【しをよむ097】糸井重里「てつぼう」——手のひらに金気のにおい。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

糸井重里「てつぼう」

石原千秋監修、新潮文庫編集部編
『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』より)

小学生の読み手を想定して書いたように見える作品です。
大人になってから読むと、最後の
「てつぼうは こんな こさめのふるひ
 いつまでも きみを まっています」
の切なさとも相まってノスタルジーを感じますね。

鉄と砂と、体育がまるでできなかった苦い思い出が蘇ります。
てつぼう……、体育でやる種目の中でも一、二を争うほど苦手でした。
「さかさまになる」というのが怖くて、最初に習得するはずの前回りができなくて……。

あまり愉快ではない記憶が引き出され始めたので、切り替えていきます。
晴れた日には子供たちが駆け回る公園や校庭も雨が降ると薄暗くてしんとして、
遊具たちは取り残されたようにしっとりと濡れていく。
バネ付きの木馬みたいなあれとか、ゾウの滑り台とか、顔のついているものはさらに哀愁が増して見えます。

ここで連想したのが、作詩:大木惇夫、作曲:多田武彦の合唱曲「雨の日の遊動円木」です。
男声合唱でしか聴いたことがなかったのですが、混声版も出ているそう。
一日中降り続く雨の下、さみしく揺れる遊動円木の姿を歌う作品で、
ゆったりした響きが窓辺での物思いを引き起こすような、
けれども少しユーモアや可愛らしさも滲むような。
男声合唱は倍音の力でハーモニーがすごく膨らむんですよね……。ちょっと羨ましいです。
女声合唱の透き通る繊細さもとても好きなのですが。

「雨の日の遊動円木」も含め、無伴奏合唱曲は純正音程にピタッとはまる瞬間があって、歌う側としても聴く側としても醍醐味のひとつだと感じます。

てつぼうの話に戻ろうとして唐突に思い出したのですが、
雨に濡れたてつぼうって、触ると手のひらにすごく金気のにおいが付きますよね……。
なんかその、いい思い出があまりなくて鉄棒に申し訳なくなってきました。

てつぼうに待っていてもらえるような子供じゃなくても
それなりに楽しく暮らせる大人になれるよ、と幼い頃の自分に言ってあげたいです。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週は阪田寛夫「三年よ」を読みます。

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