見出し画像

17作品目 バラエティ「日本怪奇ルポルタージュ」(テレビ東京)

どうも自家焙煎珈琲パイデイアです。「淹れながら思い出したエンタメ」17作品目です。
今回は毎週木曜日深夜1時から放送中、テレビ東京のドキュメンタリー的バラエティ「日本怪奇ルポルタージュ」について書き留めておきたいと思います。

昔の日本では考えられなかった社会問題や怪奇現象に少しだけ寄り添う番組

番組冒頭挨拶より

これを書いている現在(4月23日時点)では、4月11日放送分の「桐島聡は罪に泣いたか?」と4月18日放送分の「ネットミーム」の2本がTverで見逃し配信されています。ですので、主にこの2回分について書き留めておきます。

これを見て、まず、前提条件として、「ルポ」という略語で一般的な「ルポルタージュ」と先ほどこの番組を形容するのに何気なく使った「ドキュメンタリー」とは、どう違うのだろう、という疑問が浮かんできました。

ルポルタージュ ①現地報告。現地報道。ルポ。

三省堂国語辞典 第七版

ドキュメンタリー 実際にあったできごとを、そのまま記録したもの。

同上

と、いうわけで大きな違いは見つかりません。もう少し、詳しく違いを追ってみると、こんな記述を見つけました。

ルポルタージュは制作者の意図が含まれない記録を表現する時に使い、ドキュメンタリーは制作者の意図が含まれる記録を表現する時に使うという違い

例文買取センター(https://reibuncnt.jp/32411)

こう言われると、なんだか腑に落ちるような気がします。事実そのものを提示するのが「ルポルタージュ」、それに対して、制作者が取材対象になんらかの意図を含ませて、発信しているものが「ドキュメンタリー」である、ということです。

それを言われて納得するのが、この番組は、最後何にも残しません。「、ということがあるんだけど、あなたはどう?」という投げかけをして終わります。
報道番組ではないので、各テレビ局の立ち位置(テレ東だから日経の主義主張に準じているとか)やプロデューサーの意向が大きく関わることはありません。
それにしても何かも結論つけることなく、番組は終わります。

例えば、「桐島聡は罪に泣いたか?」という回では、今年の4月に49年の逃亡生活の末、死亡した全国指名手配犯の桐島聡氏をテーマに放送されました。

当時の学生運動の風潮や時系列、逃亡生活中の精神状態などを、ジャーナリスト、元公安、精神科医、臨床心理士など、いろんな角度の専門家にコメントを求めており、取材が非常に丁寧でした。
そこには、当時の学生運動を現代でどうみるか、という評価軸はなく、ただ、時代背景、当時の空気感だけが、事実として伝えられます。

本名を最後に述べた理由に関しては、桐島聡、という一人の人間として死にたいという願望、自分を捕まえることが出来なかった公安に対する勝利宣言、病状や高齢を加味したせん妄、後世に名を残すためのエゴ、など専門家がコメントをしていますが、番組はそのどの意見にも加担することなく、

桐島聡の遺骨は親族が受け取りを拒否
無縁仏となった

で番組は終わります。

ただ、彼がどういう時代に爆破事件を起こし、晩年をどう過ごしていたか、という事実を淡々と並べ、専門家によるいくつかの違った意見を、どれ肩入れすることもなく紹介します。
面白いのは、この放送のタイトルが「桐島聡は罪に泣いたか?」という疑問文なところです。
内容は事実を並べ、専門家の意見を並べ、結論は何も出さないのに、タイトルは疑問形。
視聴者の私たちに答えを考えろ、と言わんばかりです。

〈information〉
自家焙煎珈琲パイデイアは「深煎りの甘味」をテーマに日々、珈琲の焙煎をしております。よろしければ、ぜひお試しください。詳しくはこちらを。
パイデイアのHPでも毎週金曜日、「焙きながらするほどでもない話」というたわいもないエッセイを更新しております。
よければ覗いてみてください。

それから、Spotifyで「飲みながらするほどでもない話」という自主配信ラジオを毎月偶数土曜日に配信しております。
気が向いたら、こちらもぜひ聴いてみてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?