あなたにとってのチャーミングケア

 2021年8月14日は在宅介護も10年目という大きな節目にあたる。

 なかなか濃い10年だったし
なにより自分に「あんた、良くやってるよ」と言って
ケーキでも食べさせてあげたい。

10年で乗り越えてきた数々のライフステージ
その時、私は誰に助けを求め誰に頼ってきたのか・・・

チャーミングケアとは
【 理念 】
病児や障害児に「可愛い」や「かっこいい」を届け、
子どもたちと家族の豊かな生活文化の実現を目指す

 私は一般社団法人チャーミングケアの理事として
palette ibu.としてチャーミングケアモールに参加している

 10年目ともなると介護を中心とした生活のリズムも安定し
体調が悪くなる前兆を見極めて対応したりできるようになった

 〝この域”と自分で言うのもなんだが
私たち家族の生活だけでなく、次第に他の家庭に目を向けるようになってきた

そうなってくると、介護生活に少しだけ自分のための時間が作れる余裕が生まれたり
困っている家族がいることを知った

子どもの在宅介護をしている経験を活かせられないか

この沸々と湧きあがった想いが
palette ibu.をスタートさせたキッカケのひとつだ

私の場合は自分の力だけでここまでやれなかったし
多くの人に支えてもらいながら今でも子どもと生活をしている

そんな10年間をちょちょっとだけ振り返ってみようと思う。

1.つなげないのも人、つなげるのも人

 里帰り出産で生まれた子どもが突然障害児となる。
東京でひとつ屋根の下生活する選択をした私たちがまず連絡したのは
東京の居住区の担当保健師だった。

 「東京に連れて帰るために受け入れ先の病院を探したいがどうすればいいでしょうか」という問いに

(ご本人が)東京にいないなら何もできなし
私はよくわからないので
東京に帰ってきてから連絡してください。

 いや、これもうほんと絶望よ
おま、それ言う!?って感じでドーンと突き放された感じ

 東京の自宅から通院できる範囲の小児病棟を有する
病院への転院希望を主治医に伝えても

コネがないと受け入れの話さえ聞いてもらえない。
(医師が卒業した大学付属の病院や知り合いのいる病院じゃないと
そもそも話にならないとかなんとか…)

とまで言われる始末。

 えー、どん詰まりやーん!と思っていたところに現れたのが
当時東京で医師をし、地元の九州でも活躍されていたN先生。

受け入れ第一候補の東京の自宅から徒歩圏内の小児病棟の一番お偉い先生に連絡をしてくれた

必ず在宅介護をするならばいいよ~

N先生との出会いでぽぽぽぽ~んと東京に飛行機で帰ってきたのが
2011年2月24日でした。

2.How to 家庭の準備 

 国家資格を持っていない素人が
医療機器がないと生きていけない子どもの看護ケアを
24時間自宅でやる
やばいやん⇒焦る⇒あれもこれもやらないかん
結果、何から手をつければいいかわからなくなってパンクする

だって、イメージしたくても知らん世界やしわからんし
先生や看護師さん教えてくれんかったやん

 伊吹という出産事故重症心身障害児となり
脳性麻痺人工呼吸器を付けながらの子どもの在宅介護
情報を医療従事者(医師・看護師)から聞くことができなかった

 正確には、参考となるご家族が頭の中に浮かんでも
会社員として顧客のプライバシーを守るため教えることができなかった
という状況が多かっただろう

 2010年はインターネットはmixiやGREEがブイブイいわせ
facebookはようやく英語表記から日本語表記になってきたが
ネットを検索しても求めている内容に記事やブログにはなかなかたどり着けなかった

