彼朝ごはん 3話「土鍋玄米ご飯とアゴだし赤味噌汁」(1)(脚本版)
3話 「土鍋玄米ご飯とアゴだし赤味噌汁」(1)
○デザイン部・廊下(朝)
澪N「4月も中頃に入った季節。だいぶ暖かい日も増え、少しずつコートを脱いで春物へシフトしていく頃合いでしょう。本日は絶賛デスマーチ中のデザイン部へとお邪魔しています」
澪、大きなトレイを抱え、廊下を歩く。
トレイの上には、「おむすび」が大量に並んでいる。
澪N「早朝、デザイン部のフィッティングルームへと向かうと、トルソーを囲んだ状態で腐乱死体化しているデザイナーたちへと、遭遇できます」
廊下の端っこにトルソーとトルソーの隙間に転がっている人。
椅子に座り布を握りしめたまま、こっくりこっくりとする人。
ハンガーラックのパイプを抱きしめて眠る人。
の脇を、澪、颯爽と歩く。
○デザイン部・チーム前園結衣のフィッティングルーム
結衣、部屋の端に置かれた大きな裁断机の下で猫のように丸くなって眠る。
テーブルの上で大の字で眠る結衣のメンバーたち。
澪N「6月に催される秋冬物の展示会準備のために、彼らは、身を粉にして働いているのです。そんな会社のために命を捧げる彼らのために、本日はおにぎりの差し入れに参りました」
澪、テーブルの上にトレイを置くなり、声を張る。
澪「お疲れ様です! 朝食をお持ちしました! 皆さんでどうぞ」
ゾンビの集団のようにゾロゾロと机に集まり出すデザイナーたち。
無気力、無言のまま、おにぎりに齧り付く。
男1「みんなが屍のようになってるのに、いつも通りの美貌、さすがだよな」
男2「てゆうか、俺らのために握ってくれたとか感動なんですけど!」
結衣、おにぎりを両手で持つ男1、2の間に割り込む。
結衣「てめえらのためじゃないから、あたしのだから!」
と、おにぎりを握る男2のおにぎりを、そのまま齧り付く。
男2「お、俺のおお!」
結衣「うまうま〜」
澪M「——いつも通りの美貌? そんなはずないでしょ?」
デザイン部のみんながおにぎりを齧っている。
澪、部屋を出る。
○廊下
澪、廊下を歩く、
澪「デザイン部が遅れに遅ている納期のせいで、広報はいまだにメイン商材が決められずに広告打てなくて、ページに穴を開けたままなのよ。
下準備にも労力がいるし、モデルのスケジュールを抑えるのも、パンフの製作にも期限があるの。
四方にどれだけ頭を下げているか、知ってる?
お願いだからこれ以上、スケジュールをずらさないで!
——っていう静かな圧を、どうか気づいてくれない?
そうじゃないと、いつか差し入れのおにぎりが、恨みのこもったものに変わるんだから」
澪、「スタジオL」と記された扉の前で立ち止まる。
スタジオの中は照明がついていない。
しばらく部屋の扉を見つめ、スッと視線を外す。
澪「って、言いたいけど言わない」
エレベーターホールにたどり着くと、背後からバタバタという足音がする。
大我「澪さん! おはようございます!」
澪「おはようございます」
と、大我、駆けてきて、澪の隣に並ぶ。
両手には、おにぎりが握られている。
大我、溌剌とした笑顔で、疲れという色が見えない。
澪M「金色の髪……、今日はやけに眩しく感じるな」
風早「今日はどのチームのモデルですか?」
澪M「そういえば、バイトのフィッティングモデルと勘違いさせたままだったっけ。だからといって自分の立場を明かすほど、優しい人じゃない」
澪、エレベーターのボタンを押す。
澪「ああ、うん……」
と大我からスッと離れる。
その距離をスッと大我がすぐに埋める。
澪の顔を覗き込み、
大我「もしかして……、わからないんですね!
