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私の性質

私の癖 私の思考の癖
閉まっていたもの
目の届いていないところ
人と話すと気がつく事がある

会話の中で
瞬時に言語化できない事がまだある
ふとした会話の中で気づかされる

症例やカウンセリングの研究レポート
精神医療 哲学
ヨーガやセラピーの勉強をしていたりすると
表現が硬くなったり
小難しい感じになってしまったりする事もある
クライアントさんには
専門用語をできるだけ使わないように
相手にしっくりくる言葉で
話すように心がけている


普段のふとした会話
自分の事を話す時
専門用語とかそんな言葉では当てはまらない
自分らしい言葉じゃないと思う事がある

しっくりくる言葉があるととても落ち着く
最近英語を勉強しなおしているけど
自分の知っている数少ない単語を並べると
自分の伝えたい気持ちが
素直に力を持って出てくるところが
好きなのかもしれない

会話の中で自分の事を言語化しようとした時
モヤっとする時がある
記憶袋を探るように
自分にしっくりくる言葉を探す
でも
瞬時に当てはまらない時
表現を探っているうちに遠く離れて行く事も

そんな時は
とりあえず間を保つ為
とりあえずの言葉にしていくけど
どんどん離れていったりして
ちょっと切なくなる
本当はこんな事言いたいんじゃないのに
自分を適当なオブラートに包んで
守ろうとする自分がとりあえず出てくる

話しているうちにしっくりくる事もある
思いと言葉が一致しなかった時は
後で熟考する

でも
だんだんと
自分が抱いている感情と表現の違いに
気がつくのが速くなっていた

出た瞬間に違和感
違う
と感じる

過去の自分と出会う

まあいいのだ
あとでゆっくり熟考するのだ
と思いながら、、、

それで、
ちょっと感じた事を書きます
未熟な自分だけど
かっこ悪いけど
未熟さも自分の一部
伸び代があって良いじゃないか

私は
あなたはこうだよね
って言われる事に
違和感を感じたりする
決めつけられたくないと反発したり
自分ってこんな感じ?って人の評価に対して悲しくなったり
傷付いたりしてきた


あなたは強いとかね
私はその強さを自分の良さだと思う
と同時にコンプレックスにも感じていた

小さい頃から母から言われ続けてきた
あなたは強い 子供の頃からしっかりしていると言われ続けてきた
母は感覚的 熟考する事が苦手
多角的には見るのも苦手
突き進む強さは有る
現実世界ではどうかな、、、
うっかり屋というか
浮世離れしているというか
訪問販売の人におだてられて高い商品買ってしまう人
子供の頃からお母さん、大丈夫?と不安がついて回った

こんな風に書くとマイナスな面に見えるかも知れないけど
母の性質であり
いつも周りがどうにか助けようとしてくれる
どうにかなるもんだ
大いなる力は働いていると
わからせてもらったとおもう
彼女の良さなんだと思う

そんな母からは
子供の頃からお母さんのお母さんみたいとか
強い 強い
この子には
麻なんて文字を名前につけてしまったから
強くなってしまった
そんな風に人に紹介されてきた

私は14才の時に
この子は大丈夫
しっかりしてるから
と言われ

母は私を置いて家を出て行った

強い しっかりしている
子供の頃は誇らしさもあったし
その言葉を裏切れないと思っていた
我慢した

更に
17才で世帯主になった
こんな風にして
ここにはかけないようなこともこなしてきた
(人のプライバシーを侵す事になるのでかけませんが)
強さがなければ
生きてこれなかったし
自分の性質だから
できてしまうのだと思う

両親なりの表現方法で愛情は受けてきたと思います

支配的だと言われて良い気分になる人は
少ないと思う

私が中学生の時には
誕生日占いとか西洋占星術ブームが来た
母はハマりやすい性分で早速誕生日の解説が書かれた分厚い本を購入した
そして
子供達の星座を調べた

私は毛沢東と同じ誕生日だ
世界が知る独裁者の一人だ
もはや私の自虐的もちネタ

私は、ジタバタしたって仕方がないから
自虐ネタにする事を選んだ

でもさ 普通の女子中学生は
毛沢東だ 独裁者だって言われたら
ちょっと嫌なんじゃないかな
私も実は嫌だった
今だってやっぱり嫌です
マザー・テレサとかヘレン・ケラーとかダライ・ラマとかの方が良い

この子は強い
この人は強いと言われ
期待に応えてしっかりしたいと思った
幼少期
そんな自分の強さと現実を生きるために性質が
前面に出た
思春期
本当は皆んなに優しく慕われる
存在するだけで人が和むような人になりたい
と憧れる気持ちと
周りに映る自分とのギャップに苦しんだ

強さをキャラにして乗り越えてきたところはたくさんある
十代の頃は
親のそんなこんなで高校も辞めたので
自力で自分の進む道を行こうと
芸術家や自分の道を突き進む人達混ざったりして
可愛がってもらった
おじさんたちは毒舌キャラ喜んだしね
サービスのつもりでやっていた時もあった

でも、だんだん苦しくて

やっとそんな自分を認めて
卒業してもいいよ
自分に言えたのは
子供を産んでからかな

子供はよほど自分より洗練された魂を持っていると思う
子育てをしていると
子供達に成長させられる
支配的にのらないように
気をつけなきゃという思いは
いつもある
性質はあるから


言葉一つで人のコンプレックスを助長される事もあるから
気をつけようと思っている

言葉足らずで人を傷つけてしまった事もあると思う
仮に独裁者の星に生まれていたとしても
決して人を力でねじ伏せたいとか
誰かの人格を、否定して
自分の思い通りにしたいとか
一切思っていません

私には、個性豊かな子供が四人と自由な夫がいます
宇宙はとてもバランスをとっていて
私の思い通りになんて行かないのです

ヨーガのおかげで自己客観視力をつける訓練ができたし
そのおかげでだいぶ生きやすくなりました

この地球に肉体を持って生まれた時点での
私達の物質的な性質はあると思う
宇宙全体を見れば 
それもバランスのひとつ
それを そのまま認めて欲しかったんだな
私も自分を認め受け入れる

ふとした会話の中で
相手は何とも思わなくても
気づかせてくれる相手がいるというのは
私にとってはとてもありがたい

みんな神様からの
プレゼントとだと思う

偶然が重なる事
何かが 同時に動いている事に気がつく時間があったり
会える人には会えるけど
会おうと思っても会えない人もいる

それも無意識下で選択し続けて
プログラミングのように積み重ねてきたデータ
記憶袋の中からとりだして
猛スピードで選択している

ジタバタしたり
色んな感情を抱いたり
過去の恥ずかしい自分も

それもいいじゃん、わたし
って思えるようになった

39さい
成長したというか
こうあるべきがとれてきて
今まで使ってきたところと
違う面を使う感じになってきたのかな

私の魂
色んな面を持つ私
それでいいんだよと
無邪気に遊ばせていきたいと思います

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