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自分の人生見つめ直してみよう-3

※筆者、人生の棚卸し中。
ぜひ前の投稿からご覧ください。
第1編 こちら
第2編 こちら

今回は大学時代〜就職後まで。

大学へ入学

第一志望ではなかったがなんとか合格して浪人生活を免れたわたし。この大学は外国語に力を入れていたが、当時の私は外国語よりも経済系を学びたくて大学選びをしていたので、経済学部に進んだ。入学する学科以外に「経済学科」も合格していたが、今後の人生を考えた時にワクワクする学科がいいなってのと1期生という響きが良くて、「国際環境経済学科」を選び、第1期生として入学した。

大学の授業を受けてみて、あぁ、こんなもんか。高校生までの方がひたすらやらされていたから意外と余裕じゃんと思い、無難に単位を習得していった。経済学部とは思えない英語の授業の多さであったのと、必修ではないという理由で第二外国語はとっていなかった。1年のうちはそこまで難しくない英語の授業だった。そして2年次に上がる時のクラス分けTOEIC IPテストでは230点上がってた。1年の時のTOEICは何が何だかわからず、とりあえず受けさせられて、ひたすら眠かったから後半はほぼ寝てたからであろう。「TOEICは受験して傾向掴めばすぐ点数上がるよ!」と聞かされたので、クラス分けの前に一般のTOEICを2回ほど受けたが、芳しくない点数で落ち込んでいた記憶。学内に限られるTOEIC IPは受験集団母体のレベルに応じて点数が変動するようで、TOEICの一般受験よりは高めの点数が出る傾向にあるそうだ。だとしても嬉しい結果になり、モチベーションを上げることができた。

人間関係①


学生生活はというと、まさかの大学で幼馴染(幼稚園の時の子)と再会。親同士が仲良く、親から情報が入ってきて学内で再会し一緒にいる事が多くなった。彼女は法学部に入学していた。
同じサークルやら部活に入ろうとなり、軟式野球部のマネージャーとして入部。彼女は4年まで続けて、主務(マネージャーのトップ)を務めるまでになったが、私は1年の最後に楽器を再開し、部活に身が入らなくなって、2年の最後に退部。
退部した後でも幼馴染は幼馴染であって、しょっちゅう遊んだしご飯食べたし旅行した。卒業旅行も一緒に行った。就職後も私が実家に帰るとき、彼女が休みであれば泊まりに行ったりご飯に行ったり。新潟にも何度も来てくれている。

人間関係②

高校時代の同級生が私を除いて4人も入学。また別クラスから2人いた。意外と多い同級生に安心した。同じ学科にも1人いて彼はゼミも同じだった。
入学後1ヶ月程度はみんなで集まってご飯食べたりしていたが徐々に学科に友達が出来上がり集まることは無くなった。しかしその中の1人は就職後も新潟に遊びに来てくれている。(既に2回来た)
学科初のお友達はTwitterで繋がった女の子。くっきり二重、ツヤツヤな黒髪、愛らしい笑顔。可愛くてたまらないthe女の子だった。現在彼女は先はど述べた同じ学科の高校同じ彼と結婚し福岡にて暮らしている。
学科は新設であるせいか、全体で割と仲良くやっていた(と私は思っている)。1年の時のメンバーと、2〜4年のメンバーは多少変動してはいたものの、やはり卒業後も会いたい!と思える人ばかりだ。

ゼミ生活

2年より必修となったゼミ。やりたいことないけど楽しそーなことしたいというのと、聞こえだけは良い「学長」のゼミへ所属。ゼミ生は20名。約半分が国際環境経済学科の学生だった。学内の田んぼと屋上庭園にある作物を育てる実習や、「経済地理学」「農業地理学」を主な専攻としておこなっていた。今思うとこのゼミがあったから現在の職業につけたのだと思っている。
自分たちの生活から遠くに位置してる自然と農業に触れるべく、フィールドワーク等で実際に自然に触れることが多かった。
ゼミ合宿では屋久島・小笠原・広島へ行き、ゼミ生有志で白神山地へ行った。ゼミの卒業旅行では九州半周をした。自ずと仲の良いゼミになり、よく飲み会などをしていた。ゼミに所属したおかげで知見が広がり、仕事につながったとおもう。


就職活動〜就職まで

大学3年生になると始まった就職活動。
不安で仕方なく、いろんなことを学べるからと「就職ゼミ」という講座をとる。自己PRやらガクチカやら、就活生は一度は通るあれを学んだ。
やらなくてもどこかしらに就職はできるであろうと思ったが、なんせ経験がなく不安ばかりで、キャリアセンターなども使って活動した。
面接練習もあった(気がする)し、自己PRも見てもらったし。早めに動き出そうと思って動いた。
自己分析やらをしていた時から受ける業界はほぼ絞っていた。
・運輸、物流業界
・ホテル業界
・観光業界
あたりであったはず。
有効求人倍率が2倍を超えていた頃だったので、平たく言えば選ばなければどこにでも入れる時代であった。
お陰で、アミューズメント業界1社、ホテル業界1社、物流業界1社から内定をいただき、物流業界にお世話になることとした。いわゆる物流子会社に入社が決まった。


