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足りない位が丁度いい。

母と二人で回転ずしに行った。
東京駅の中にある回転寿司のお店で、北海道以外で東京にはそこしかないと言うお店だったので、一回母と行きたいと思ったのだった。

13時過ぎに着くと結構な行列だったので、結構待った。

席に案内してもらった時には、どれから食べようかとワクワクした位だった。
北海道の寿司ネタは、私が知らないものや食べたことないものも多くて、知らないものを全部試してみるには胃袋の容量が小さすぎた。
それでも、色々頼んで見たかったので、一皿に乗っている2貫のお寿司を母と二人で一貫ずつ分けて色々なお寿司を楽しもうと思った。

母は正直な人である。折角喜んでくれるかなと思って連れて行ったのに、寿司ネタがまだ解凍されきっていなくて、ちょっと冷たいシャーベット状になっていたら、板前さんの前でも平気で「冷たくてあんまり美味しくない。」という。

こちらはヒヤヒヤするし、お茶と一緒に辛辣な言葉も飲み込んで、文字通りお茶を濁してくれたらいいのになんて思ったりもする。

その一方で、私が頼んだ寿司ネタは「いいから、ネタだけでも食べなさい。」と言って、私にネタの部分だけ食べさせようとする。
母が私を思いやって譲ってくれるのはわかるし、その気持ちはとても嬉しいのだけれど、折角二人で来たのだから、美味しいものは二人で分けて
「美味しいねぇ」と分かち合いたいと思うのはエゴではないと思う。

「げんげ汁」やら「帆立稚貝の味噌汁」やら「あぶらがれい」やら「春にしん」やら二人で色々分けたのだけれど、本日のMVPは、常々カニよりカニカマの方が美味しいと言って譲らない私の想像を超えてきた
「たらばがにのふんどし」
だった。ふんどしとは「お腹の肉」の部分のことを言うらしい。

はじめは、一皿頼んだのだけれど、「美味しい」と私が言ったら母が「じゃあ、もう一貫食べなさい。私は要らないから。」というので慌てて「美味しすぎてもう一皿食べようと思うから、一貫ちゃんと食べて。」ということになった。

母は食べてから、「やっぱりカニ足の方が美味しいよ。」と不満げだったけれど、それでも私が美味しいというものを分けて食べられるのは嬉しいことだと思った。

自分の胃袋の容量に反して、もう一皿頼んでしまったので、二皿目を食べた時には最初に食べた時の感動はやってこなかった。

美味しいと思ったものは、きっと足りない位が丁度いいのだと思う。
お腹いっぱいに食べてしまったら、それ以上食べたいとか次また来ようとか思わないかもしれないから。

あぁもっと食べたかったなぁくらいが丁度いいのだと思う。

文句が多めの母ともきっとまた二人でご飯食べに出かけるのだと思う。


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