トルコの女の世界:ギュン

女の世界の人間関係は、男のそれよりもはるかに難しい。何が難しいかを説明するのも骨が折れるが、面倒なことが多そうという意味である。女の知恵というものは、こういうところで磨かれるのかもしれない。まことに勝手で表面的な意見であることは心得ている。

ぼくは、下宿しているトルコの家のおばさんから、「明日はギュンがあるから、夕方までは外に出ててよね、わかったかしら?」とたまに言われていた。「ギュン」!?

ギュンは日本語で「日」を意味するものであるが、これは「金(きん)の日Altın günü」などの略称だというが、これではまだわからない。我々でいうところの女子会とかマダムの会みたいなものを考えればよい。女性の仲良し集団が、一か月に一度必ず誰かの家に集まってお茶会をするというものだ。原則男は加われないのだそうだ。ギュンの日の朝は忙しい。おばちゃんはものすごい勢いでケーキを焼いたり、猛烈に準備をする。ぼくやおじさんのような男連中は、朝に家の掃除に駆り出されたあとにごみのように家から追い出される。そもそも僕もおじさんも、のろくて使えないから、おばちゃんがほぼすべての準備をするはめになるのだが。

この男子禁制の秘密の会議で、彼女たちはどんな何を話しているのだろう、我々に知る由がない。大体どこも同じでなんらかの悪口や噂話であることは想像にかたくない。きわめて健全である。

いつのことだったか、僕は一度、ギュン最中の家に帰ってしまったことがあった。夕方の6時くらいであった。家のドアを開けると、玄関には大量のヒールとブーツがある。部屋に行くにはリビングを通らなければならない。「やってしまった、ギュンまだ終わってないじゃない。やだなぁーでも、もう疲れたし、部屋でねっころがって爆笑問題のラジオ聴きたいしなぁ、、、でも恐れることはない、挨拶して部屋に堂々と行けばよい」意を決して家にあがり、リビングのドアを開けると、10人にも及ぶ女性たちがずらーっと並んでお茶と食べ物を囲んでいる。なにかの生殺与奪を握った人たちの会のような様相を呈している。高い声低い声、いろんな声で「あ~ら、おかえりぃ」と言われ、「あなたもここでお茶したらどう?」と誘われた。が、「あー勉強あるしぃーどうぞごゆっくりぃー」とお得意のハニカミ笑顔だけで切り抜けて部屋に転がり込むように逃げ込んだ。圧力がすごいんだ。でも、笑い声連発で本当に楽しんでいるよう。加わればよかったかな。でも仮にあそこに交じっても、たぶん女性の会話の速さにはついていけないし、彼女たちのリズムを崩したくない。これで正解であった。

ギュンの最大の特徴は、ホストがお客一人一人にお金をふるまうというものである。それは単なる贈与ではなく、結果的には交換なのである。ふるまわれる金額は全員の合意で前もって決めておく。月ごとにギュンのホストは持ち回りで変わり、ホストは決められた金を客に配分する。それを月々繰り返す。メンバーが3人であれば3か月で、5人であれば5か月で、10人であれば10か月で一周する。一周すれば、だれも損が出ないのである。この贈与の本質は人間関係の継続であるらしい。人の縁は切れやすいから、それをお金を回すことで縁を続けているというものらしい。人間関係を長く続けるある種の知恵なのかもしれない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?