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新たな尾瀬に向かって

◾山人は街を下界と呼ぶ。


不思議なもので山小屋の営業が終わってしまえばあっという間。都会に戻って既に4ヶ月以上が経過しようとしている。山で過ごした5ヶ月が何事もなかったかのように、ヒト・モノが忙しない速度で動いている。下山して一週間もすれば私も完全に都会の雑踏に紛れ込んでいた。

2023年10月 下山日当日

2023年10月18日。
秋晴れの中、片付いて何もなくなった尾瀬小屋テラスの前で、各々が尾瀬での生活や下山後の生活に想いを馳せていた。振り返れば大変だった事、楽しかった事など感情が込み上げていたに違いない。
営業最終日には多くの常連様をはじめ、大切な存在でもあるTetonBros . の社長ご夫妻も尾瀬小屋を訪ねて下さり忘れられない一夜を過ごしたのがつい昨日のことのように思い出される。最高なシーズンで締め括ることができた2023年だった。

山小屋を閉めた私は、近隣の市町村、行政、尾瀬関係者への挨拶周りを兼ねて東北の山を踏みながら東京へと帰路に着いた。シーズン中には燧ヶ岳や至仏山すら登る時間がなかった為、少々体力に不安があったものの、山小屋生活を経てしっかりと登山体質を取り戻していた。いくらでも登れる感覚があったし、何度も来た山にも関わらず全ての景色が新鮮で、自然体の自分でいられる最高のリラクゼーションタイムだった。

磐梯山・一切経山
安達太良山・鉄山
蔵王(熊野・地蔵・刈田)・月山
西吾妻山

◾仕事は絶えず。


ホッと一息ついたのも束の間、関東に戻った私は低価格で楽しめる“グルメグランピング施設”としてのリニューアル準備や、新たに開業予定の温泉旅館(箱根芦ノ湖温泉)の行政手続きや営業に向けた準備と、毎日が挑戦の日々。瞬く間に時が過ぎていった。3月が目前ともなると、過ぎ去った都会での日々と、見え隠れする今季の尾瀬シーズンの事で頭は更にフル回転。

環境省やパートナー企業との次年度計画、福島県物産販路拡大と農業支援、新潟県企業との尾瀬連携準備
、山小屋グルメ拡張(八ヶ岳・北アルプス)、都内の大学・児童養護施設・不登校支援施設の訪問や講演、福島県内の小学生を対象としたスポーツ支援などなど。“やりたいな”と思っていた事をとにかく実行していたら、この4ヶ月で沢山の事が形になっていた。

愛用している TetonBros . のオーバーオール
お気に入りのグランピング施設にて

◾明神ヶ岳~金時山


話は戻り、1月下旬のこと。金時山の頂上にある金時茶屋を訪ねるべく、何年かぶりに金時山に向かった。昨年から富士箱根伊豆国立公園内でも事業を手掛ける事になり、金時山登山口と当社の施設はほど近く、近隣を沢山の登山者が往来するご縁から、何か金時山に対しても貢献出来る事がないか考えを巡らせていた。この日は強羅から入り明神ヶ岳をスタート地点にしたのだが、体力が目減りしていた私にはそこそこキツく歩く事に集中せざるを得ず、抜群な閃きまでとはいかなかったのだが、いくつか良いアイディアが浮かんだので形になったらお伝え出来たらなと思っている。

登山中、金時山中腹に差し掛かった時、下山中と思われる休憩中の男女に遭遇した。男性の顔色が少し悪いようにも見えたが、その時は気にせず小声で挨拶をしすれ違った。2分後くらいだっただろうか。先ほどすれ違った女性と思われる人が『誰か助けて』と悲鳴をあげていた。すぐさま引き返し駆け寄ると、男性が意識を失い口から泡を吹いていた。脈は弱く心肺も危ない状態だった。居合わせた別の男性と手分けし、男性は救助要請、私と女性で心臓マッサージと呼び掛けに徹し何度も何度も呼び掛けた。5分経ったかどうか、意識が少しずつ戻り男性は蘇生した。救助隊が到着するまで一緒に待機し、安全な状態で隊員に引き渡す事が出来た。話によると、男性は金時山を3500回も登る大ベテランだったが、不整脈の持病を抱え脳梗塞を患い、検査結果待ちの状態で山に登っていたようだ。
万が一単独登山で誰とも行き合わないような山行計画だったらと思うと、本当に胸が窮屈だった。標高や経験に関わらず私達は常に自然を相手にしている事を忘れてはいけないと改めて考えていたら、気付けば山頂に着いていた。

箱根外輪山の美しい稜線
仙石原・大涌谷・芦ノ湖方面の眺望
雪化粧したダイナミックな富士山

後半は雑念で頭がいっぱいだった為、一度山頂から金時見晴パーキングまで下山し、もう一度新鮮な気持ちで何をしに金時山に行ったのかを思い出しながら同日二回目の金時山ピークを目指した。辺りは暗くなりナイトハイクとなったが、夕焼けと宝石箱のように輝く景色が迎えてくれた。この景色に感動し心動かされた人達は沢山いるだろう。だからこそ私なりの思い出の後押しをしたい。そう再確認した。

