「それってあなたの感想ですよね?」が、むしろビジネスには必要かもしれない話
「それってあなたの感想ですよね。」
はい、論破。笑
小学生が使うほど有名になった2ちゃんねる創設者ひろゆきさんの名言。
この言葉通り、議論の場はもちろん、ビジネスの多くの場でも、
個人の”感想”や”感性”は消されてしまう。
「それってあなたの感想ですよね。」
的な意見には、冷ややかな目線で、
「それって根拠はあるんですか?」と切り捨てられてしまう。
(・・・いや、たしかに根拠はないけど、感覚的にはこっちのほうがいいとおもうのに)
次第に個人の感想や感性は消えて、合理性が追求されていく。
でも、むしろビジネスには、そんな切り捨てられる個人の”感想”や”感性”が必要になると思う。
なぜ、個人の”感想”や”感性”は切り捨てられるのか
僕たちの住んでいる社会は西欧的な思考、科学的な思考によって成り立っている。
科学は再現性や予測性を重視し、個人の主観的な世界観ではなく、客観的で普遍的なものを追求してきた。それまでの宗教的な世界観や錬金術のようなある種のオカルト的な世界観は科学によって、劣ったものとして見られるようになった。
科学とテクノロジーとともに発展してきた僕たちの社会は、当然科学の特性を引き継いだ社会になる。
普遍的なもの、予測できるもの、再現できるものが、正しいことであり、個人の感想や感性といったオカルトは僕たちの社会から排除されてしまう。
新しい未来をつくるのは、いつの時代も人の意思
科学が合理的だとしても、人間は常に合理的で理性的なのだろうか。
年始に掲げた目標が早々に崩れ去ったり、運動を習慣化できなかったり、つい誘惑に負けて甘いものを食べてしまうのに。
人間は感情の生き物である。文学が人の営みであるのと同様に、ビジネスも人の営みなのに、そこでは感情や感性が排除されてしまう。
ロジカルシンキングや、結論ファースト、フレームワークが重視される。
大量生産・大量消費の社会は人々のニーズも明確で、ニーズを満たせる技術があれば商品は自然と売れてきた。
でも物質的に満たされたこの社会では、人々のニーズは見えなくなり、毎年カメラ性能が少しだけ改善されたスマホに僕たちは嫌気が差している。
科学が反証可能性や再現性、予測性を重視するように、ビジネスもエビデンスや事例を重視してきた。サービスや商品の改善によって発展してきた時代が限界に達しているからこそ、新しい未来を生み出すには個人の”感想”や”感性”から生まれるビジョンが必要になる。
ロジカルシンキングでイノベーションは生まれない
エビデンスや事例、調査データといった合理性を突き詰めていくと、最終的には一様に同じ結果に辿り着く。
合理的で正しさを共有できるものは、みんな似たような結果を必然的に導き出す。それが科学の特性であり、近代のビジネスの構造だから。
そこを脱するには、個人の”感想”や”感性”が鍵になる。
Soup Stock Tokyoで有名なスマイルズは、市場調査や競合分析などから定量的に導くサービス設計は行わない。そうしたやり方ではロジカルがゆえにありがちになったり、他者を対象にすると解像度が荒く顧客のニーズから乖離してしまうこともあるからだという。
エビデンスや事例といった、科学的な思想にとらわれてしまうのは、そこに”共通認識をもてる確からしさ”がないからだと思う。
でも、実は個人の”感想”や”感性”は、完全なN=1にはならない。同じような社会構造や環境因子の中で生活しており、一見すると個人の感想に思えるようなことも、多くの人が感じている”あるある”的な感覚につながっている。
そうした個人の”感想”や”感性”から生まれるアイディアは、解像度が高く、人によって見てる視点や興味関心に応じて事象の解釈の深さが異なる。
エビデンスやデータは、多数の根拠があって正しいと思ってしまうが、顕在化しすぎており、ありがちなものになってしまう。
そこから飛躍してイノベーションを生むには、個人の”感想”や”感性”こそが重要になる。
ChatGPTに代表される生成AIや、iPhone、飛行機、車、この世の中のあらゆる時代を変えてきたものは、エビデンスではなく、個人の感性や意思によって生まれてきている。
だからこそ、「それってあなたの感想ですよね。」にこそ、価値があるのかもしれない。
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