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余命14日間の彼女と、青信号を渡れないボク *8話*

#創作大賞2023



8話


 それに彼女は戸惑ったように瞳を揺らした。揺れる彼女の瞳を見つめる。その奥に隠した想いを暴きたくて、一歩彼女へと近づいた。

「あ、蒼央さん?」

「志歩ちゃん。僕さ」

 突然、頭上のスピーカーから、5時30分を告げる音楽が流れ出した。デジタルな歌に彼女がクスッと笑う。

「良い子は帰る時間。らしいです」

 彼女の笑顔に釣られて、笑ってしまった。

「そうだね、帰ろうか」






 既に周りは真っ暗になったなかゴーストシャークへと戻ると、ウッドデッキにまで人がいるほどに盛況だった。夜のゴーストシャークは、落ち着いた雰囲気のナイトバーへと変わる。

 海風に吹かれ、休憩がてらにやってくるカップルがターゲットだ。だから簡単なカクテルぐらいは提供している。客の波をかき分けて、カウンター裏でドリンクを作る海斗へと声をかける。

「わりい、遅くなった」

「遅くなりました」

「ごめん、なんかさ、この前の24時間ライブで海の映像流すってやつやったじゃん。それで、なんか写りたい奴らが集まったみたいでさ」

 と、海斗は、ウッドデッキの柱に取り付けたカメラの下で、ワイワイと騒ぐ人々へと顎先をクイっと動かす。

「早速、効果あったじゃん」

「だな。で悪いんだけど、こっち手が離せなくってさ買い出し頼めるか?」

 メモ紙を胸へと押し当てた。書かれているのは、アルコールの名前ばかりだ。どうやらだいぶ急ピッチで酒が減っているらしい。

「私はどこを手伝いましょうか?」

 僕の背後にいたはずの志歩ちゃんが顔を出して海斗に尋ねた。海斗は突然、志歩ちゃんに声を掛けられたことに驚いたようにはにかんだ。

「えーでも志歩ちゃんはゲストだからさー。お手伝いとかはさ―」

と口先だけのセリフを海斗は吐く。

「お手伝いしたいんです。させてください」

「じゃ甘えちゃおっとー! 僕、接客するから、ユタさんのサポートをよろしく!」

「了解です!」

 志歩ちゃんは上官に命令を受けた兵士の如くきびきびとした動きで、エプロンを掴むと急足で奥へと向かった。再び、ウッドデッキを進んで、階段を降りる。海斗から渡されたメモを見ると、ほとんどが酒の銘柄ばかりだった。

 東京だったら、簡単に集められるだろうが、この田舎にあるだろうか。僕の考えを悟ったように、ウッドデッキへと出てくると海斗が店の扉をバンっと開けて、僕へと向かい叫んだ。

「全部揃えるなら、駅前のスーパーか、浜田屋!」

 仕方なく自転車を反転させて、安寿海駅へと向かう。20分ほど走らせ、浜田屋へと入る。

 駅前のスーパーでも構わないだろうが、浜田屋の爺さんのところへと寄る。子供の頃はよくそこで駄菓子を買いに来ていた店だ、懐かしさを味わいたくて店の引き戸を開ける。

「いらっしゃい、お? なんだなんだ、珍しい顔が来たな」

「ご無沙汰してます」

 浜田屋のおっさんは、丸メガネを鼻先からずらして、睨むように僕の方を見た。短く刈り上げた髪は真っ白になっていて、白いランニングシャツと緑色のジャージにつっかけサンダル。格好は変わらないものの、肌は日に焼けて古い樹木の皮肌のように深いブラウンだった。変わらないのは身につけている服と、頭に被る「G」マークがついた黒い野球帽だけだ。

 あれだけは昔から変わらず年季が入ってくたくただ。ああそうか。僕が大人になったようにおじさんも歳をとったってことか。そんな当たり前のことを改めて思った。きっと小学校の僕なら考えもしなかった。浜田屋のおっさんも歳をとるってことを。

 買った商品を自転車の荷台にセットしていると、これ食えと、浜田屋のおっさんは、店先にあるアイスケースから棒アイスを一本取り出して差し出した。

 きっとおっさんの中で、僕は、泥だらけの野球のユニフォームを着たクソガキのまんまで止まってるのだ。なんだかこそばゆい感覚でそれを受けとって齧った。野球帰りに食べたサイダーのアイスはこんなんだっただろうかなんて過去の記憶を思い起こしながら冷たさを噛み締める。半分ほど食べたところで、おっさんは薄くみみずの這った文字で書かれた領収書を僕へと差し出した。

