離檀料の事、附けたり墓終いの事。

テレビで離檀料のことが報道されています。
離檀というのは檀家を辞めることですが、私見ではこれは跡継ぎがいない家の墓終いとリンクしています。

私見では、お寺の側は悠久の時間の中で物事を考えています。ですから先祖代々そこにお墓がある家は、そのままそこにその家のお墓があるのだと感じるのです。
また先祖代々のお付き合いがあると考えていると、そこの家のお祖父さんもその前もずっと自分のところで引導を渡したという気持ちがあります。
また墓地があれば、その墓地の管理をずっとやってきたという思いがある。草むしりもあれば水道など水回りの管理やお供えの花の回収などあるのです。
だから急にもう辞めますと言われると衝撃が大きいのです。

しかし檀家の方としては、多分その家はもうお子さんが居ないまたは客観的に見て家を継ぐ人がいない、つまり墓地継承者がいない場合があるでしょう。そうなると、自分の死んだ後に墓がどうなるか不安だということになります。目の黒いうちに問題を解決して安心しておきたいということもあるでしょう。だから墓からお骨を抜いてどこか合祀墓に入れて、墓石も片づけて離檀しようということだと思います。

しかし、お寺の側としてはそれは「いつか」の話にしておきたいのです。本当にその問題が出るまでは、それは「いつか」の話にしておきたいと思うのです。悠久の時間の中で、いつかはそうなるだろうが、それはいまではあるまい、という感じだと思います。

これはよく話し合うべきとも思いますが、片方が思いが強いとなかなか話し合いも難しいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?