『三昧発得記』私訳1
法然上人はご往生の時に空中に極楽浄土のすがたや阿弥陀仏をご覧になっておられたが、それは口で称えるお念仏の功徳であった。(それまでは口で南無阿弥陀仏と称えるのではなくて観想念仏によって観ようとするのが修行だったからである。これは簡単に極楽に行ける道を開いてくださったので本当に有り難いことである。)
法然上人の身の回りの世話をしておられた源智上人がそれを記録され、法然上人が極楽往生された後、つまり亡くなられた後に高野山の明遍上人がそれをご覧になられとても有難いものだとうれし涙を