天下人と神社

こんばんわ。
守護神鑑定師の龍月(きみつき)です。

昔から日本の多くの成功者は、神社を《特別な場所》だと知って参拝してきました。
天下を取った人は必ずといっていいほど《特定の神社を信仰》しています。
その筆頭は【天皇家】の方々。
2000年以上前から、歴代の皇族は日本各地の神社を参拝してきました。
何故天皇家は、世界でもっとも長続きしている王家なのか?
その答えは…
【神社を造りお祀りしてきたか

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19日まで休載します

どうも、ヤスダトモヤです。

休載の理由について2つお話ししたいと思います。

➀遠出をするため、進められないから
泊まりがけの墓参のために、親戚づきあいのため集中して書くことはできません。今年は退職したことを伝えなければならないので、気が重いです。

②携帯料金未納のため、インターネットがつながらない。
今日の深夜あたりから、ネット・電話回線が停止するため投稿することができません。回線停止の前に

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2019/08/13、進捗

はじめに

どうも、ヤスダトモヤです。

本日、プロットを進めようと思ったのですが、どうしても本文を書きたくなり、ちょっと書いてみることにしました。

パソコンですから、場面ごとに書いて、つなげて推敲してが容易にできるので、そっちに切り替えようと思っているところです。

プロットを書いた方が良い。しかし、書いてみたい衝動には駆られる。

そんな狭間にいるところです。

小説のプロットでは、最初に「

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2019/08/13の進捗を、明日(2019/08/14)AM8:00に投稿します。

世界の書店から(1)【カメルーン:ジャーナリストと頼朝に遭遇】

出版社に勤めはじめてから約5年、海外に行くとその国の本屋さんに行ってみるようになりました。撮っていた写真がたまってきたので、noteに少しずつ載せていこうかなと思います。

第1回目は、カメルーン。アフリカの西側、中央くらいにある国です。

多様な地形と気候帯がある国で、自然も人々の暮らしぶりや文化もさまざま。アフリカの多様な魅力がぎゅっと詰まっているということで、「ミニチュアオブアフリカ」の異名

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2019/08/09、進捗

はじめに

どうも、ヤスダトモヤです。

手続きごとやら、障害者手帳を洗濯してしまうやら、不運続きの昨日今日でしたが、今日は少しだけ進めることにしました。

プロット

プロットというのは小説の設計図のようなものです。

大方の畠山重忠の調査が終わりましたので、まずはプロットを作って、補強として資料を使う形で今後は進めていこうと思います。

書くべき箇所は以下の通りです。

長寛2年(1164)、

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【大学入試#06】「寿永二年の十月宣旨(1183)」が頼朝勝利への号砲

この世の春を謳歌した平家も、貴族的権力構造としたことで、天皇側からも武士側からも不満の声が聞こえるようになりました。あれだけの権勢を誇った平家の一番の誤算は、清盛が途中で死去してしまったことだったでしょう。たった5年で源氏に政権をひっくり返されてしまいます。

(超高速解説)
以仁王の令旨(1180)によって源氏挙兵。頼朝は侍所を設置、初代別当は和田義盛。清盛は無念の死去。「寿永二年の十月宣旨(1

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2019/08/06、進捗

はじめに

どうも、ヤスダトモヤです。

今回は、畠山重忠の人物に関するエピソードをまとめて、それから分かる考察を書いていきたいと思います。

今回の参考文献はこちら。

教養人・畠山重忠

以前、「重忠が静御前の舞の時に銅拍子を打っていた」ことを書きました。そしてそれは、京都で長期間にわたり滞在しないと無理だということも書きました。

そこで調べてみると、重忠の父・重能が治承4年(1180)の重

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2019/08/05、進捗

はじめに

どうも、ヤスダトモヤです。
今回も引き続き、以下の書籍で調査を行いました。

おそらくここでひとまず、この本から別の畠山重忠に関する書籍に変えていこうと思います。

源頼朝と畠山重忠の関係

畠山重忠という人物は、鎌倉幕府で格式のある家としての待遇を受けました。しかしながら、彼は鎌倉幕府の政治に関与できる役目は与えられませんでした。

名誉は与えても、実権は与えない。

この矛盾した人

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2019/08/03、進捗

はじめに

どうも、ヤスダトモヤです。
本日は、資料を更に追加して、以下の書籍を調査していました。

この「吾妻鏡」は、鎌倉幕府が作成した源頼朝挙兵から始まる鎌倉幕府の歴史書です。

この吾妻鏡にも、「畠山重忠」に関する記述があります。

吾妻鏡に関する畠山重忠

畠山重忠は17歳の初陣の時には、平家方として源氏方の武将を討ちますが、それから2ヶ月で頼朝の下に河越重頼ら秩父平氏と共に参会して、源氏

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