会社へ入社

2017年、大学を無事に卒業し、現在の会社へ入社。同期は16名。入社式の日に配属発表であった。
全国転勤のある全国職、エリア内にて転居を伴う転勤があるブロック職、自宅から通勤できる範囲内で転勤がある地域職の3つの職種の中で、私は「ブロック職」社員として入社をした。
同期16人中4名全国職、5名ブロック職、7名地域職。10名が本社や埼玉などの「首都圏」に勤務することになり、地元を離れて勤務する人が4名、のちに現在も続く「田舎組」が結成された。
異動やら退職を重ね、現在は14名。うち本社7名、埼玉2名、東北1名、神戸・滋賀・佐賀・新潟に各1名(これが田舎組!)である。
入社式の日。座席が張り出されており、法則性のある座席順であった。というのも内定者時代は名前順だったものが、入社式は職種順に並び変わったからだ。全国職・ブロック職・地域職で、会社の定める「機構順位」に基づいた配置になった。この瞬間、私は新潟なのではないかという変な仮説を立てて辞令交付式になった。
「〇〇どの、新潟支店 〜部〜課 勤務を命ずる(プライバシー保護のため名前と部署名は伏せます)」。
やっぱりなぁと。まさかないだろうと思っていたことが起こって、その時は人生で1番冷静に事実を受け止めていた。
1週間、研修のためホテル暮らしをしており、入社式後の懇親会が終わってホテルの部屋に戻り、知り合い各所に連絡をした。その時は初めての一人暮らしで一人寂しい生活が始まることにとても不安で仕方がなくて5時間ひたすら泣いていた。
FacebookやTwitterなど、SNSでみんなに伝えたら反響が大きく、泣きながら皆に連絡をした。入社後の研修を受け、夜に集合して送別会をしていただいたり、皆に気軽に会えない日々を埋め尽くすべく楽しんだ。(結局頻繁に帰ってるのであんまし意味がないけどね⍤⃝)


新潟支店での社会人生活スタート

本当に恵まれた環境の新潟支店。支店長は私の入社時に変わったそうで、とても優しい笑顔で毎朝出迎えてくれる。
副支店長も私の配属1週間前から新潟支店に入り、どうやら本社で課長をされていた。副支店長がとてもとても私を気にかけてくれて娘かのように接してくださり、新潟での生活をフォローしてくれていた。
副支店長は、ある日私のことを別室に呼んだ。「他の社員から、最近〇〇が元気なさそうだということを相談された。なんか困ったことはない?」と声をかけてくれた。初めての繁忙期、先輩が怖いし仕事が忙しいし、でも私は1番下だから1番働かないといけないと思っていた時で、ただただ目の前に食らいついてただけだったが、周りから見たら辛そうに見えていたのだろう。約1時間、泣きながら話す私の話を聞いてくれた。きっと副支店長には私が辞めそうな雰囲気を出していたと思っていたのだろう。大して出来のよくない社員なのに、あなたは素晴らしい!と褒め称えてくれて、話すと心が洗われるようなそんな素敵な上司に出会えた。
部長は声がでかく、怖いおじさんなイメージだったが、女性に対して怒ることはなく、優しく接してくれる。怒られたことは私もない。
直の上司である課長は、5年間で2回変わった。入社した時の課長は今や南東北の部長、2年目の時の課長は本社課長を経由して北東北の部長、3年目からの課長は私が入社時には課長代理であったが内部昇格で課長となった。1番付き合いの長い人であり、中堅社員となった今もこの課長から学ぶことが多すぎて吸収しきれない。(何言ってんのこいつって思うことも結構多いが)
教育担当の先輩社員は、2個上で体育会系出身であった。ストイックで社会性が身につきすぎてて、とても怖かったし、ある程度の距離感を常に保っていた。あまり誉めていただいた記憶がないので余計私は病んでいたのだろうと思うが(笑)この人なしには私の社会人生活は成り立っていなかったと思う。
若手の多い新潟支店は、仲も良く、仕事も忙しいせいか人間関係でこじれることはあまりないように感じる。(周りからはどう見えてるがわからないが)
他支店の同期と定期的に近況報告の連絡を取ると、なかなか大変そうな状況を耳にする。同期のいない新潟支店の配属は嫌なことばかりを想像していたが、新潟に来たことが正解だったんだなと思う気持ちがとても大きく、今や異動したくないなという思いでいっぱいである。

そんなこんなで新潟生活も5年が経ってしまいました。
意外と周りに話したことのない人生をこうやって書き連ねていくと何もないようでいろんなことが起きているなぁと。もちろん27年いろんなことがあったからここに記せなかったことの方が多くある。
いっぱい笑って、いっぱい怒って、いっぱい悲しんで、いっぱい泣いている。これが人生である、と言われればそれまでだが…まだまだ人生は楽しみたいゾ!

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