 毎日家から病院までの往復の生活で一番顔を合わせていたのは
病院の看護師と同じ病室のママさんだった

 伊吹と近い雰囲気かな~というお子様を持つお母さんに
話しかけてもいい雰囲気かなと接近戦を試み続けた日々

そんな中で一番響いた先輩ママからのアドバイスは

在宅介護は最初から全部そろえる必要はない
使い始めたら「いらなかった」と思ったことたくさんあるから

という言葉だ
なるほど!よくベビー向け雑誌にあるテーマ!と腑に落ち
てげてげでいっちゃが~(宮崎弁:だいたいでいいのよ)と構えなおした。

3.お家生活へのカウントダウン

 正直、めっちゃ家帰ろうかって急かしてくるやん病院
なのに自宅までの移動手段の車いす(バギー)は?と聞いても

私たち(医師)はわからない

って言うし・・・
家に帰る日にちはしっかり立てるのに生活環境が追い付かない

 今でこそ医療的ケア児等コーディネーターがいる地域も増えてきたし
小児専門看護師がその役割を担ってくれる病院もある

 それらがなかった私は生活環境を整えるためには
どうすればいいと悶々とした時に登場したのが訪問看護師さんだった

 痒い所に手が届くとはこういうことなのか・・・
色んな機関に働きかけるだけでなく
時には一緒に怒ってくれたり泣いてくれたり
精神的なサポートも多くしてもらった

 引っ越しの時には新しい訪問看護ステーションを探し
引継ぎのために保健師をけしかけ
私たち家族が路頭に迷わないようにいくつもの道を作ってくれた

右も左もわからない素人が
医療的ケアを必要とする子どもを24時間看護する
家で一緒に生活できる喜びと死と隣り合わせの命を看る不安
医療設備が整っている病院から電圧30Aの家にポーンと帰される

どげんかなると思って笑っても、心の中はやべーやべーと思ってる

そんな家族を私でも支えることができるんじゃないか

 こう思い、これまでに10組ほどのこれから在宅介護を視野に
入れているご家族を自宅に招いた
在宅介護のひとつのイメージとして参考になればという思いからだ

私にとってのチャーミングケアとは

 私の場合は長男が重症心身障害児
次男は帝王切開で一過性多呼吸でNICUに入っていた
 どちらの時も辛い記憶の一つとして残っているのは搾乳の時間だった

 子どもが新生児室にいないのに新生児室でひたすら搾乳をする
周りには保育器でスヤーと寝ている新生児
我が子を抱っこして授乳に奮闘する母親たち
目の前にしながら必死で搾乳した哺乳瓶を
NICUにいる子どもへ届けに席を立つ・・・

これはめちゃくちメンタル崩壊しそうでしんどかった

惨め、悔しさ、健康に産めなかったという自責の念
でも赤ちゃん可愛いしお母さんたちなんも悪くない
なんでこうなった、なにが悪かった

エンドレスループの沼にはまる

 でも、そんなこと口にできなかった
看護師さんに迷惑かけるし、これは私の我儘だと思ったから
口に出して吐き出せる場所があったらどれだけ心が楽になれただろう

 私のこの思いや経験は大切な価値だと思う

だからこそpalette ibu.の商品が生み出されるし
人を自宅に招いたり、講師という立場で話す機会もある

例えば
ご家族に一番最初に接する看護師さんが声を拾い
個室の部屋で搾乳を案内したり、仕切りで囲ってくれたり
NICUにいる新生児のための搾乳部屋が用意されていたり
ここまでくると一人の看護師さんだけでなく
病院全体が動いてくるかもしれない

ほら、少しずつかもしれないけれど社会が動いている

社会で子どもたちと家族の笑顔を支えるチャーミングケア

母親たちが立ち上がらなくても社会で支えていく
今現在医療従事者、福祉関係者、福祉美容関係者、病児保育士
看護学生、保健師などなど病児や障害児に関わる方に
自身の経験や体験が活かして全国で活動している講師だけでなく
病気治療を経験している当事者の子ども講師など
色んな角度からのアプローチでチャーミングケアの見識を
広げていけたらと考えています。

【あなたにとってのチャーミングケアとは】

一緒に考えていただけたら幸いです。

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