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子宮内膜症と生きていくはなし。

私は2019年の8月末に子宮内膜症の腹腔鏡手術をし、病変を8つ取りました。半年近く経った今も痛みは完全には引いていません。痛みと寄り添うようにして暮らしています。

子宮内膜症で治療中の方、もしかしたら内膜症かも・・・という方のひとつの参考になればと思い発病から現在までについて記します。

子宮内膜症は今や、女性の10人に1人が発症していると言われる病気として、女性に対してはメジャーになってきました。

まだ、私が重い生理痛で初めて婦人科を訪れた12年ほど前は、病気の進行を抑える為の低用量ピルも保険適用外だったし、子宮内膜症の診断もされませんでした。

左の卵巣が破裂して腹膜炎になり入院した6年前ですら、子宮内膜症と診断されなかったし、手術することもなく抗生剤を投与するに終わりました。

そしてこの病気がメジャーになった2020年の今でも、内診のエコーでは卵巣の腫れくらいしか確認することができず、子宮内膜症を専門とする医師がMRIで異変をつかめるくらいで、癒着の状況は手術して腹腔内を見てみないと実際わからないという患者的には非常にモヤモヤする病気です。

私は卵巣破裂した6年前から低用量ピルを飲み続けてきましたが痛みは改善することもなく、2年ほど前から過労も相まって酷いPMS症状と、出血時以外の日常的な痛みを伴うようになってきました。

早朝から夜遅くまで仕事に追われる日々で病院に行く時間もとれないので、サッと薬を出してくれる町の開業医をかかりつけにしていたのですが、ついに昨年、出血もしていないのに道端で脂汗をかいてうずくまり動けなくなるほどの痛みに発展してしまいました。

ある日、仕入れ先メーカーの担当者さんと同行営業しているとき、私が具合悪そうにしているのを見て、スキンヘッドですごく強面だけど本当はめちゃくちゃ優しい担当者のおっちゃんが

「一度ちゃんとした有名な病院探して見てもらわはったほうがええよ。仕事は休んだらいいですやん。」

と言ってくれました。わかっていたことだったのだけれど、体と向き合うのが怖くて忙しさを理由にして逃げていたのかもしれません。

実際、薄給業界で12年間独身一人暮らしで、貯金も殆どない。もし重病で働けなくなると生きていけない。その事実と向き合うのが怖かったのだと思います。

今まで複数の種類の低用量ピルを試してきたので、自分の中では手術しか道はないと決心して、子宮内膜症手術症例の多い病院を探し、紹介状も持たず頼み込んで受付けてもらいました。

病院の長い待ち時間のあいだ、5分おきに社用携帯にお客様や会社から着信が入り、また仕事が溜まってしまうと、焦燥感が募ります。

最初の担当医師は女性でした。

問診の後、後日MRIを取りましょうということになり、一週間後MRIを撮って診察に挑んだのですが、医師は判断しかねる様子で、また今までと同じように、低用量ピルを種類を変えて処方するに終わりました。

私は肩を落とし、とぼとぼと家路につきました。

その数日後、昔に卵巣破裂した左下腹部にまた激痛が走り、顔は血の気が引き真っ青でした。

絶対におかしい。

そう思って予約も入れず病院に駆け込むと、たまたまその日に外来担当だった若い男性医師が対応してくれ私のMRI画像を見てしばらく悩んでいました。そして、「僕は担当医でないので手術しましょうと今ここで言えませんが、内膜症の病変があると所見しますので卵巣温存で手術も視野にいれるべきだと思います。」と言いました。

私はここにきてビビってしまったのか、

「まぁでも、新しい薬を処方されたところですし様子見ですかね・・・」と答えてしまったのですが

「我慢できなかったから、今日あなたはここに来られたんですよね?」

と言われ、ハッとしました。

そうだ、私、手術して自分のお腹の中がどうなっているのか、はっきりさせてもらいたかったんだった。知りたかったんだ。

その後、そう言ってくれた医師がたまたま私が仕事上通いやすい曜日の外来担当だった為、彼を担当医に変えてもらい、婦人科部内のカンファレンスで承認も降りトントン拍子で手術することになりました。

実は後ほど聞いた話、薬の処方のみ受け痛みで足を引きずりながら帰るわたしの背中を通りがかったその医師が見かけ、何か様子がおかしいと気になってカルテを見ていたので私のカルテに見覚えがあったとのことでした。


入院のため、会社では仕事の引継ぎが始まりました。その時20件強、約4,000万の案件を抱えていた私には、痛む体で終わらせられる案件は急いで終わらせ、お得意先様へ挨拶に回り、膨大な引き継ぎ資料を誰が見てもわかるように揃えるのは骨の折れる事でした。

入院日、8日分の着替えを詰めて、ひとりで重たいスーツケースを抱え階段で4階の集合住宅を降り、タクシーで病院に向かいました。経済的には悩んだけれど心身含め本当の意味での療養期間にしたかったので、個室を選びました。これは正解だったと思います。