「アイスごちそうさんでした」

「ああ、また来いよ。伸一」

 僕が口を開く前に、さっさと、浜田屋のおっさんは座敷に引っ込んでしまった。おっさんは間違えたなど微塵も思ってない。

「親父じゃねえよ……、僕は蒼央だよ」

 サイダー味の最後のかけらを口に運んで、齧らず飲み込んだ。胃へと流れ落ちていく冷たさに悪態をつきながら、錆びた一斗缶のなかに、木の棒を放った。



 ビニールひもで、きつく結束された焼酎の瓶を、背中に担ぐ。ペダルに再び足をかけたとき、見覚えのある白いワンボックスが見えた。鉄の扉が開くと、白んだ光に囲まれた仁王立ちの姉が此方へと向かってくる。

「話があるんだけど。ちょっといい?」

「僕のことなら、もう放っとけよ」

「あんた、女の子と一緒にいるんだって?」

 夜風に桃の甘い香りが漂ってる。まだ、捥ぎ切れてないんだろう。枝葉の高い実はおふくろには届かない。親父は庭には興味がないから、渉に頼むか、熟れて落ちるのを待つほかない。

 丁寧に剪定された松の木の脇へと、ユタさんの自転車を置いた。すぐ戻るつもりだったのに、志歩ちゃんを長く待たせてしまいそうだ。海斗と一緒といえど、心が急いてしまう。

 土間には、天井に付くほどの高さまである安寿海村の大きな地図が貼られている。この街が新しくなっていく様を刻んでいるそれは、様々な地形の土地の枠に、筆で持ち主の名前が書かれている。篠田家、住吉家、白浜家など、その家の名前の上にはオレンジ色の丸型のシールが貼られていた。

 時に5つ6つと、オレンジの丸が一つの区画にひしめき合うところもあった。そのほとんどは、目の前が砂浜が広がる海岸沿いだ。丸い点は、志歩ちゃんと見た波打ち際の砂浜を覆う海ほたると同じで細く長く広がり点在している。

「ねえ、あんた、未成年の女の子と一緒にいるって本当?」

「海斗から聞いたのか?」

「この街は狭いの。あんたがどこで何してるのか、すぐ噂になるのよ」

「これだから田舎は嫌いなんだよ。少し道に外れたことをすれば、すぐに噂になる。いい話も、悪い話もあっという間ずっと、ちっぽけなまま。こんな村さっさと飲み込まれろよ」

 姉は、僕の言葉に賛同せずに、麦茶をごくりと喉を鳴らす。薄らと角みたいに突き出したのどぼとけがリズミカルに上下に動いてる。竹を編んだコースターの上に氷だけになった麦茶を置くと、膝をパンと叩いた。

「あんただけの話じゃないの。この町で暮らしてるのは、私たちなの。あんたが馬鹿なことすると、私たち家族が肩身狭くなるのよ。どうやったら恥ずかしい生き方しないでくれるの?」

「……さあ?」

皿に盛られたスイカに手を出した。まだ生ぬるい、慌てて切ったんだろうそれを齧った。強烈な甘みが口の中に広がった。

「お父さんは、ずっとこの街をよくしようと頑張ってきた人なの。街を新しくして、きれいにして、新しい人にもきて貰えるようにって、頑張ってる人の足を引っ張るような真似するのやめなさいよ」

「別に未成年の女の子と遊んでるカラって、足を引っ張るってことになるわけ?」

「は? あんたわかってないの?」

「観光業がないと、この街の行政が成り立たない、この町で、わざわざこんな辺鄙な土地に訪れてくれた子をおもてなしするのが何か間違ってんの」

「ちょっと、いってる意味がわかんないんだけど」

「ホストクラブひとつないじゃん。僕がご奉仕して何か問題が?」

バン。大きな音が響き、テーブルの上のスイカの盆が浮き上がった。

「馬鹿なこと言わないでよ! そもそもその子、未成年なんでしょ!」

「まず、うちを新しくしようよ。 補助金出るんだろ?。建て替えようぜ。このぼろい家をさ、新しい風を入れないから、考えが古いままなんだよ」

「古いとか、そういう話をしてるんじゃないのよ! あんたの行動がお父さんを苦しめてるの、ユーチューバーとかなによ、ただの社会不適合者じゃない!」

 赤茶色の一升瓶を掴むとガラスのコップに注ぎ入れた。枡もないのに勢い良く注ぐから案の定零れた。僕のあーあという言葉を、姉は無視してグラスを蒼央った。

 怒りながらも姉は真面目に僕の質問に答えた。だが僕は弁解紛れな言葉に皮肉で返した。カッと顔が赤くなったが、僕を憎らし気に睨んだだけだった。爪先で種をほじりながらスイカを食った。スイカの甘みがなくなって、ただ蒼央臭い汁が口の周りをべたつかせてる。冷えた井戸水で絞ったおしぼりを広げた。

