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【鎌倉 扇ヶ谷エリア(中編)】 久しぶりの鎌倉④(2019.11.17)

(※この記事は過去にアメブロへ投稿した記事を転載しております)

鎌倉散策記事④。
今回は前回に引き続き【扇ヶ谷おうぎがやつエリア】の中編になりますです。

化粧坂の切通しへ向かっているわたくしめ。
上るにつれて傾斜がきつくなってきている中をがんばって歩きました。
すると、こちらの石碑発見。

鎌倉町青年団の石碑その6「仮粧坂けわいざか(化粧坂)」です。

だいぶ地衣類がついちゃってなんか汚くなってしまっていますが、これもまたこの石碑の歴史を感じさせるものでしょう。

史跡となっている化粧坂の切通しはこの石碑より、もう少し行ったところにありますが、ここまで上ってきた坂道も含めて化粧坂というんでしょうか…。

さらに上っていきます。
すると、舗装されている道がいよいよ途切れます。

傍らには「スリップ注意 鎌倉市」の看板が。

やばし

やべぃ。いかにも滑ってくださいと言わんばかりではないかぁ。
岩は湿ってコケがのってるし、水たまりやぬかるみまであるぞっ。

「かつて朝夷奈切通しでも路面はビシャビシャで負けなかったじゃないか。これこそ切通しの醍醐味よ~!」

負けない

と、自分に言い聞かせて内心ものすごいビビりつつ、いつ滑ってもいいように心構えをしながら一歩ずつ上ります。

化粧坂切通しを下ってくる方に道を譲り、譲られながらも上ります。
みなさんも慎重です。

そして、化粧坂といったらここ。という場所までやってきました。
連発で写真載せます。

写真にしてしまうと、なんだこんなもんかと思ってしまうかもしれませんが、結構岩の段差があり、滑りやすい状態なので、足場をしっかり見定めて上らないと、多分ツルっ♪といきます。

付け加えると、上りより下りの方がちょっと怖かったかな。

この化粧坂はなんといっても、元弘げんこう3年(1333年)5月18日。
第1回目の鎌倉総攻撃で、新田義貞にったよしさだ脇屋義助わきやよしすけの新田本軍がこの切通しから鎌倉へ攻め入ろうと攻撃をかけましたが、鎌倉北条方の金沢貞将かねさわさだゆきの軍勢がそれを撃退しています。

また、室町時代の応永おうえい23年(1416年)10月の上杉禅秀うえすぎぜんしゅうの乱でも気生坂(化粧坂の別表記)で激戦があったようです(『鎌倉大草紙』)。

このように度々化粧坂が戦いの舞台になったのは、この坂が武蔵大路むさしおおじ(鎌倉街道上道かみつみち)のルート上にあって、重要な鎌倉の出入口だったことを物語っていますね。

それにしても、よくもまぁ、こんなところで戦いましたよね~。
(戦う前に勝手にコケそう・・・笑)


さて、化粧坂の切り通しを上りきったあとは、源氏山公園へ向かいます。そしてそこにいらっしゃるのは・・・。

はい、頼朝公です。ミスター鎌倉、レジェンド・オブ・鎌倉ですねぃ

わたくしめが一生懸命化粧坂を上ったのは、ただただこの銅像の写真を撮りたかっただけ・・・というのはここだけの話。

と言って、ここで次に行ってしまうのは忍びないので源氏山について少々…。

まず、この源氏山の由来なんですが、源頼義よりよし(頼朝の5代前)と義家よしいえ(頼朝の4代前)の父子が奥州へ出征する際(前九年の役)に、この源氏山の山頂に軍旗を立てたことから名付けられたとも、ただ単に源義朝よしとも(頼朝の父)と息子・義平よしひら(頼朝の異母兄)が住んだ亀谷の館(今の寿福寺あたり)の裏山だったから名づけられたとも言われています。

また、この源氏山と思われる場所が歴史上にも登場しまして、『吾妻鏡あずまかがみ』の嘉禎かてい2年(1236年)3月14日条には、第4代鎌倉殿である九条頼経くじょうよりつね若宮大路わかみやおおじの東の御所(宇都宮御所)に移る前に、方違えかたたがえ※をするため、田村(平塚市田村)の三浦館に宿泊する計画がされたんですが、その時、その方角が佳い方角かどうかを確かめるように命じられた三浦義村みうらよしむらは陰陽師を率いて武蔵大路の山峰に登り、それを確認したという記事があります。

※方違え…目的地が凶の方角だった場合、わざと別の方角に向かって、そのどこかに宿泊、それから目的地へ行くこと。例えばこの時は目的地が南でそれが凶の方角だったので、まず西南西へ向かい、そこから東へ向かえばオッケーという具合になっています。

ここで言う武蔵大路の山峰とは、この源氏山ではないかと言われていて、鎌倉時代、鎌倉での方角を調べるためにこの山が利用されたことがうかがえるのです。

ただ、この頼朝の銅像がある源氏山公園はまだ源氏山の中腹でして、見晴らしはよくありません。というか、ほとんど見晴らせないです。でもきっと頂上では鎌倉を一望できるのでしょうね。(行けるのかな・・・?)


さて、銅像の写真を撮ったあとはまた扇ヶ谷に戻ります。

本当は先ほどの源氏山公園内には、鎌倉末期の公卿で、鎌倉政権打倒を夢見た日野俊基ひのとしもとさんのお墓があり、そのちょっと先には、この俊基さんを祭神とした葛原岡神社くずはらがおかじんじゃがあるので、そちらへも回りたかったんですが、自分の足がそろそろ休みたい!って言ってるのと、おなかが空いたのと、時間的にどうしても行きたい場所へ行けなくなる!!というちょっとした焦りもありまして、今回は行かずに下りました。(俊基卿、後日改めてお参りさせていただきまする!)


と、いうことで。扇ガ谷に戻ったあとの続きをば・・・と思ったんですが、意外にも化粧坂で多く話してしまった気がするので、今回はここで一旦切りたいと思います。

次回は【扇ヶ谷エリア(後編)】ということで、必ず終わらせたいと思います。では、最後に今回のルート・・・、ほとんど進んでないじゃん!ってことで鎌倉市HPより拝借した源氏山公園の地図貼っておきます。

それでは今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

⇒次記事


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