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ドミニカ共和国旅行記 2023秋

2023年10月終わりから8日ほどドミニカ共和国へ休暇で滞在したのでその記録をまとめておこうと思う。

そもそもなぜドミニカか。正直何も特別な理由はない。前回の旅行でも一緒だったメキシカンの友達たちと今年もどこか行きたいねと言っていて、比較的お互いに行きやすい中米で、みんな行ったことがないドミニカはどうか、という話になった。

ちょうど今年の10月からトロント⇔サント・ドミンゴ(ドミニカの首都)間が開通したばかりで飛行機も安かったので、タイミング良しかなと思い行くことにしたのだった。

という訳で、国自体への興味はそこまで高くなかった。そもそもメインは友達と時間を過ごすことだったので、まぁビーチとかでダラダラできれば、くらいの気持ちで当日を迎えた。

飛行機はトロントから約5時間ほど。サント・ドミンゴに降り立った瞬間に温室の空気がした。ものすごい湿度で、瞬く間に肌が湿っていくのを感じた。

10月のトロントは平均15度くらい?これでも今年は暖かい方だったんだけど、ドミニカは毎日30度ごえだった。
気温が高いのはいいんだけど、いかんせん湿度の高さが潔癖の自分にはなかなか厳しいものがあった。常に体に不快感を感じていた。

旅行の前半は首都サント・ドミンゴに滞在した。英語はあまり通じないので、基本メキシカンの友達に頼りっきりだった。

サント・ドミンゴにある植民都市の街並み

街は日中は割と穏やかで、例によって珍しいアジア人の観光客感丸出しで歩いててもそこまで身の危険を感じることはなかった。とはいえ、そこかしこにいるビルの警備員がめちゃくちゃラフにショットガン片手に闊歩してたり、治安の悪さを感じることはままあった。

ショットガンをふらつかせながら散歩する警備員


車関係もかなりギャップがあった。まず運転は命懸けというか、事故に遭わなかったのが奇跡に思えるほどみんな運転が荒かった。
長距離移動で車を手配した時も、電灯のまったくない漆黒のハイウェイをぶっとばされて死ぬかと思った。
それから写真は撮れなかったけど、車自体も道を走る半数がどこかしら破損してた。なかには内部剥き出しのものやテープやロープで繋ぎ止めたものもあった。
車はだいたいHyundaiかKiaで、カナダよりも更に日本車を見かけることは少なかった。

街の探索は、宿がコロンブスの侵略時に作られた植民都市にあったので、その辺りを歩くことが多かった。この都市はユネスコにも登録されている国唯一の世界遺産らしいけど、唯一の世界遺産が植民都市というのはなんだか皮肉なものだ。

アメリカ大陸で最初に建てられた大聖堂にも入ってみたけど、入る時に女性は布で肩や脚など、肌の出ている部分を隠さなきゃいけないらしくてクソ食らえと思った。

Nuestra Señora de la Encarnación


街歩きをしているなかで、かなりの量の野良犬を見かけた。誰に飼われるでもなく、道端で暑さに身を任せるように伸びていた。

死んだように寝る野良犬たち

日常で出会った動物は他に野良猫、ニワトリ、イグアナ、トカゲなど。街中の動物はその国々によって様々で面白い。ちなみにカナダはリス、ガチョウ、カモメ、アライグマ、スカンクなどなど。

夜も繁華街を歩いてみた。露店などで賑わう大通りから一歩横道に入ると街灯もまばらで一気に不穏な雰囲気になるので、少し気にしながら街のレストランやバーへ入ってみた。

とにかく耳にする音楽が全てラテンミュージックで、特にサルサが多い印象だった。ドミニカはバチャータというジャンルのラテンミュージック発祥の地らしかったが、意外にもそこまでそれを聴く機会はなかった。

寄ってみたサルサバー。知り合い関係なくみんなで誘い合って踊っていた。

とあるサルサバーに友達と入ってみたとこ、知らないおばあちゃんに誘われてサルサを踊らされた。といってももちろん踊り方なんて知らないのでたどたどしくステップ踏んでただけだったけど、珍しさからかまわりは大盛り上がりだった。ドミニカのビール、Presidente Lightを無理やり飲みながらなんとか踊り切った。

ドミニカの国民的ビールPresidente。店で出す時はラベルと飲み口をカバーするらしい。

食事はいくつか試してみたものの、正直かなり満足度は低かった。まがりなりにも島国なので色々新鮮だろうと思ったんだが、というかおそらく新鮮ではあるんだろうけど、調理のせいなのか舌鼓を打つようなものには出会えなかった。
そもそもドミニカ料理はスパイスなどあまり使わないようで、かなりマイルドな味付けのものが多かったので物足りなさを感じてしまったのかもしれない。悪くはないけど感情が動くほどではないものばかりだった。

名前を忘れてしまった郷土料理。コーンと肉のスープと肉炒飯的なもの

これまでだいたい旅行先ではちょっと感動するような食事体験ができてたので、これはかなり痛手だった。文化的なものを目的に来た訳ではなかったので、食べ物に満足できないのがこんなに辛いのかと改めて思い知らされた。

