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noteが「街」だと言うのなら、私はきっと「ホームレス」。

屋根も壁もないけれど。
心ある限り言葉を紡ぐ。

つい先日、「note勉強会」なるものに
参加させてもらった。

内容も充実していて、参考になるなぁ…と
画面の前でウンウン頷きつつ。
約1時間ほど、いろいろ教えて頂いた。

そんな中、とても印象的な説明があった。

「noteは喩えるなら『街』です。」
「自分が「どんな立場」かを表明するのは、
自身の「住んでいる場所」を相手に伝える
ようなもので、発信する上で大切な事です。」

開始してから4、5分の、触りの部分。
確か、こんな感じだったはず。

言い得て妙。とても良い比喩だと思った。
「住所」=「立場」がハッキリしている人は
とりあえず信用できる。

どんな話をするのかもイメージしやすくなり、
noteを読みたくなる気持ちも増す。

良く読まれているnoteクリエイターは、
こういう当たり前の要点をきちんと押さえて
いるのだろう。

さて、その一方で。
こうも思った。

「あれ、私、家ないのでは…?」

雑食と嘲笑われてもおかしくないほど、
扱うテーマやジャンルに統一感がない。
「何者か?」と聞かれても、まともに答えを
返せないレベルで、肩書きや背景が乏しい。

プロフィールや自己紹介もイマイチ。
作りが頼りないし、太い柱も見受けられない。
さながら、仮住まいのテントのようだ。

用意していたのは「気分」だけ。
まだ私には「家」と「住所」がなかった。

noteの中で、私は「ホームレス」だった。

みすぼらしい奴は信用されにくい。
ろくすっぽ、話も聞いてもらえない。

「noteは『街』だ」という表現から、
自分の投稿したものが読まれていないこと
めちゃくちゃ合点がいってしまった。
合点ラッシュだった。

さてさて。
私はどうすべきか。

素直に「家」を探すのが無難だろう。
自力で厳しいなら不動産に相談してもいい。
世間体、もといnote体を大事にするなら、
そもそも読んでもらいたいなら、当然だ。

…が、しかし。
「ホームレス」は本当にダメなのだろうか?

「どこにも住んでいない」は言い換えれば
「住む場所を常に選べる」ということだ。

好きな場所にテントを張れば、毎日違う景色、
毎夜違う星を見ることができるだろう。

路地裏でもどこででも「生きる」=「書く」
ことができれば、さぞ逞しいクリエイターに
なれるはずだ。

そう思うと、noteの街で「ホームレス」
なのは、案外悪くないのかもしれない。

むしろ、雑食の私にとっては、そちらの方が
過ごしやすいかもしれない。

「家」探しの努力が上手くいかず、少し
気力も萎えかけていたが、「最終手段」を
見出せたことに少し安心している。

ただ、デメリットの方が大きいのが現実で。
実際問題、苦労している。
まだまだ私には、試行錯誤が足らないはず。
もう少し、「家」を探す努力はするつもりだ。

最後に。
現実世界でホームレスは、流石に御免被る。
あくまで、note上ならではの表現として
受け止めてほしい。

そして。
ななうえ本体は毎日お風呂に入っている。
「健康かつ清潔なクリエイター」として、
これからもお付き合い願いたい。

それでは、また。

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