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言語・法・貨幣 続き

おはようございます。
昨夜、言語・法・貨幣ということで、人間社会に社会的実体として存在すると書きました。
さて、自然界に存在する他の生物ではどう考えたらいいのでしょう。
人間社会で「言語」は「文字」「映像」として使用・流通させていると考えます。
他の生物では、鳴き声がそれに対応するのでしょうか?
「法」は、動物界においては、命を繋いでいくための何かしら「掟」があるのでしょう。
「貨幣」は交換手段と捉えられますので、動物界においては、何かしら「ギブ・アンド・テイク」しながら、種として命を繋いでいるのかもしれません。
動物界では、外界の変化に対応するため、長い時間の経過の中で、所謂「進化」を遂げてきています。
自然界において「命」を与えられた「人間様」、「死」という絶対的なものがあるにも拘わらず、「言語」「法」「貨幣」という相対的なものを使用・流通させながら、「絶対的なもの」を忘れて・意識せず、時間・空間を過ごしています。
動物界では、命を繋いでいくため、「進化」をとげながら「命」を繋いでいっています。
人間様だけが異常に「前頭葉」が発達してしまっていますが、宇宙から見た場合、自然界における人間様の所業だけが、奇異に見えているでしょう(涙)。
宇宙のひとかけら「地球」において「命」をいただいた「モノ」どうしが、「前頭葉」が異常に発達した人間様も適切に「言語」「法」「貨幣」を駆使しながら太陽に呑み込まれるまでは、生物全体が、「命」を全うしたいものです。
阿弥陀如来の出現の時は私は当然おりませんが、その時、どういう状態になるかを見届けよと「家訓」としておきます(笑)。


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