大学受験のはなし

誰にも言えない、言ったことがない、言うつもりがない。だからnoteに書きます。(は?)

暗黒の大学受験

何度もしつこいですが、もう一度軽く高3までの流れをお話しますね。進路の面で。

中学受験という束縛からようやく解放された私は遊びまくります。高校生になってもそれは変わりませんでした、それどころか寧ろエスカレートしてく遊び癖に寄り道癖。夢も目標もなくただ遊び呆けることしかできなかった私が高校2年生の時、周りに比べたら圧倒的に遅いとはいえ初めて自ら勉強したいものに出会います。

そしてこれがきっかけで本当に軽いノリで大学行っても古典の勉強したいなと思い文学部を考えましたが、なんと親が文学部だけは本当に反対。ダメだの一点張りで私は折れます。またさまよってしまいます。

そして結局何もないまま高校3年生になります

周りは受験モードになっているのに私は友達と遊び呆ける日々、何してるんだろうな自分。そんなことばっか考えてました。

大学生になりたい、私も本気で勉強したい。なのにできなかった。苦しかったです。ただ進む道がわからないだけなのに、これを話したところで本気じゃないからできないんだろ今更何を言ってるんだって言われるのは目に見えてて、誰にも言えませんでした。

そんな感情と葛藤しつつ、受験に向き合おうとする中、心理学に出会います。実はずっと興味はありました。そして調べるにつれて面白そうと思うようになります、勇気を出して話してみると親は賛成してくれて心理学部を目指すことになります。少しずつですが自分の進みたい道がくっきりとしてきました。

そして問題は大学。とりあえず学力的にこのレベル?ってとこを候補に上げて、その中でも父親が落ちた大学を第1志望にしました。なんでなんでしょうね。でもまぁそれきっかけで大学も色々調べるようになってまぁまぁ本気で行きたいなと思えるようにはなっていました。

当時は本気で行きたいって思っていたように見えましたが今思うと本気で行きたいなんて気持ち微塵もありませんでしたね。ハッハー

本気で行きたいんだって無理矢理言い聞かせてたんだと思います

案の定、受験は失敗します。大失敗です!
そりゃそうです、本気で向き合わなかったんだから、勉強なんてしなかったんだから。気持ちだけで合格できるならみんなしてます。

1月の滑り止めが全部落ちた時点で私の豆腐メンタルはもうぐちゃぐちゃでした。滑り止めは結構いい点取れてたんですけどね。世の中そんな甘くないです。そっからは部屋で1人で泣く毎日。2月受験したくないとしか思っていませんでした。そしてここだけの話、滑り止めが落ちたと分かった後の最初の受験は無理すぎて途中で親に何も言わず勝手に帰りました。

まー、もう無理です。第1志望も全落ち。実際問題今年は倍率が高かったのもそうだし、なにより実力が追いつかなかったのも事実です。

あんなに面倒みてくれて応援してくれた先生、なによりこんなバカにたくさんお金を掛けてくれた親に申し訳なくて死にそうでした。

そして2月中旬くらいに、私は大きな選択を迫られます。後期も受けていいからその代わり1校だけ看護学部を受けてほしい。

うちの両親は医療関係の仕事をしている人でした。だから小さい頃からずっと医者になれと言われ続け、まぁその呪文のように言われ続けてた言葉も爆発に繋がってしまったのかもしれなかったのですが。
気づけば絶対医療関係なんて進まないとあたりまえにそう思っていました。ましてや私は血が苦手。論外です。

けれど、ここまで迷惑をかけてるんだから何も言えないし考えてる時間ももうない。その大学の看護学部は唯一生物化学なしで私のようなゴリゴリの文系でも受けれるところでした。とりあえず願書を書いて出します。

そんな中、2月下旬ですね、まぁまぁ名前のある大学が補欠で通ります。しかし、心理学部ではなく全く興味がない学部。そして看護学部を受ける予定の大学の違う学部が合格します。それは心理学部と情報学部?だったかな

とはいえとりあえず、看護の試験は残っているわけです。急遽決まったたった1回の看護学部の受験。いつも通り受ければいいと思っていましたがここである問題に気づきます面接です。私は面接を受験で使ってこなかったので練習もしてなければ対策も1回もした事がありません。もうこの時点で私は落ちるのを確信していました。

看護学部の受験は卒業式の翌日。
とりあえず行く大学はある。気持ち楽に行こう。今は一旦、卒業式のことを考えよう。というタイミングでコロナ、卒業式は縮小。最悪でしたね。もう全部厄年のせいにしました。

が、今思うと無事卒業式ができることに感謝です。話がズレましたすみません

そして翌日。まだ私の受験は終わっていません。
まさか自分が看護学部の受験してるだなんて1年前の自分に言ったらドン引くでしょう。
英語国語を無事に終え、残されたのは面接でした。卒業した次の日にもう制服着てるとかおもしろ!とかクソつまんないことを考えながら気を紛らわせいざ本番。圧迫面接のつもりで行ったらなんと陽気なおばちゃん2人でした。阿佐ヶ谷姉妹みたいな。雑談みたいなノリで逆に色々探られてるんじゃないかと怖かったですがなんとか乗り越えます。

まぁ落ちてるだろうな。と特に意味もなく強い確信。そして翌々日。通知が来ます。

合格

えーーーーーーーー。まーじーでーーー。
というような感じでしたね。あはははは

さぁ二択です。あんま名前のない大学の看護学部に行くか、名前はあるけど死ぬほど興味のない学部に行くか。(心理と情報は看護を受ける代わりに気持ちの保証という意味で受けさせてもらったので看護合格した時点でなし)(語彙力もなし)

悩みましたねー。でも母はどんなに有名じゃない大学でも国家試験を取って看護師になれば勝ちだから、食べていけるからと。まぁ遠回しにそっちを選んで欲しいと言われたようなもんです。祖母も女は手に職をつけなさいとずっと言ってました。

言ってしまえば両方行きたくない大学学部みたいなもんだったんです。

散々迷惑をかけました、幼い頃から塾に通わせてもらっているのに結果がこれ。情けなくて仕方なかったです。だからせめて最後くらい真面目に生きてみようということで私は大学のブランドを捨て、看護学部に行くことを決心します。

もしこれを話したら色々言われると思います

本気で看護学部を目指している人に失礼だ、そんな気持ちじゃまた失敗するぞ。とかね

でも看護学部に行く人全員が元から本気で看護師を目指してる人じゃないと思うから、色んな人がいると思うから。私は挑戦してみます。

看護師になりたいんじゃなくて
看護師になると決めたんです

私が人に大学受験の話をできない理由はきっと学歴コンプみたいなものや色々な感情をまだ引きずってしまっているからだと思います。

大好きな学校の先生にすら言えませんでしたからね。でも時間が経ってだいぶ落ち着いた今はいつか誇りを持ってこの話ができるように4年間、過ごしたいなと思っています。

なんか涙でてきた。つづきます

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