じゃあ僕、調べてきますよ!」
とその場を離れようとする。
澪、慌てて、大我を止める。
澪「大丈夫! わかってるから!」
風早「僕でよかったら、頼ってくださいね!」
澪「風早さんも無理して倒れないように」
大我「はい! めっちゃ頑張ります!」
澪M「だから、頑張らないでねって、言ったんだけど、伝わってる?」
エレベーターが開く。
大我が両手を振って見送りをしている。
元気いっぱい、尻尾を振りまくる大型犬のよう。
金色のふわふわの髪が広がる。
澪M「ライオンかと思ったけど、あれは、わんこだなぁ」
根負けして、小さく手を振りかえす。
大我、振りかえされたのが嬉しくて、その場でぴょんぴょんと跳ねだす。
澪M「若っ。若いなあ……」
○エレベーター・内
エレベーターが動き出す。
澪のスマホが鳴る。
取り出すと、保から、「今夜、空いてる?」のメッセージ。
○レストラン(夜)
1話と同じ地中海レストラン。
同じ席で、保と澪、食事をする。
テーブルの上には、オマール海老のグリルの皿。
澪、それを口に運ぶ。
澪「うーん、プリップリ! おいしい!」
と顔を綻ばせる。
それを肴にして保、シャブリを飲んでいる。
澪も同じようにグラスを傾ける。
澪「香ばしいオマール海老と、冷たいシャブリの相性も最高〜」
と幸せそうに食事を楽しむ。
保、グラスを揺らしながら唐突に、
保「会社を売ろうと思ってる」
澪、テーブルにグラスを置く。
保「随分前から、今の会社が、自分のやりたいビジョンと噛み合わなくなってるって思っててさ。このまま歯痒い状態を続けるぐらいなら、いっそゼロからスタートするのもありかなって思ってね」
澪「それで会社を売るんですか?」
保「うん……。
だから、俺はCEOではなくなるけれど応援してくれるかな?」
澪「勿論です」
と、微笑む。
保も頬を緩める。
保「でね。以前、自分のビジョンにマッチする企業と出会ったんだ。まずはそこを基盤にして事業として大きくしていこうと考えている。月末には諸々の準備が終わるから、来月にはアメリカに自分の拠点を移すよ」
澪「(驚いて)来月!!……って、急ですね……」
澪M「保と会えなくなるなんて、彼の仕事の方向転換で彼と私の時間が壊れるなんて思ってなかった」
スッと保の手が伸びる。
ふと澪、保を見る。
保、澪を見つめたまま。
保「一緒に来てくれる?」
澪「……」
保「澪の未来を、俺に預けてくれるかな?」
澪「ま、また」
と冗談だとはぐらかそうとする。
が保の顔が笑っていないことに気づく。
澪N「彼の要求に応えるのは簡単だ。仕事を辞めて彼の起業を支えてやればいい。愛する人のためならば、それぐらいの決断は、なんの苦労でもない。
——けれど、私の背後に立つ暗闇が、それを引き止める」
○澪の家のダイニングキッチン(夜)
薄暗い部屋の中。
キッチンのダイニングテーブルの椅子に置かれたクマのぬいぐるみ。
目がきらっと光る。
瞳の奥の黒い渦。
○水中(夜)
暗い水の中、溺れる澪。
もがいて手を伸ばす。が、澪の背後から青白い女の腕が伸びる。
青白い手のひらが、澪の顔を覆う。
○レストラン(戻り)
澪「ハッ」
と、息をすることを忘れていたことに気がついて、勢いよく息を吸う。
額には汗。心臓がどくどくと高鳴っている。
それを抑え込むようにグラスを掴み、水を飲み干す。
澪「あの、保さん」
保「すぐじゃなくていい。
澪には澪の世界があるだろうから、ゆっくり考えて」
保、澪の様子に気づいたかのように、早口に言うと席を立つ。
澪の頬へとキスをして、手の中に小さな箱を押し付けた。
保「おやすみ」
といい、レストランを颯爽と出ていく。
澪、保の後ろ姿を見送る。
手のひらの上にある箱へと視線を落とす。
澪「……」
(4話へ続く)
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