 「もうほっといてよ。僕のことなんか、死んだと思ってくれりゃいいって」

 突然、僕の腕を姉は掴んだ。唇をワナワナと振るわせて、僕を睨みつけている。

「あんたはうちの長男で、この家の息子なの。だから、考えてよ。ちゃんと!……あんたは何者なのかってことを」




 冷たいガラス瓶を僕の耳たぶに海斗は当てた。熱気が渦巻くボイラー室にいた僕は、差し出されたそれを素直に受け取る。

「姉ちゃんと喧嘩したんだって?」

「近所にまで響いてたらしいよ」

「ははっ。姉貴、恥かいたな」

「お前の姉ちゃんの言い分もわかるよー。だってこの街じゃ、お前って存在はどこに行っても目立つからさ」

「異物だって言いたいんだろ?」

「そうは言ってねえよ。ただ、お前の親父はこの街のために努力してる人だからさ。お前が邪魔すんのは違うんじゃねえ?」

「なんもわかんなかったよ。たった4年じゃ、何もわかんねえよ」

「だったら東京行けよ」

「東京は僕の場所じゃない」

 海斗は駄々をこねつづける子供を見るような冷めた目つきをして言った。

「なら、お前が帰る場所ってどこ?」

 海斗は、安寿海の代弁者のようなことばを僕へとぶつけると、ボイラー室を出て行った。ごうごうと、音を立ててメーターの針が振れた。ダイヤルをほんの少しまわして火を弱める。汗を拭い、サイダーの中身の残りを喉へと流し込んだ。飲み終えたガラスの瓶に、ゆがんだ炎がゆらゆらと揺れていた。





「志歩ちゃん。ここにいたんだ」

 蒼く光る海岸に、作業着姿の彼女のうずくまった背中が見えた薄紫色の作務衣は闇の中だと紺色に見えた。

「あ」と僕のほうへと振り向くと、両手をあげて手招きをする。

 砂浜に置かれた懐中電灯を拾い上げて僕へと向けた。その光の前へと両手をかざすと砂の中から小さな貝殻を小瓶へと集めている。薄いピンク色の貝がいくつか、小瓶の中に収まっていた。

「こんな暗い中で、貝殻集めてるの?」

「本当は海ほたるを集めようと思っただけど、どうやったらいいのかわからなくて。今夜は青くないんですね。海」

「ああ、この前は、珍しかったんだよ」

 今夜の海は暗く静かだった。海ほたるのほかにも、夜光虫も海に発生していたんだろう。あれほど海が青に染まるのは、そうそう出逢えない。

 砂浜に捨てられた熱で変形したべこべこのペットボトルがあった。溶けてところどころに穴が開いてたが、砂に埋まっていたからか、底は無傷だった。それと、木の枝に引っかかりカサカサと音を立てていた黄色いビニールテープを巻き取って、ペットボトルの口に巻き付ける。
 
 ウインドブレーカーのポケットの中を海斗ぐった。一本、ビニール袋に包まれた魚肉ソーセージが出てきた。オレンジ色の先を齧って、飛び出したピンク色の肉を、指先で千切った。それをさらに小さく千切り、ペットボトルの中へと落としていった。

 僕の様子を興味深そうに彼女が首を伸ばして眺めてたので、「これは、海ほたる捕獲機」と、朽ち果てかけていたペットボトルに分不相応ならしからぬネーミングをつけて誇らしげに胸を張る。

「海ほたるは、なんでも食べるんだ。これを海の中にセットすれば、餌につられて海ほたるが集まるって寸法」

「へえ」感心した声が上がり、ますます背が反り返った。

 ビニールのひもを大ぶりな石に巻き付けたあと、僕と志歩ちゃんは、流木に腰かけて海を眺めた。

「厨房でお手伝いしたんです。といっても、お鍋を混ぜたり、盛り付けただけですけれど」

「いろいろ手伝わせちゃったみたいだね。ごめんね。疲れたろ」

 僕がいない間に海斗にこき使われて、大分くたびれたはずだろうけれど、目をキラキラとさせて、僕がいないあいだ見たことを語り始めた。

「いいえ、私が何か手伝いたくって。カレーのお鍋を混ぜたんです。そのお鍋が、とっても大きくって。大きなお鍋をかき混ぜるしゃもじも、お玉も、大きくって、自分が小人になった気分になりました」

 彼女は、おかしそうに、素直に驚きを表した。そんな無邪気な彼女を可愛らしいと思った。

「それに、お料理が冷めないうちに、おいしそうに並べるのって、とっても難しいんですよ。料理を作るのって、凄く大変なんだなあって。いつもは食べるだけだから。そういうのがわかって、よかったなって思います。とっても大変だったけれど、でも、とっても楽しかった」

