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「体罰教師」が校長に昇格していた

公立学校の校長になる資格とは何か。それは生徒に愛されているから、みんなの推薦を受けたからーーといった理由ではない。その条件は「校長試験に合格して登録されること」だ。校長になる意思があり、校長試験を受け、合格すれば校長になれる。体罰の過去や生徒の評判なんてどうでも良い。

中学校のころ(2000年代)、あるA教師から殴られたことがある。掃除時間にロッカーに不要なものを戻しにいったのだが、掃除をさぼっていると間違われた。「お前、学級委員やってんだろ。(掃除サボるような)そんな態度でいいのかよ」と髪を引っ張られ、そのあとゲンコツを食らった。

こちらの理由なんて聞こうともしない。いささか不条理は感じたが、まだ子供だった。にしても「お前」という表現は今は許されないだろう。生徒を「見下している」のがバレバレだ。

この問題教師は、合唱コンクールで不真面目な態度だった数人をみて「もうやめちまえ。もう(文化祭の)出場もやめろ」と叫んで教室を出て行った。そのあと職員室に戻り、ふてくされたようだが、その後クラスはまとまるはずもない。


自分のクラスの生徒に対して、怒りの感情でしか生徒を抑圧し、コントロールできない典型的ダメ教師だったといえる。結局、文化祭には出るには出たが、結果は想像にかたくないだろう。とにかく怒鳴り散らしていた記憶しかない。「色目」を使うとして、女子生徒からの評判も悪かった。

そんなA先生だったが、なんと地元中学校の校長になっていた。これを知って、世の中の不条理さを改めて感じた。声高に叫ぶ人ほど統率力があると思われるのだろうか。今更告発しても仕方がないが、先生の言動の1つ1つは、何十年経っても生徒の心に深く刻まれているのである。

あの時、先生が助けてくれていたら。北海道旭川市内に住む当時14歳の中学2年生だった廣瀬爽彩が自殺した件では教師らがいじめの存在をまだ認めていない。この件を聞いて、昔の教師のことを思い出した。

実名は控えるが、このA先生は、生徒の悩みに寄り添うことはずっとなかっただろう。いますぐ、校長の座を降りてほしいと思う。よくも堂々と、そして傲慢にも、学校を統べる者になろうとしたものだ。その学校の教師も生徒もかわいそうで仕方がない。新たな抑圧が起きないことを祈るばかりだ。

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