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ずっとメガネを探している話

さっきもメガネを探していた。

たぶん私の人生の80%はメガネを探す時間になっているような気がする(言いすぎや)。

メガネというのはどうしてあんなに無意識に外した途端どこかへ隠れてしまうのか。

これからはメガネのことを逃走犯と呼ぼう。

そしてその逃走犯を見つけ出す際、もちろん目が悪いので失くしたメガネが見えるわけもなく、怪しげなババアがおろおろしている図になってしまうわけである。

周りから見ればおかしな人だな、くらいで済むがこっちからすれば前がちゃんと見えていないので一大事だ。

失くしたメガネが見えないのでメガネが乗っていない台までいちいち触ってみないと分からない。

そしてやたらいろんな台を触る人と化し、私の手は空を切る。

勘弁してくれ、このままでは私の人生を一言で例えるならメガネだ。

コンタクトにすればええやん(天の声)。

そう、その通りなんだが私は未だにコンタクトを買うのを渋っている。

1度覚悟を決めてコンタクトを買うべく眼科に向かった。

がしかし、目が恐怖を訴え全然開かないし、花粉症の真っ最中で目が痒くなってしまい、涙が止まらないという現象が起こってしまった。

それにより、コンタクトを断念したまま私は今に至る。

あの時、意地でも目を開けられていたらと後悔は募るばかりだが、とりあえずメガネは目を直接傷つけることもないし、なくさなければ楽だよなあと思いながら、自堕落な私は長年連れ添ったメガネをかけてこの文章を打ち込んでいる。

メガネとは気づかぬうちにかけ、気づかぬうちに外しているものだと思う。

必死に探すがどこに置いたかという記憶も心当たりもあるはずはないのだ。

ただ1番虚しいのはメガネを右手に持ちながら必死にメガネを探していた時だ。

目が悪すぎて右手に握りしめるメガネさえ見えなかったのか、それとも私の右手の感覚は死んでいるのか、これは本当によく起こる。

しかし1人で必死に探しているため、誰もそれを見て笑ってくれるわけでも教えてくれるわけでもなく、ただ部屋に独りで立ち、ずっと探していたメガネを自分で握りしめていたことを悟り、情けない表情で右手とメガネを見つめることしかできない。

なにか改善方法はないか、と考えてみたところ「メガネにGPSをつければいいんだ!」とたった今突然閃いた。

が、どうせ私のことだから、「GPSを確認する時間が無駄だ!」とか「私をなんだと思ってるんだGPSなんかに頼らなくても見つけられる!」とかなんとか思ってしまって結局意味がなさそうなので、これからの人生の80%もメガネを探しながら真面目に生きようと思う。


#ブログ #エッセイ #どうでもいい話
ずっと #メガネ を探している話

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