一通り施設や入院日程や全身麻酔などの説明を聞き、病室で一息つくと、慌ただしい日々から開放され心底ホッとしました。晩夏の濃く青い空と入道雲が絵画のように窓の額縁に切り取られ、その雲が形を変えてゆく様子を眺めるのは実に穏やかな気持ちでした。思えば、昼間に景色を見ながら何もしない日なんて久しぶりのことです。腹腔鏡手術は、傷跡も数ミリ程度で気にならないとのことで、手術の怖さは感じませんでした。

手術前日、大量の不味い下剤の液体を渡され、トイレとお友達な半日を過ごしたのはなかなかキツかったです。これが大部屋だったらと思うとゾッとします。私は体格が小さく、規定の下剤の量の6割ほどで手術できる腸の状態になりました。その後絶食で水分補給の経口補水液だけ飲み、手術当日は水分も禁止となり完全絶食の状態でお昼すぎまで手術の順番を待ちました。

手術室台に横たわるとすぐに麻酔が入り、猫のように大きなあくびをして私は眠りにつきました。

4時間と少し経って目が覚めたとき、私は病室のベッドの上で「痛い、痛い」と呻いていました。看護師と母と婦人科部長が目に入ったのですが、すぐに呻き疲れてまた気を失いました。

こんな痛いって聞いてなかったやん。早い人なら翌日には立てるし一週間後には日常に戻れるって言ってたやん。と思いましたが、後に切除したレバーのような子宮内膜病変の量を写真で見て腹腔内の映像を見ると、そりゃこんだけ取ってこれだけ腹腔内出血してたら痛いわ。と納得しました。

私は臓器の癒着が酷いタイプと言うよりは、本来子宮内膜にある組織がお腹の中に沢山散らばっているタイプで、「ブルーベリースポット」と呼ばれるその組織が出血する度に腹膜炎になり、また免疫力が落ちると炎症を繰り返すのでした。昔破裂した左の卵巣にも子宮内膜組織が予想通りあり、「チョコレート嚢胞」というその名の通りチョコレート色をした古い血液が溜まっていました。

数日で日常生活に戻れる人が多いと聞いていたので、会社の休みは長く取っていなかったのですが、実際私が退院したのは手術から6日目で、仕事に復帰できたのは約1ヶ月後の9月末でした。腹腔内の出血量が多く、お腹が血でパンパンに張り、その血液を体が吸収するまでの数週間、少し動くだけで痛みが強かったのです。本来術後の臓器の癒着を防ぐためによく動いたほうがいいと言われましたが、何より元々体力なく虚弱な体質なので手術による体力の消耗が激しく、仕事復帰してしばらくは、お友達とハイキングにキャッキャと向かう今どきの高齢者を見ると、私の100倍元気だな・・・と悲しく思うほどでした。

それから約半年、再発を防ぐために低用量ピルの処方は続いていて、生理は4ヶ月に1回に薬でコントロールしています。しかし不正出血は度々あり、そのたびに数日痛みと微熱で寝込みます。寝込むまで行かない日でも、毎日3回から4回痛み止めを飲んでなんとか日常を送っている状態です。医師には可能性はあっても立証できないと言われましたが、ストレスが強くなるとお腹の痛みも強くなる事が多いと感じています。

手術すれば痛みが良くなる人が多いと聞いていたので期待は外れたけれど、小さな傷跡が4箇所できたことと引き換えに、私のお腹の中で何が起こっているのか知ることはできたので、決断に対して納得できています。


私は子宮内膜症の他に、若い頃から目眩持ちで疲れるとクラクラと浮遊性のめまいがします。ひどくなると起床時に回転性の目眩となり意識朦朧として起き上がることすらできなくなります。胃腸も弱く、しばしば胃腸炎になるので胃腸薬も手放せません。

もっと人生思いっきり頑張ったり楽しんだりしたいのに、30年生きてきた今も体が思い通りにならない。私の気持ちに体がついてきてくれない。と知人に愚痴をこぼしたとき、

「心身の負担が体調に出てくるのはセンシティブで感受性が高いということで、それは時に病気にもなるけれど、実は大切にしたほうがいい君の感性ではないか。」

とその方は言ってくださりました。

確かに、寝込んで久しぶりに外出する一歩目の空気の美味しさは格別だし、そんな日のおひさまの光や、風や、鳥や子供の声も、道草も全てキラキラと美しく感じます。言葉に出さないけれど人が表情の裏に抱えている想いに想像力を巡らせることも、思い通りにならない体があり、自分が苦悩を抱えながら生きているからこそかもしれません。

会社は先日ついに辞めました。様々な理由はありますが、決められた画一的な働き方でモーレツに仕事するサラリーマンができる体では、もうないからというのも理由の一つです。

これからは、今日も私らしく在れているのか。大事な感性を失ってはいないか。毎日自分と問答をしながら、痛みと一緒に暮らしていきます。

#子宮内膜症 #病気と生きる








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