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好きを疑うことなかれ

noteの更新について悩んでいる、と以前書いた。その時は、やめて後悔するかもしれないから、とりあえず続ける、ということにした。
別に、無理して続けることないのに、という意見もあるかもしれない。わたしもそう思う。

それでも辞めないのは、怖いからだ。
やっと夢中になれるものを見つけたと思ったのに、これもニセモノだったらどうしよう。
わたし、ほんとに飽き性のろくでなしじゃん。
そう思ってしまうと、途中でやめることができない。

昔から、とんでもない飽き性だった。
だから、一つのことを極めることができるのって、かっこいいなあ、と憧れていた。
わたしにも、きっと夢中になれることがあるはず。あれこれ手を出すけど、どれ一つとして続かない。

「こつこつやろう」とか「継続が大事」という言葉を聞くたびに、何も続けられない自分が、ものすごくダメな人間な気がして落ち込んだ。

ずっと飽き性のままはイヤだな、と思って、去年の6月からnoteの更新を始めてみた。
どうにかこうにか半年以上は続いている。
わたしだって、やればできるじゃん。
良かった。書くに対する気持ちは「本物」だった。そんなふうに思っていた。

でも、そうするとね、「もうダメかも」「毎日書かなくてもいいんじゃないかな」ってなった時に、意地悪ぽん子が顔を出すわけ。
「途中でやめるってことは、そこまで書くこと好きじゃなかったんじゃないの?」
「ほんとに好きなら、諦めないでやれるはずじゃないの?」って。

え、またこれも違うの?
他にまともにやれることないよ。これも違うなら、わたしほんとに役立たずのおっちょこちょいじゃん。そう思うと、休むに休めなくてさ。

でも、ある時思ったんですよね。
本当にいやだったら、多分テキトーに理由つけてやめてるよなって。
書けないってしょんぼりするってことは、やっぱりわたし書くこと好きなんだよな、って気がついたんです。

わたし運動オンチだから、バスケのゴールも入んないし、野球やっても一球も打ち返せないと思うけど、それで落ち込むことないと思うんですよね。悔しいとは感じるかもしれないけど、そっから毎日素振り100回とかはやらないと思う。

なんかうまく言えないんですけど。
ほんとに好きでやってるから、その分悩むし、落ち込むこともあるんじゃないかなあ。

こうやってグダグダ悩むってことは、わたしは間違いなく書くことが好きなんだと思う。
だから、心配いらんよって話だね。

まとまりはないですが、今日はここまで。
また明日。








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