骨折備忘録
るいから紹介にあずかりました、ひゅうがです!
今年度PALのデイ統括やります。
僕はPAL以外では準体育会のスキー部に所属しているのですが、僕からはそのスキー部の遠征で骨折した話をしたいと思います。
虫の知らせ
3月2日、3日
3月上旬にかけてスキーの大会があり、北海道の旭川へ。
はじめの二日間は観光してご当地グルメを食べたり、クロスカントリースキー9kmの大会にでたりして終了。クロスカントリーは本当に疲れたけど、特に問題なく終わりました。
3月4日
北海道生活3日目は、アルペンスキーの大会。
アルペンスキーってなんぞや?って方にざっくりと説明すると、スキー種目のうち、雪面を下るタイムを競う競技のこと。斜面にジグザグに設置された棒を通りながら滑り下ります。
スキー場についてから自分の番がくるまでは2,3時間あったので、板をはいて滑りにいきました、、、が何かがおかしい。
傾斜が急すぎる...!!!
アルペンスキーのコースでの練習は3回経験があるものの、これほどの急傾斜は初めてでした。
それに加えて、雪解けの始まる3月ということもあり、雪面はアイスバーン状態でブレーキがかけにくい。どう考えても初心者スキーヤーが滑れるコンディションじゃない!!
練習で何度滑っても、転ぶか途中で止まってしまうかで、蛇行して下るのがやっと。
同期にスキー初心者は僕含め計4名いましたが、うち2人はあらかじめ出場を辞退。
残るは僕と同期のT君で、二人とも急傾斜に怖気づいていたものの、
「ここでチキって辞退するわけにはいかない!!」
と(謎に)結託し、明らかに実力不相応な急斜面に挑むことになるのでした......
予感的中
“やらない後悔よりやる後悔” なんていいますが、なんでもかんでもやればいいというわけではありません。一歩踏み出す勇気が重要なように、踏みとどまる勇気もまた大切なのです。
明らかに危険な決断をしてしまった僕とT君ですが、とうとうタイム計測の順番が近づいてしまい、リフトに乗ってスタート地点へ向かいました。
スタート地点付近にはすでに滑り終えた同期や先輩方がいて、緊張している僕を慰め、エールを送ってくれました。特に主将はスタート直前まで付き添ってくれました。彼のような頼りがいのある優しい先輩になりたいものです。
そしてついに計測スタート!!
中間地点くらいまでは順調に滑れたものの、、、
案の定途中で曲がりきれなくなり、転倒。文字通り転げまわりました。
このようにして僕の初アルペンスキー大会は、あっけなく計測結果なしで終わりました。
その後なんとか救護室付近まで降りて(なぜか滑れた)、いざスキー板を外し歩こうとしたら、左足に力が入らない。
係員さんにおんぶで運んでもらい、救護室で軽い手当をしたあとすぐに近くの病院へ。痛みは引いていたので、部で借りていたレンタカーで病院まで連れて行ってもらいました。
診断は、、、
左脛骨高原骨折
膝下の太い骨の、上端が折れてしまったみたいです。
幸いそこまで重篤なけがではなく、緊急性はないということで、あとは東京で治療を受けることに。
ニップレス(着脱可能なギブスみたいなもの)と松葉づえを購入することになったのですが、これがなんとも高い。合計20000円くらいしました。
翌日の飛行機で本州に戻り、移動もままならないのでしばらくは茨城の実家で過ごすことになりました。
余談:
ちなみにT君はというと、僕の10番くらい前にスタートし、無事ゴールしました。本当にすごい。
手術したよ。
東京で再度診察を受け、骨のずれが大きく位置を戻す必要があるとのことで、外科手術を受けることになりました。
3月14日
病院で前泊したのち、ついに手術当日。
僕の手術はその日の2番目の枠でだいたい11時ごろとのこと。
病院見学で手術室に入ったことがありましたが、まさか自分が患者として入ることになるとは思いもしませんでした。手術室までの道のりはかなり不安でした。
手術室に入り台に横たわると、緊張する間もなくテキパキと準備が進められいよいよ麻酔注入......
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目が覚めると見慣れない天井。周りに誰かいる。
しばらくして、自分が病院にいて、たったいま手術を終えたのだと気が付きました。周りにいたのは看護師さんでした。頭がくらくらして、うまく頭が働かない。
意識が完全に戻ったのは確か14時くらい。手術は無事成功したそうです。
手術内容は、折れてしまった骨をスクリューとプレートで固定するというもの。
骨を固定してはいるものの、体重をかけすぎると骨がずれる可能性があるので、およそ3か月間は松葉杖をつくことになりました。
長すぎる入院
手術は無事終わりましたが、骨が安定するまで2週間病院で安静にしなければいけないとのこと。
こうして僕の入院生活が始まりました。
はじめの2日くらいは、映画やYoutube、漫画を読んだりして、合法的にだらだらできる日々を楽しんでいましたが、とうとう気づく。
暇すぎる!!!
けがをしていても心は健康そのもの。
健全な大学生が、2週間もベッドの上で生活できるわけがない。
持ち込んだ娯楽にも飽きてしまい、惰性でスマホをいじるか、寝るか、決まった時間に運ばれてくる病院食を食べるか、といった生活になりました。
入院中はほぼ毎日、1日15時間くらい寝ていたと思います。
将棋を始めたのもまさにこの頃。何か新しい趣味を見つけたい!って思ったのと、ぼーっとしてる日が多くて、頭を使わないとダメになってしまいそうだと思ったから。
外での生活が恋しくて、退院後にやりたいことリストなんて作っていました。
あと入院と春本番がかぶっていけなかった。残念..….
退院とその後
3月28日
ついに退院!!
はるばる病院まで父母と弟が迎えに来てくれて、茨城の実家に帰りました。
退院後すぐに食べたラーメンがとにかくうまかった。
その後は実家から大学に通いながら、安静にして回復を待つ毎日。
そんな日々でも、たまにPALのみんなとご飯を食べに行ったり、zoomしたり、ときには豪雨の中ネモフィラを見に行ったり(笑)
行動に制限がある中でも、いろいろと楽しい思い出がありました。
術後の骨折療養エピソードとしては、「第二の敵、緑膿菌」編 や「閉じない傷口」編 など、まだまだ話は尽きないのですが、もうそれなりに字数は書いたし、提出期限を過ぎてしまっている(更新待ってた人いたらごめんなさい。)のでこれにて終わりにします。
振り返って
骨折した日からもう7か月。最近ようやく運動が解禁されて、リハビリがてら高架下の一本道をジョギングするのが習慣になっています。
骨折期間中は日常生活での不便が多く、本当にたくさんの人に助けてもらいました。
実家での生活や病院への往来を助けてくれた家族、僕を気にかけてよく連絡をくれた友達、病院まで送ってくれた先輩、荷物をもってくれた友達、遊びにさそってくれたPALのみんな、階段でおんぶしてくれた今川、買い物に付き合ってくれた親友、電車で席を譲ってくれた見ず知らずの人たち……
列挙するときりがありません。
この怪我を通して、自分のまわりの家族や友人をもっと大切にしようと改めて思いました。
あと、次回大会に出るときはもっと練習してから出ようと思います。
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