 ここに来る前の彼女はいったい何処にいたんだろう。普段どんな場所でどんな食事をしていたのだろう。誰と、一緒にご飯を食べているんだろう。でもそれを聞いたら、また悲しそうな顔をされると思うと、踏み込めなかった。

「そろそろいいかな」

 暫くしてから立ち上がって岩の下からテープを掴んだ。潮が引き、僕の手の甲を沖へとぐっと引っ張ろうとした。それをゆっくりと手繰り寄せる。中には海水と砂が詰まっていて、その中に海ほたるがいるかどうかなどこの状態ではわからない。ウインドーブレーカーをぬぎ、浜の凹みに敷いた。そこにペットボトルの中身をこぼすと、途端に青い光りでウインドブレーカーが埋め尽くされた。

 服の隙間から水が流れていくと、残った青い光は水の中に細い線を残すことをやめて身を寄せる様にまとまり始めた。砂はさほど入ってはおらず、この捕獲機はまずまずの海ほたるを捕まえられたようだ。

 僕の服で濾されて、徐々に光を弱めていく海ほたるを見つめて、

「まだ生きられるのに、ごめんなさい。命をもらってしまって、ごめんなさい」と謝った。

「誰かの道しるべになるっていう使命を持って死ねるなんて、すんげえ幸せな死に方、じゃなかったっけ?」

 月の下だというのにわかるほど頬を赤らめて彼女は「そうです。もし私が死ぬのなら、あなたの道標になりたい」と頷いた。




 志歩ちゃんが来るようになって、客が増えたこともあり仕事を終えるとクタクタで布団に飛び込む日が増えてきた。深夜遅くに花火をする音に目を覚ました僕は、階下に降りてキッチンへ向かった。

 真っ暗なキッチンの中、人影がゆらっと動いた。その手に持っているのは長包丁で、僕は思わず悲鳴をあげた。

「うっせえよ」と面倒臭そうに言葉を吐き出した声の調子を聞いて、はたと動きを止める。そこには褐色の肌をしたユタさんがいた。ビールケースをひっくり返した上に腰掛けている。「いるか?」と手に握られた桃を差し出した。

「い、いえ、大丈夫です」

「ああそう」と、ナイフの白桃の表皮に差し込み、スッと引く。手慣れた様子で薄く切られた白桃の端を口へと運んでいった。

「水……、を取りに来たんすけど」

 と冷蔵庫を開けて冷気に頬を晒した。

「今日は水にしとけ。明日も配達多そうだからな」

 僕がビールをこっそりと飲んでいるのを知っているかのように指摘され、仕方なしに水のペットボトルを取り出す。

「そういや、そろそろ志歩ちゃん誕生日だったな」

とユタがさんが呟いた。そうだ。もうすぐ約束の14日目になる。つまり、彼女の死へのカウントダウンが迫っている。

「余命14日間って一体なんなんですかね」

 彼女は毎日普通に過ごす。日々喫茶店でバイトをして客に笑顔を振り撒く。ごく普通な生活。そんな日常を死ぬ直前まで続けるものだろうか。もし僕なら、もっと欲に塗れた生活をするはずだ。

「それってさ、少女でいられる最後の14日間ってことだったんじゃないかな。この国じゃ18歳になったら成人して、大人って生き物に変化するわけだろ。それは同時に少女って生き物の死でもある。少女であった彼女は死ぬ。その余命が14日間ってことで、少女時代のフィナーレを飾るために、お前が彼氏役に抜擢された」

 ユタさんが、再び桃にナイフを差し込んだ。ぱたたっと水滴が、キッチンのコンクリートの上に落ちて床に小さな水溜りが生まれた。

 「なんかそう言われると、僕が彼氏に選ばれた理由がしっくりきます。彼女が成人する前に最後の少女時代を満喫したかった気持ちは、分からなくもない」

 ユタさんでもない、海斗でもない、僕っていう存在が彼女の中の少女時代の最後を彩るのにちょうどいい相手だったと言われれば、そんな気がだんだんとしてきた。もしそれが理由なら、僕の心はきっと苦しまない。

「だったらさ、カウントが0になるまで、一緒にいてやんなきゃじゃね?」

 と、言うなり何かがこちら側にヒュンと飛んできた。そのまま僕を通過して背後にあるゴミ箱へと落ちる音がした。「ないっすシュー」とユタさんが口笛を吹き、厨房を出て行った。ユタさんがいた足元の床には、まだ小さな水たまりが残っていた。


(9話へ)

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