【しをよむ083】吉岡実「静物」——感覚たちの想起と死。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

吉岡実「静物」

石原千秋監修、新潮文庫編集部編
『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』より)

たんぽぽ鮟鱇ときて、今週は秋の果物です。
季節感があっちこっちしています。
来週はどことなく夏の大雨を思わせる詩です。現実の季節に戻ってきました。

さて、今回の詩「静物」は、文字から昏い色調の絵画が、油絵具のにおいとともに立ち現れてくるようです。
瑠璃の器、引き締まったりんごの皮。数粒のぶどうは器からこぼれて天鵞絨の敷物に転がっているかもしれません。

「くだもの」ではなく「くだものの絵画」を想起させる筆致は
美術品そのもののように美しいです。
文章から絵画が現れ、その絵画からさらに感覚が呼び覚まされる。

「それぞれは
 かさなったままの姿勢で
 眠りへ
 ひとつの諧調へ
 大いなる音楽へと沿うてゆく」
という箇所が、前後の繋がりも相まってとても好きです。

絵画という空間芸術から音楽という時間芸術へ。
そこからまた「絵画」へ目を戻したとき、音楽によって流れていたのと同じだけの時が流れています。

柔らかく熟して、甘美とも不快ともつかないにおいを放つくだもの。
器のふちが梨の実に食いこんでいる。
絵画は絵画のまま、手に取られることもかじられることもなく、ただ形が崩れるままにまかされる。
この「静物」は栄華の儚さをえがくヴァニタスだったのでしょう。

おだやかに、あるがままに朽ちていく、
静かな長い夜にはこの詩を携えて、陰鬱で美しい眠りに沈んでいきたい気分です。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週は山田今次「あめ」を読みます。

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