そしてそんな料理たちの価格を含め、これもまた意外だったが物価がかなり高かった。狂ったようなインフレに苛まれているトロントと比べても少し安いかなー程度で、食事だけじゃなく何買う時でもカナダドルに変換してはこんなするんかと驚いていた。
ちなみに上のスープはひとつ$15 (¥1600?)くらい。

ローカルのスーパーとか行ってみてもそんな感じだったけど、決して賃金が高い訳ではないなか地元の人たちはどうやって暮らしてるんだろうと気になった。


そんな感じでモヤモヤを抱えたまま観光を続けた。
街外れにある国立公園の洞窟にも行ってみた。
天井が開けたかなり大きな洞窟で、エメラルドグリーンに輝く水面が綺麗だった。天井から水を求めて何十メートルも下へ伸びる木々の根に自然の生命力を感じた。懸命に生きてるんだなーと。

ロス・トレス・オホス国立公園


首都にある現代美術館にも行ってみた。たまたまローカルのアーティストの合同展が開催されていて、いろんな作品を見て回れた。
建物もモダニズム建築っぽさがあってグッとくるものがあった(トップ画)。


そんなこんなであっという間に首都の滞在が終わり、高速バスに揺られ有名なリゾート地プンタ・カナへ移動した。

5時間ほどかけて到着。Googleマップで調べたら2時間半だったんだけどそこはご愛嬌。
高速バスを降りた途端工事音と土埃を浴びせられ、そこかしこでホテルを建設しまくっている工事現場区域にあるホテルへ。
まさかこんな騒がしい場所に来るとは思ってなかったので面食らってしまった。

ホテル付近。ビーチは全く見えないし道は汚い。

さすがのリゾート地で、観光客感丸出しの自分に息をつく暇もなく血眼のツアー斡旋屋たちが声をかけてきて、もうその勢いにすっかり生命力を吸い取られてしまって通りを歩くだけでクタクタになってしまった。

友達の持ち金が少なくなってきたのでメキシコペソを両替しようと両替所に行ってみたものの、2000メキシコペソくれたら2000ドミニカペソやるよ、と冗談みたいな取引を持ちかけられた。
本来2000メキシコペソは6500ドミニカペソ相当なので、みんな呆れてリアクションすらできなかった。いくら近くに他に両替所がないとはいえこいつら舐めすぎだろ観光客。

そんななか声をかけてきたツアー屋のひとつが、ツアーを申し込んでくれたらダウンタウンまで車出してやると持ちかけてきたので、Uber使っても結局金かかるし、いずれにせよ何かしらツアーというかアクティビティはやるつもりだったよね、ということで話に乗ることにした。

そしてダウンタウンへ。ようやく真っ当な両替ができたのはいいけど、そのまま運転手の知り合いがやってるというホテル近くのピザ屋へ連れてかれ、半ば強制的にそこで夕飯を食べさせられた。

食べたピザ。味は普通。

そんなこんなで散々なプンタ・カナ初日だった。


翌日は申し込んだツアーでSaona島という、映画 青い珊瑚礁のロケ地にもなった島へ行ったのだけど、何度もツアーバスの乗り換えさせられ、クソみたいなパーティーソングがずっと爆音で流れ続けるボートに乗り、ようやくついた島もかなり混み合っており騒がしく、出された飯は監獄の飯かというレベルに不味く、申込時に言われてたシュノーケリングなどのアクティビティもなく、ただ数時間ビーチにほったらかしにされ元来た道を帰るというかなりクソなものだった。

Saona島のビーチ。人がはけた瞬間に撮った。


とにかくクソな1日だったので、このままじゃ終われんしもうドミニカうんざりだ、ということで夕飯で入ったメキシコ料理屋がこの旅で一番美味かった。

メキシコの海鮮マリネ、セビーチェをトルティーヤチップスで食べた。


プンタ・カナの約4日ほどの滞在のうち、前半2日はローカルのホテル、後半はオールインクルーシブのリゾートというスケジュールだった。散々な思いをしたローカルのホテルをいそいそとチェックアウトし、車で少し移動したところのリゾートへ。

あまりいわゆるリゾートは文化もないし、外国人が偉そうにその国の人たちを使いっぱしる搾取的構図が嫌いだったのだけど、いかんせんそれまでがクソすぎたので外見だけでも綺麗でサービスのいいリゾートにはかなり救われた気持ちになった。

滞在したリゾート。プールの先にはプライベートビーチが広がる。

という訳で最初のうちはみんなしてテンション上がっていた。ただ、そこで時間を過ごすうちにいざ目的だったビーチでダラダラも正直そんな何時間も飽きずにやってられんし、せっかくのオープンバーも酒を飲まない自分にとってはただのソーダ水補給所でしかなかった。

