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#課題小説を読もう "「私」物語化計画" 太宰治「メリイクリスマス」

東北芸術工科大学文芸学科教授(になっちゃった)師匠(と勝手に思っている)作家の山川健一氏が、【「私」物語化計画】というオンラインサロンをはじめたんですよ。
それに合わせ、兄弟子(非公式)のyosh氏が最近、こんな「公認」noteを開始したんです。

本日のエントリの「#課題小説を読もう」企画が面白そうだったので、参加してみようかと。
課題小説は、太宰治の「メリイクリスマス」です。

えー、一読しての正直な感想ですが、この3つですね。

①.主人公は多分太宰本人なんだろうなー
②.実に羨ましい暮らしぶりだ
③.ほんのり香る「異人たちとの夏」感。

えっと本作、メッタクソ短いです。
いわゆる「掌編」というヤツですね。
近代文学(なのか? ギリ現代文学?)というか、平成以前の文学作品が苦手な層ってわりといそうだけど、この分量なら目も滑ることなく読めるかなーと思う。

あとコレ読めるなら、田山花袋の「少女病」もオヌヌメ。
「ぼくは へんたいで いいんだ!!」
って自己肯定できるwww

さて、アホなことはさておき、本題。

【主人公は太宰本人?】

太宰という作家についてのイメージは、わりと強く根付いてしまっている。
あの頬杖をついた神経質そうな写真や、着流しにトンビを羽織った立ち姿の、いわゆる「放蕩文士」的なあのイメージだ。
本作の主人公は、冒頭部から強烈にその匂いを感じさせる。

『東京は、哀しい活気を呈していた、とさいしょの書き出しのいち業に書きしるすというような事になるのではあるまいか、と思って東京に舞い戻ってきたのに〜」

という、もって回った書き出しからして、主人公のめんどくさそうな性格が上手く描写されている。
主人公がものすごく太宰っぽくて、ものすごく私小説感もあるけど、とはいえこれ、フィクションだよね、とも思う。
まぁ、「暫く会ってなかった知人の娘に偶然出会った」ってトコくらいは、自身の経験なのかもだけど、私小説にしては話が出来すぎてる。

【うらやましい暮らしぶり】

主人公は、昼日中から『映画館でアメリカの写真(活動写真って意味?)』を見て、『本屋でユダヤ人の戯曲集を一冊』書い、『方々の酒屋にツケを貯め込み』、『知人の家でただ酒を呑み』、『ふらりとうなぎ屋に入って串焼きを当てに酒を呑む』といった具合。

高等遊民の見本のような生活だ。
当然、さほどの金銭は持ち合わせていないものと推察されるけど、

『すごくダメな人なのに、なんか許されちゃってる感に溢れてる人』

って、たとえばホームレス小谷さんみたいな人って、現代でもわりと存在していて、僕はわりとうらやましかったりします。
なんだろ、生活の仕方が、ってことじゃなく、「なんかそれで許されちゃってる」っていう、ゆる〜いノリが、「あー、なんかいいなー」って思っちゃうんですよね。
あと、観察対象として面白い。
本作の主人公も、毎日付き合うにはちょっと面倒くさいけど、ちょい離れて観察してる分には、面白みを感じられそうな気がする。

僕が物心ついた頃は、既に昭和も後半戦だったから、あの当時の空気感ってわからないけれど、ああいう生き方って、現代の方が親和性が高い気がする。
シェア経済とか、評価経済社会ってヤツと、相性が良さそう。

【「異人たちとの夏」を思い出した】

本作を後半まで読み進めるにつれ、山田太一原作・大林宣彦監督による映画「異人たちとの夏」と、東京ディズニーランドのとあるエピソードを思い出した。
話しすぎるとネタバレになっちゃうけど、「亡き者と共にする晩餐」という共通点がある。

しかしこのあたりの描写、上手いなぁと感じてしまった。
煙で燻されたうな串のにおいやら、「小奇麗とは言い難いけど、ギリあり」くらいな感じのお店の雰囲気やら、大将の面相や体躯とその動き、酒量が増えるにつれ上機嫌になっていく紳士の表情……etc

視覚と嗅覚と聴覚を、ちゃんと使わせてる。
惜しむらくは、せっかくうなぎ屋に入ったんだから「味覚」もやってほしかったけど、この掌編でそこまでやっちゃうと、無粋だと判断したのかも。

しかしこの主人公、優しいんだか面倒くさいんだか男臭いんだか、よくわからんなぁ……。
間違いないのは「ものすごくダメっぽい感じ」なところで、そういうところがまた「文士になりたかった勢」の琴線に触れちゃったりする。

結論:おもしろかったです(小並感)。


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