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「自分の人生、見つめ直してみよう」-2



※筆者、人生の棚卸中。ぜひ第1編からお読みください。 第1編はこちら

私の学生時代〜高校編〜


無事合格を勝ち取り、入学。まず同じクラスに出身中学が同じ人がいない…みんな可愛い…しっかりしてる…と孤独感ばかり味わっていたが、あるクラスメイトのひと言があったおかげで、自分を認められた気がして、そこからの高校生活は薔薇色になった。(そのひと言を忘れてしまったあたりやべえな)。その子のひと言は高校3年間のバイブルとなり、今の人生につながっているからとっても偉大なのになぜ忘れた、あの言葉。

高校3年間はクラスも部活も恵まれて本当に充実していた。本当に仲良しになった子は社会人アラサーになった今でも連絡をとるし会うし一生の友達になった(と思っている)。

県立の公立高校ということもあり、埼玉県下全域から通ってきていた。学校は駅近ではなかった。むしろ最寄駅と謳うのは嘘なレベルの距離だし、駅からバスが出てるわけでもないクソ辺鄙な場所であったが、毎年合格倍率約2倍なので、受験生からしたらどこか魅力がある学校なのであろう。チャリ通・電車通学は半々程度。

チャリ通民、かつ、家から7分の私が「学校帰りに寄り道」する場所なんて、通学ルートの中にはコンビニくらいしかなかったので、家と逆方向にチャリを走らせて、マックに行ったり、フードコートに行ってクレープを食べたりするような高校生だった。自称進学校な高校だったのでテスト前も同じく家と逆方向にチャリを走らせ、フードコートかスタバでお勉強(しているふりをしてた)。

自称進学校な私の高校では、勉強習慣を身につけることと、友達づくりのために、長野は池の平温泉に2泊3日の勉強合宿に、入学3日後から連れてかれた。そこで大学受験を意識した勉強法を叩き込まれたがそんなのは身につくわけもなく、高校生活を謳歌することに一生懸命生きていた。

実際に受験モードに入ったのは高校2年の冬だったと思う。私立高校のみの受験として、やりたいことも当時特になかったので、無難に「経済学部」を受けることとした。文系にいるくせに国語嫌い・数学好きだったからである。文理選択も高校1年の夏頃に決定させられ、自分のことを理解できていないのに強制的に送り込まれた。1年の理科系科目は地理・生物だったし、この二つはめちゃめちゃ嫌いであったのと、社会科目が世界史でこれも歴史嫌い発動のため、理科系科目嫌い及び歴史嫌いという安直な理由で文系地理選択という学年に10数人しかいない進路を選んだ。(当時の選択科目から、定番の選択は文系=日本史、理系=地理であった。のちに「あまのじゃく文系集団」と呼ばれる集団の1人となってしまった)あまのじゃく文系集団は人数が少なく、そのようなくくりにされたことにより団結力がより一層強く、仲良くなった。とても楽しかったなぁ。いざ受験となり、成績は2/6。勝率33%だった。合格した2校は女子大か共学。女子大は選択肢になく、共学1択状態であった。この瞬間に私の教育は埼玉県内で完結することが決まった。


高校時代の記憶はぎりぎりある。

いろんなことを思って生きていたんだなー。何気なく生きているつもりだったけど。


中高しか今は振り返れてないが、我ながらになかなか楽しい人生を送っていると思う。軽く思い出すだけでも大学もなかなかいろんな楽しいことを経験できていると思うので。また時を見て記事書きますね。

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