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神様っていると思う?

クリスマスが近くなって、町が華やかに飾られる季節。
学生時代、クリスマスはいつも歌とともにありました。
中学高校はプロテスタント、大学はカトリックの学校の
しかも聖歌隊に所属していた私は、クリスマスといえば
たくさんの本番を控え、緊張の日々だった気がします。
社会人になってからはすっかりキリスト生誕の行事とは縁遠く。
子どもが生まれてからはプレゼントに翻弄される
アドベントの日々となっています。


神様っていると思う?
不意に我が家の小学生から質問を受けました。
神様ねぇ。
長いこと聖歌隊なんてしていて、
神様が身近だったからこそ言葉につまる。
「大いなるものはいると思ってるよ。」
そして、彼女はどう思うのかを聞いてみました。

「私はいないと思う。」
はっきりとした口調に少し驚いて、
理由を聞いてみたら、
「もし神様がいるなら、みんなが苦しむようなこと、起こらないと思う。」そうだよねぇ。
彼女も保育園はキリスト教系で、活動の端々に
神様がいた故に思うことがあるのかもしれません。

人間の幸せのためにいるはずの神様が、
争いの種になることがある。
なんでだろうなぁというのは私の長年の疑問。
知らないのに、よいも悪いもないよねぇ。
キリスト教しか知らなかった私は、
知識と情報量の差に不公平を感じて
イスラム教のワークショップを開催したことがあります。


そして先日はHUCのイベントでモスク見学ツアー。


素晴らしい解説を聞き、美しいモスクを見学しながら、
キリスト教もイスラム教も仏教も、それぞれに
影響しあって世界が発展してきたことを改めて思います。
そして建物にしろ絵画にしろ音楽にしろ、
神様を想うゆえに作られたものがアートとして人々の心を惹きつける。
神様が人類にとって必要かどうかと言ったらやっぱり必要。
信じることで救われることもあるでしょう。
争いの種にならないために何が必要かと考えていて

「誰も否定しない」ってことか!

と何やらとってつけたようなところに思い至りました。
世の中の争いは、大概「自分だけは絶対に正しい」と
思いこむところから始まっている。

久しぶりに聞きに行った
後輩たちのクリスマスコンサート。
涙が出るほどに美しかった。
神様がいるかどうかは私には分かりません。
ただ私はやはり聖歌の美しさに感動します。
その心の震えは大事にすればいいんだな、と
思考は元の位置に戻って落ち着きました。

ちなみに今の家には神様に関するものは何もなく、
実家は仏壇と神棚が同じ部屋にあるようなふつーの日本人家庭です。

『母親アップデートコミュニティ公式のアドベントカレンダー「クリスマス ストーリー」(https://note.com/huc/n/n1f310d3ac306)の記事です』
ニューヨークのよこねぇからバトンを頂いて
仙台で活動する敦子さんへ。
バトンを繋げたことに感謝します。

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