから、街は愚か、どんな人が住んでいるかなど、まるで知らない。

「この街に推しがいるとか、やばい、嬉し死ぬ」

「その人って、あれだっけ、ボカロ歌ってる人だっけ?」

「昔ね。最近はずっとチャレンジ動画ばっか。まあ、それも面白いけどね。まあ推しが元気だってツイートしてくれるだけで、私はめちゃめちゃ幸せだから」

 とスマホに頬を寄せる。

「ふーん。推し歴、長いんだ」

「そうだよ。まだピンだった時からだから、5年?すごい5年だって!」

「じゃあ、あれだ、この病院に入院するようになってからだ」

「そっか。はやー」

 推しのあげるインスタをスクロールする。真っ赤なかき氷を頬張る推しを見つけて、「はあ、めちゃめちゃ美味しそうー」と恍惚の吐息を吐き出した。

「かき氷。食べたいな」

 といった呟きが母親の耳へと届いた。

「甘いものは、ダメよ」と即座に咎められる。

「わかってるって。虫歯治療は心臓に負担がかかるんでしょ? ただ推しが食べてるのを見て食べた気になってただけだからー」

「そう?」

「甘いものが食べたくなった時は、お茶だよね。買いに行ってこよ!」




 自販機でお茶のペットボトルを開けて、休憩所のソファーに腰掛ける。テレビでは甲子園の中継が流れていた。高校球児が汗を流してボールを追いかけている。そんな景色から背を向けて、お茶のペットボトルを開けるて、ほうじ茶を喉へと流し込んだ。

 心臓の病気が発覚してからというもの、私の生活から、チョコやケーキなどのスイーツが消えた。そう文字通り目の前から一切合切、消えたのだ。母が徹底的に甘いものから私を遠ざけてくれたお陰で。今では、お茶の甘みですら私にとっては、スイーツに感じてしまうほどだった。

 でもいつか私の心臓を治すことができる薬ができて、普通の女の子と同じように、恋愛をしたり、する日が来るんだって信じてる。たとえそれが、どんなに遠い未来だとしても、“いつか“が来るのなら。耐えられる。その”いつか”が来るまで、私は生き続けるんだ。

「あはは。推しの舌、真っ赤」

 インスタに上がる写真には、赤いシロップがかかったかき氷を食べて舌を真っ赤にさせておどけた様子で笑う推しがいた。カメラに向かって舌を出す無防備な表情を指先で触れる。スワイプさせて、スプーンに乗るかき氷を拡大した。「アーン」と、口を開けて、スマホに近づく。

 すると廊下の先で、悲鳴のような声が聞こえた。その声が母親のものだと気づいて、席を立つ。点滴台をつかんで車輪を急いで回転させる。徐々に母の声が大きくなってゆく。母は興奮した様子で、病室にやってきた父と睨み合っていた。

「ママ」

 声かけようとしたその時、母親が地面へとくずおれた。そんな母親の肩を父親が抱く。

「18まで生きられないって……、そんなの。だってあんなに元気じゃない」

 顔を覆い項垂れる母の肩をさする父親は、「受け入れるしかないんだよ」とどこか自分に言い聞かせるみたいに強く母親のそばで語る。

「無理よ。そんなのあの子に言えないわ」

「……そうね、残りの時間を大切にしなくちゃ」

 言葉が切れ切れに聞こえ、私はちゃんと話を聞こうと、両親のいる病室へ向けて、廊下を進んだ。母は父の言葉に何度も頷いている。

「そうね、あのこの残された寿命を考えたら最善の選択よね」

——寿命?

 その言葉の”あの子”が、”私”とリンクする。残された寿命。私の生きられる時間はあとどれぐらい?

 突然の目眩に襲われて、足元がふらついた。よろけた先に何かがあって、気づくと廊下の床に人が倒れた。左腕に鋭い痛みが走る。

 スカイブルーの廊下の床の上にオレンジ色の点滴パックが床に落ちて、点滴が抜けた腕から血飛沫がパッと広がった。まるでその光景は、クレヨンで描いた真夏に浮かぶ太陽のイラストみたいだった。だが、「志歩?」という母親の驚いた声を聞いて、私は、その場から全力で逃げた。




 屋上へと出ると、さっきまで廊下の床にいたはずの太陽は、今は空に浮かんでいて、ジリジリと頭のてっぺんを焼いていた。青空がどこまでも続き、空には雲ひとつない。太陽の熱で身を灼かれながら、コンクリートの上を進む。屋上の地面は、こちらとあちらを分けるみたいに、綺麗に分断されていた。

 地上で踊る私と、命が闇に飲まれる私。
 私は今、この境界線に立っている。
 緑色のペンキで塗られた柵までたどり着くと、バンと扉が開く音がした。

「志歩!」

 母が私の名を叫んだ。屋上の手すりにようやく辿り着いた。鉄の柵がそこにあることを確認するかのように強く握りしめる。心臓が弾けそうなほどに軋んで悲鳴を上げている。腕をぬるりと伝うのは点滴を無理やり引き抜いたせいで流れる、生暖かい私の血だった。脂汗は頬を伝い、視界がぼやける。

 朦朧とするのはこの暑さのせい。そしてきっと階段を駆け上がったせいで、心臓のポンプが追いついてないんだ。いつのまにか、私は走ることも、階段を駆け上がることも出来ない身体になっていた。

「来ないで!」

「……志歩、落ち着いてちょうだい。話を聞いて」

「いつ死ぬの?」

「死なない。死なないから、だから聞いて」

 大人はいつでもそうだ。真実が私を壊すと信じている。

「正直に話してよ。私もう子供じゃないよ」

「手術を受けて欲しいの」

「手術……薬だけじゃもう無理ってこと? 今のままじゃ18才まで生きられないの?」

というと、母の目が大きく開かれた。

「聞いてたのね。成功率は低い。けれど、今、手術しなかったら長くは生きられないの」

「失敗したら死ぬ。今のままでも死ぬってこと。18歳ってもうすぐだよ」

 来月、私は18歳になる。それはちょっと早い残酷な神様から受け取った誕生日プレゼント。命の入った砂時計を突然、手渡されて、砂が落ち切った時あなたの命が尽きるのよ。と教えられた。

 治らない。
 生きられない。
 死が私の首を真綿で締めてくる。

「無理、手術なんて、死ぬかもしれない何て、……そんなの、むり。手術代が私の最後の場所? 残りの1ヶ月ずっとパジャマでエタノールの匂いのなかで過ごすの?」

「わかるわ、でも」

「分かってないよ!! 私の世界がどれだけ狭いか、どれだけ我慢して生きてるのか、ママがわかるはずない! もう、いい、もういいや。手術なんか受けない。死んじゃうぐらいなら、このまま推しを推したまま死んじゃいたい」

「志歩ちゃん、どこ行くの?」

「どこ? そんなの私の場所なんて、病室以外にどこがあるの?」

 ぽたっと血が、履いている白い靴下と落ちて赤いシミを作った。じんわりと白い布に広がる血が次第に滲み始めて、視界から消える。意識がコト切れて、私はその場に倒れた。母親が悲鳴をあげるのが聞こえる。誰かが私を抱き起こす。

 どこにもない。私の場所なんて、ここ以外どこにもない。スマホの中で推しを愛でて、病院のベッドの真っ白なシーツの上で死んでいく。 
 そんな人生しか、今の私には無いのだろうか。


(12話へ)


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