煌めく夜景と富士山

◾2024年2月尾瀬小屋雪下ろし


時は2月5日。檜枝岐村のガイド集団RAKUを筆頭にTetonBros. チームと編成したメンバーで尾瀬小屋雪下ろしへと出発した。暖冬と言われ雪下ろしが要らないのではないかとも囁かれていた今冬。檜枝岐村の降雪量は例年の半分以下で除雪車の出動回数も非常に少なかったという。尾瀬内でも従来なら私達よりも早く除雪に入る他の山小屋さんが、冬道に雪が足りず沢を越えれずに引き返し、小屋の様子すら見に行けないなど暖冬の影響は随所に感じた。

尾瀬小屋の雪下ろし予定だった2/5~2/7は、南岸低気圧の影響もあり三日間全てが雪予報。荒れた天気にはならずとも、雪舞う除雪作業となる事はハッキリしていた。我々は大人しく天気を受け入れ、ミニ尾瀬公園に7時に集合し御池から山スキーで入山。私にとっては2回目のスキー入山だった事もあり去年よりも幾分余裕があった気がする。1月下旬には尾瀬マウンテンガイドの浅井さんやRAKUの平野崇之さんご夫妻からスキーレッスンを受けていた事もあり、出発前日には平野崇之さんの民宿かどやで語らいながら鋭気を養い緊張をほぐしてくれたのも、余裕が生まれた大きな要因だ。スキーの楽しみ方を教えて下さった彼らにまた一つ感謝が増えた。

御池から尾瀬小屋までは約4時間半

今回も小関さん・太田カメラマンが除雪と撮影を兼ねて帯同し、昨年から素晴らしい写真や映像を撮りためて下さっている。いつかこれらの映像を一本の映画のような作品で皆さんにお届けしたい。

そして何より今年の除雪メンバーには、唯一の女性TetonBros. のジュンコさんも加わり雪下ろし文化に新たな歴史を刻んだ。私が知る限り、厳冬期の尾瀬雪下ろしに山スキーで檜枝岐村から入山した女性はジュンコさんが初だろう。『一緒に行きましょう』そう約束し想像した未来が一年越しに叶った瞬間だった。一緒に行けて本当に嬉しかった。未だに興奮している。

真っ白の中辿り着いた尾瀬小屋

予定通りの行程で尾瀬小屋に到着した私達は、談話室の薪ストーブに火を灯し昼食をとりながら冷えた身体を温めたが、昼食も早々に雪下ろし作業に入る。
除雪機を動かす人、屋根に登る人、食事や寝床の準備をする人、水汲みする人など阿吽の呼吸で全てがスムーズに行われていた。その順調な背景には、2023年の夏と秋に雪下ろしの段取り確認の為、RAKUメンバーがわざわざ小屋を下見に来てくれていたからだ。道具の置き場所、必要備品、屋根の位置形状の把握など。時間と労力をかけて下さったからこそ、安全かつスムーズな雪下ろし作業が成立している。感謝の念は絶えない。

直近3年の変化

『あっ、少ないな』と目視ですぐに理解出来た。この積雪量でも1日作業すれば重労働なのだが、雪下ろしのプロ集団により作業は順調に進んだ。今年は積雪量に安堵した傍らで、テンらしき獣の進入で小屋内がメチャクチャにされていた。この片付けには本当に腰を折られた。掃除機をかけたり、拭き掃除や除菌したり、一つずつ糞を拾い上げたり。動物と人間の知恵比べでディフェンス力が甘かった我々が負けた形だ。
ジュンコさんにも大変な役割を担わせてしまった。
失敗や反省は今年の秋に修正です。

屋根から落ちた雪をロータリーで飛ばす
広範囲に渡る雪を手作業で下ろす
作業は2日間にわたる
見晴地区とうっすら見える燧ヶ岳

厳冬期の尾瀬で二泊し、体力の限り雪を下ろし、同じ釜の飯を食べ、薪ストーブを囲んで酒を片手に語らう時間。五感の全てから伝わる人の温もり。
尾瀬の先人達は何年も何年もこの厳しさや感動を繰り返しながら小屋を守って来たのだろうと、談話室に飾られた昔の写真を見ながら考えていた。

尽きない山談義

下山したミニ尾瀬公園では、尾瀬小屋先代の星光さん、育子さんが迎えて下さり、労いの言葉に加え皆の車の除雪をして待っていた。些細な事だけどこういう事は誰にでも出来る事ではないし、小屋を守る人達の苦労や大変さが分かるからこその行動だろう。

電波が繋がらない我々を二時間前から何度も到着していないか確認にくるなんて多少やり過ぎとも思うが、私はこういう方から山小屋を預かった事を心から誇りに思っている。一緒に歩いた仲間と同様に。

全員で撮りたかったと後悔した写真
(だが良い写真!)

また一年、全員で守った尾瀬小屋。
全てはたった5ヵ月のため。
それでもその”たった”は言葉にし難い想いの上にある。

いつだって気持ちは新たな尾瀬に向かっている。
全てに感謝。

尾瀬小屋
工藤友弘

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