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ヨーロッパの「魔女狩り」の誤解

私は一応西洋史を専攻したが、「魔女狩り」に対してとんでもない誤解をしていた。今回は池上俊一『魔女狩りのヨーロッパ史』に基づいて、私の先入観を解いていこうと思う。

魔女狩りというと暗黒の中世期に起こったと思われがちであるが、魔女狩りが蔓延したのは、16世紀後半~17世紀前半である。近世の幕開けともいえる宗教改革、活版印刷の普及、世俗国家権力の勃興などは、魔女という迷信を打ち消したのではなく、むしろ流布し、強化し、制度化したのである。この時期に5~6万人が魔女として処刑された。

もちろん魔女のモチーフは古代・中世の民間伝承までさかのぼるが、キリスト教教義においては迷信とされてきた。それを転回させたのはトマス・アクィナスらスコラ学者の思想であり、カトリック教会の最高権威である教皇であり、流布させた説教師や悪魔学者であった。簡単にいうと教会側が魔女を実在するものとし、魔女狩りを民衆の引き締めの手段として利用されたのである。

ハインリヒ・クラーマー『魔女に与える鉄槌』(1486/87)

しかしなぜ近世になって「狂乱」が吹き荒れたのだろうか。それは第一に、世俗国家の民衆の抑圧手段として異端審問として制度化したのである。宗教改革によるキリスト教秩序を確立する動きも魔女狩りを促進した。ルターもカルヴァンも魔女狩りを正当化した。近代の幕を開いたといわれる活版印刷もルネサンス絵画も、結果的には魔女のイメージを普及させてしまった。

ハンス・バルデュングの版画

社会的背景もある。天候不順、疫病、戦争、農村の共同体の解体もあった。女性の初婚年齢は27歳と高齢化しており、未婚・寡婦が社会を攪乱するものと標的にされた。

18世紀の啓蒙主義の浸透によって魔女狩りは鎮静化してゆく。だが迫害や差別は消え去ったのではなく、ナチスのホロコーストを見るまでもなく、差別や迫害はいとも簡単に蘇る。


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