抽象写真が好きな話
私自身、結構個性的な写真が好きだ。
出た出た美大生特有のアクの強さだよ。
とお思いだろう。
わかる。
さすがの私でもわかる。
これはなかなか分かってもらえない話だということも、もちろん分かるのである。
写真は綺麗に写してなんぼだ。
でも写真の美しさは、画質の良さや景色や人の美しさだけではないのである。
抽象画みたいな写真が好きだ。
と最初に述べたが、抽象画みたいな写真とは一体何か。
私が抽象画みたいな写真、を分かりやすく話すとするなら、デザイン的な写真、と言うだろう。
もっと分かりやすく言うと、写真は平面だが写真を見る時、私達は頭の中で立体的な物として景色や人物を把握している。
だが、デザイン的な写真は、平面だ。
立体として把握することのできない、そういう写真が好きなのだ。
私の撮った抽象画的写真である。
こういう、訳の分からん写真が好きなどというのは、もしかしたら邪道なのかもしれないし、あるいは写真として如何なものか、と言われてしまうのかもしれない。
でも、美大生として、デザイン的な写真は芸術作品として美しいと思う。
ただの失敗写真だという意見もあるかもしれない。
確かに風景写真としては圧倒的失敗作であると言えよう。
だが、抽象画として、もしこれが絵として存在していたら、私はすごく素敵なものを目にしたと感じるはずだ。
このような写真の存在価値が、全ての人に理解されることはきっとないだろう。
抽象画や抽象写真の良さは、大胆な見た目であるが故に気づかない意味の深さと、自分だけがその絵の豊かさを知っているという、いわゆる優越感のようなものにあるのだと思う。
いや、私はそうであると思いたい。
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