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国語教育に関する榎本博明氏の立ち位置

現在、新課程国語に関する長めの論考を執筆中だが、まとまりきらないので別の記事を発信する。

私の新課程国語に関する発信は、2020年8月に始まる。
直接の契機になったのはこの記事だ。

「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育 | 教育現場は困ってる | ダイヤモンド・オンライン

この記事そのものについて、私はすでにブログにまとめた。

本稿ではこの記事の著者、榎本博明氏の国語関係の発信を複数扱い、比較検討する。
ブログでは盛大に反論した私だが、決して個人攻撃をしたいのではない。
榎本氏の発信傾向を自分で把握するためにまとめるのだ。

学校教育の現場を混乱させている「実学志向」とは(2020.6)


学校の国語教育が、どうやら文学より契約書などの「実用文」メインになりそうだ(2020.10)

言語能力が低い子は成長しても読解力が低いという、これだけの研究結果 | 教育現場は困ってる | ダイヤモンド・オンライン(2021.6)

経済力の学力格差を乗り越える「読書」の力とは 「経済格差」「遺伝」より「本のある環境」が影響(2022.1)

凋落する日本の読解力——日本の教育をいかに立て直すか【野口芳宏×榎本博明】(2022.2)

榎本氏のすべての発信を追っているわけではないので、重大な見落としなどあればご指摘いただけると幸いである。
特に最後の対談記事は、榎本氏の読書や国語のついての問題意識が強く表れているので興味深い。

私も1980年代から、比較的読みやすい内容の本をいくつか課題図書に選んでレポート課題を出していたんですが、最近ではそれすら読めない学生が増えてきたんです。レポートに関しても、課題図書を読まずネットの情報を切り貼りしているのがすぐ分かるんですよ。「ですます調」だったのが、途中で「である調」に変わったり、もうちょっとうまくやればいいのにと(笑)。

これはもう無理だと諦めて、数年前から課題図書のレポートは廃止し、通学時間だけでもちょっと本を開いてみようとか、図書館で30分だけでも本を開いてみようとか、読書指導をしているのですが、それでも挫折しましたと言ってくる学生がいるんです。大学でここまでやらないといけない時代が来るとは思ってもみませんでした。

凋落する日本の読解力——日本の教育をいかに立て直すか【野口芳宏×榎本博明】
https://www.chichi.co.jp/web/20220221_noguchi_enomoto/

榎本氏の問題意識は端的に言って、「まともに本が読めない大学生が増えていることへの危機感」だろう。

これ自体、私はすごく共感できる。

ただし、当時と今とで入学する生徒の質が変わってきたこと(事実上の大学全入、メディア多様化や経済的困窮による読書に割く時間・お金の減少)は多少なりとも念頭に置くべきではないか。

そして、何より不可解なのが、榎本氏の読書へのアプローチがいかにして読書の苦手な大学生(小・中・高校生)に本を読ませるか、にフォーカスされすぎていて、

いかに読書した上で論考をまとめさせるか

の視点が乏しいように思える。

私なら差し当たり、この本をもとに「パラ読み」で本の感想を書かせることを生徒に進めるだろう。

大学生相手に指導したことがないので有効でない可能性もあるが、

 まるまる1冊(あるいは複数冊)を読ませる→感想を書かせる

という従来型の大学の読書指導よりは有効なのではないか。

また、冒頭の記事から来る印象とは異なり、他の記事(特に大学生の読書についての見解)を読む限り、榎本氏はさほど文学作品について強い思いを持っているわけではない様子。

読書の入門に文学作品(特に児童文学)というのは読書指導の定番である。しかし高校生、大学生にもなれば、読書意外にも様々な関心を持っていたりするもの。榎本氏は大学生相手にどのような書籍を課題にしたかは不明だが、文学作品が万人に有効な方法という俗説に囚われているとすれば認識を改めるべきだろう。

今となっては榎本氏の発信は、やや煽情的な発信が注目を集めただけで国語教育の議論の中核になっているわけではなさそうだ(国語教育の専門家ではないのだから当然だが)。

とはいえ、榎本氏の発信自体は広く教育の問題、人間の心理の問題を取り扱っており、今後、国語に焦点化した話題をどこまで提供してくるかはわからないが、引き続き注視していきたい。


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