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泥棒詩人ジャン・ジュネの「女中たち」


2020年3月、日に日に感染者が増えていく新型コロナウィルスのことを考えていたら、なぜかジャンジュネの『女中たち』を思い出した。ひょんなことから発想が飛んでしまう。まあどうして繋がってしまったのかここに記してみる。

3月の初め頃のことだ。ここ数年とりくんでいるダンテ『神曲』煉獄篇を描きつつ、下記の論文を読んだ。「予防概念の史的展開 ―中世・ルネサンス期のヨーロッパ社会と黒死病―」河口明人教授 
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/26190/1/102_15-53.pdf
この論文の「8.ヨーロッパ社会の変動」のなかの一文が忘れられなくなった。

「人々の集会は禁止され,浴場は閉鎖,公共の賭博場と市場は廃止された。」「バリケードで封鎖された家々や,通行禁止になった通り…そこを往来しているのは食糧補給班のみであり,ほかにはだれか司祭が通ることも
あり,いちばん頻繁なのが情け容赦ない巡邏隊だ…。フィレンツェは死んでしまった。商売も,宗教上の勤行も,もう行われていない。たまさか司祭が街角でミサを挙げるにすぎない。幽閉された住民たちは,それぞれの窓越しにこっそりその進行を見守っている…」。「全面的検疫が科せられたときこの町がこうむった損失を見積もることは不可能である。検疫によって,外出が不可能になり,土地を耕することも,作物の世話をすることもできなくなった。」「田舎の散在している部落や畑地では,哀れな貧しい働き手や彼らの家族の者が,医者の手もわずらわさず,あるいは召使いの世話もうけないで,道ばたや,耕作地や,家の中で,昼夜をわかたず,人間というよりも,まるで畜生のように死んで」いった。

しかし、「黒死病から生き残った人々は,めったにない繁栄に遭遇したのである。すなわち生存者一人当たりにさらに多くのお金,家畜,穀物が天から降ったように転がり込んできた。」「物が極度に豊富にあったため,下層民は男も女も,習い覚えた手職で働こうとせず,一生のうちに最も豪勢な,最も美味な料理を食べようとし,恐怖に青ざめた顔で結婚に踏み切るのだった。召使いも卑しい女も皆,死んだ高貴な身分の奥方の豪華な衣服を身にまとった。」

「召使いも卑しい女も皆、(※黒死病で)死んだ高貴な身分の奥方の豪華な衣服を身にまとった。」(参照 CH.ハスキンズ,P.274とのこと)700年前の黒死病で大勢の人が死んでしまったあとのイタリアでの出来事の描写だ。なんとも恐ろしい描写である。特にこの一文を読み、時代は、まったく違うが女中たちが〈奥様ごっこ〉をしている一夜の戯言を描いたジュネの三人芝居『女中たち』を思い出したわけだ。

この芝居をわたしが観たのは、1982年頃だ。渋谷ジャンジャンにて 岸田今日子、吉行和子、松本典子さんのお三方がそれぞれ三役を一晩ごとに代わる代わる演じるという試みだ。何年の上演だったのか正確な上演日を調べてみようと試みたが、ネットには載っていない。そもそも昔の 舞台の情報は SNS上には、めちゃくちゃ少ない。「演劇関係者の皆様、アーカイブのデジタル化よろしく!」と言いたい感じである。
岸田今日子、吉行和子、松本典子さんといえば、知る人ぞ知る知的でかっこいい女優さんたちだ。演技力はもちろん、三人の女優が集結したあの芝居は、見応えがあった。文学の香りのする三人の女優さん。


岸田今日子さんは、劇作家の岸田國士さんを父に持つ個性的で香り豊かな方。劇団「円」の創設メンバーであり、独特の雰囲気で活躍された。1960年、三島由紀夫演出の『サロメ』で主役に抜擢されて以降、テアトロン賞を受賞した『陽気な幽霊』をはじめ、数多くの舞台で多くの大役、難役をこなす。映画では1962年に『破戒』などの演技で毎日映画コンクール助演女優賞、1964年には安部公房原作の映画『砂の女』でブルーリボン助演女優賞を受賞して、実力派女優としての地位を確立。TVでは、『傷だらけの天使』の探偵事務所の妖しい女主人役が有名。ほかに、ムーミンの声なども印象的だった。2006年に他界されている。

吉行和子さん
は、父は作家の吉行エイスケ、母は美容師の吉行あぐり(NHKの朝ドラになった)。兄は作家の吉行淳之介、妹は詩人の吉行理恵さん。ご本人もご家族の文筆の世界では、1983年にエッセイ集『どこまで演れば気がすむの』で、1984年に第32回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。第8回紀伊國屋演劇賞、第2回 日本アカデミー優秀主演女優賞『愛の亡霊』第37回 日本アカデミー優秀主演女優賞『東京家族』、第57回毎日映画コンクール田中絹代賞も受賞されている。今もご健在だ。

そして、松本典子さんは、かの劇作家・清水邦夫さんの奥様で不思議にクールな演技をする女優さんだ。1976年に夫の清水邦夫らと演劇企画グループ「木冬社」を結成。1979年・1984年に第14回・第19回紀伊國屋演劇賞、1987年に第37回芸術選奨文部大臣賞受賞。2014年に他界されている。

コロナパンデミックのおかげで、なつかしいお芝居を思い出したのでここに記しておく。


ジャンヌ・ジュネは、泥棒詩人として有名で『花のノートルダム』『薔薇の奇蹟』『泥棒日記』など。1948年、コクトーやジャン=ポール・サルトルらの請願により、大統領の恩赦を獲得する。『女中たち』は、1947年に発表された戯曲。岩波書店の説明では、「乱反射する模倣と幻惑、破局と浄化の力。めくるめく猜疑的演劇 !」となんともワクワクする説明が書かれている。もう一度読んでみる時期かもしれない。


2020.年10月20日 蜷川有紀


下記。参考まで



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