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家で指揮する人は変人か?

 『まだ結婚できない男』の主人公・桑野は自宅でクラシックを聴きながら指揮をします。僕自身も同じことをしていると言うと、大体笑われます。今回はなぜ指揮をするようになったか、その意味するところは何か書いてみます。

 僕は元々音楽の素養は全くありません。楽器を習ったこともなく楽譜も読めません。そんな人間が大学のときにクラシックを聴くようになりました。映画オタクだったので、クラシックを聴くきっかけもやはり映画です。スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』やルキノ・ヴィスコンティの『ベニスに死す』などクラシック曲を使った映画を観たり、黒澤明監督が出演したサントリーのCMにハイドンの「時計」が使われたりしたことで、クラシックに興味を持ち、レコードを買って聴くようになりました。
 普通に入門的な曲を主に聴いていたのですが、そのうちに大編成のオーケストラによる交響曲にのめり込みました。

曲の構造を知りたい

 このとき僕が普通の人と違っていたのは、ただ聴いて楽しむだけでなく、交響曲がどんな構造になっているか知りたいと思ったことです。

 当時すでに僕は映画オタクで、将来は映画監督か脚本家になりたいと思っていました。映画やテレビドラマの脚本には「構成」というものがあります。そんなものに捕らわれる必要はないと思う人がいるかもしれませんが、例えばクライマックスがストーリーの中盤にあって後は盛り上がりがないまま終わる映画が面白いでしょうか? クライマックスは終盤に配置されるからこそ面白くなるのであって、脚本を書くならやはり構成の勉強は必要なのです。

 音楽にも同様に一定の形式やルールがあります。特に興味を持ったのは「ソナタ形式」でした。交響曲の第一楽章はソナタ形式で作られています。自分がいいと思っている音楽が、そういう形式で作られていると知ったとき、それはどんなものかということを、脚本を勉強する者として詳しく知りたくなったのです。

 そこで本屋でベートーヴェンやブラームスの交響曲の楽譜を買って来て研究しました。音符は読めなくても、曲を聴きながら目で追うことはできます。また楽譜にはかなり詳細な解説がついており、それらを読むことと繰り返し聴くことで曲の大体の構造を知ることができました。

家で指揮するのは疑似アウトプット

 そしてそれらを知ったとき、今度は表現として交響曲をアウトプットする側に立ちたいという気持ちになりました。「交響曲をアウトプットする」というと具体的には作曲するか指揮をするかのどちらかです。作曲はできませんので、選択肢は指揮しかありません。
 つまり曲を聴きながら指揮をすることは擬似的なアウトプットなのです。普通の人でも音楽を聴きながら身体を揺らしたりリズムを取ったりすることがあると思いますが、それと指揮することは違うことです。あくまで演奏者側に立ち、アウトプットするつもりになる行為なのです。

 曲の構造を把握して指揮をすると、普通に聴くだけのときよりは曲への没入感は高まります。また指揮をしていると、相性のいい指揮者とそうでない指揮者がいます。指揮しながら「ここはこの指揮者と解釈が違うな」と思ったりします。

 しょせん単なる趣味なのですが、結果として自分が脚本家になる上でこれらの経験は確実に役に立っていると思います。構成というものを理屈ではなく身体で覚えるということができた気がします。

進化した桑野の指揮

 前作『結婚できない男』のときの桑野の指揮は、アウトプットというより身体でリズムを取る方に近いものでした。『まだ結婚できない男』ではちゃんと脚本に「指揮棒を持っている」と書いたので、より本当の指揮に近いものになりました。
 桑野は建築家なので、指揮をすることは彼が住宅を設計する上でも役に立っているのだと思います。

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