せっかくならと一杯飲んでみたカクテル。その後気持ち悪くなってしばらく寝た。


そして期待というかもはや救いを求めてた飯も決して不味くはないけど特別美味くもない中途半端なものばかりで、その豪華な見た目に反してこんなもんかと正直がっかりさせられた。

基本朝昼はブュッフェ。夜はリゾート内にあるレストランでの食事だった。

そうして白人ばかりの宿泊客にまぎれながら退屈な時間を過ごした。ビーチはさすがに綺麗で、飽きるまでの間寝そべって友達と会話するのは楽しかった。

ビーチから見た朝焼け。


短い日数ながらも長い体感時間を過ごしリゾート最終日。翌日早朝の飛行機で帰国予定だったので、夕方に長距離Uberのようなサービスを頼み、2時間半ほどかけてサント・ドミンゴへ戻り直接空港へ向かった。
先述の通り真っ暗なハイウェイを時にクラクションを鳴らしまくり、時に衝突スレスレの追い越しをしながらぶっ飛ばすものだからみんなで戦々恐々としながら死なないよう願っていた。

そうして夜に空港到着。そこで夜を過ごす予定だった。
かなりみんな疲れてたので友達たちは少し寝たりしてたけど、仮眠できない体質の自分にはかなり退屈な時間だった。それでもなんとかチェックインの午前3時までターミナル外にあるカフェで時間をつぶしながら、家でシャワー浴びて自分のベッドで眠れるのを楽しみにしてた。

そうしてようやくチェックイン。同じ航空会社の同じ時間の便で自分はトロントへ、友達はメキシコへ戻る予定だった。友達がすんなりチェックインをすませる間、こちらは英語の通じないスタッフとのやりとりに苦労してた。最初はカナダに住んでる外国人の扱いが分かってないのか、ワークパーミット見せてもピンときてないしで時間くってて、その時はまだまぁまぁカナダ間開通して間もないし慣れてないんだろうなと思ってたんだけど、何が問題なのかいつまでも進まず、次第に飛行機の時間が迫ってきてみんなで焦り始めた。

自分で調べたところ、カナダの入国に必要なeTA(電子渡航許可証)はパスポート更新したら合わせて更新しなきゃいけないらしく、今年カナダでパスポートを更新した自分もそれが必要なようだった。慌ててオンラインでそれを取得したはいいけど、それでもなぜかシステムが通らないらしく、そうこうしている間にチェックインの時間が終わってしまった。

で、4日後まで次のトロント行きの飛行機ないからそれまで待ってとのことだった。


え?冗談でしょ?英語も通じない異国で?

なんだかんだ搭乗できるだろうと思ってたので、まさかという感じで急に血の気が引いた。

友達たちも相当動揺してて涙ぐんでて申し訳なかった。それでも彼らのフライトがあるのでとりあえずハグして別れた。なんてオチだ。


とにかくこの旅行全て友達任せだったので、自分ひとりで行動する準備が全くできておらずかなりびびったものの、とりあえず最初に泊まった空港近くのホテルを友達から教えてもらってそこを予約して、手持ちのカナダドル両替して、携帯のデータもないのでsimも調べた。

でしばらくしてから電光掲示板を見に行ったところ、自分の乗る予定だった飛行機が遅延となってたので、まさかと思いカウンターで聞いたら故障か何かで飛ばなくなったから夕方に振り替えなったとのこと。天の助けだとじゃあそれに乗れるかと聞いていけそうだったので、チェックインの時間を聞いてからそれまで待機することにした。

両替とホテル予約終わったばかりだったけど、もうそれをどうこうする気力はなかった。その後はフライトのステータス確かめたり移動したりしながらひたすらに時間が過ぎるのを待って、ようやく午後2時のチェックインの時間になった。

改めてカウンターに戻ったけど、午前と午後でスタッフが変わっててもちろん引き継ぎもされてなかったから、発狂しそうになるのを抑えつつまた一から説明し、それでもやっぱり理解できないのかダラダラと時間だけが経過するなか散々せっついた末になんとかチェックインしてもらって無事搭乗。

それから5時間ほどでようやくカナダ到着。気温30度から10度以下へ。まるっと完徹なうえ食事もろくにとっていない状態だったけど疲れはもはや感じておらず、視界も心なしか明るく、疲れを通り越したハイな状態でなんとか自宅へ帰ったのだった。


というわけで、散々だったドミニカ共和国、色々発見はあったので無駄とは言わないけど、間違いなくこれまでの旅行の中で最低なものだった。
ドミニカついでにもう中南米はこりごり、という気持ちにさせられた。


んだけど、ちょうど昨日件の航空会社から遅延のお詫びの無料往復航空券のメールが届いた。もちろん行き先は全て中南米。メールを読んだ瞬間思わず失笑してしまった。

さて、これを使って来年自分はまた中南米へ戻るんだろうか。もし戻るとしてもドミニカではないことは確かではある。
とりあえず今回の旅行の記憶は両替したままのドミニカペソとともにクローゼットの奥にしまっておくことにする。


カナダへの帰路。

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