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不適切にもほどがある6話 昔話をしてはいけませんか?

 サブタイトルの「昔話をしてはいけませんか?」「既読スルーをしてはいけませんか?」と疑問形のサブタイトル、明らかに金曜日の妻たちを意識しているだろうけど、やっぱり金曜日の妻を流してきましたね。板東英二も好感度爆上がりでかっこよかったとか。小林明子の「恋に落ちて」が主題歌なら金曜日の妻たちへⅢのことを言っているのだろう。それにしても「金曜日の妻たちへ」って秀逸なタイトルだな。このドラマ見たことないけど、Wikiで見る限りではかなり刺激的で面白そうですな。

小川市郎が自分が死ぬことを口にする。だが純子は何も知らない

 涙を誘った5話で犬島ゆずるから、時をこえてかっこよく背広を決める小川市郎、神戸で純子と犬島ゆずると夜通し語り合い仲直りした後、2人の別れを笑って見送る犬島ゆずる。錦戸亮の穏やかな笑顔がまた良いが、それが永遠の別れになるかのような意味深なワンシーン。1995年1月17日の明け方まで神戸で夜通し語り合い、新神戸への始発に向かう。このキーワードだけ考察するまでもなくピンときちゃっているだろう。

 6話でついに小川市郎がセリフに出してしまいました。「オレと純子は死んでしまうのか?」

 ハイライトは井上の研究所で昭和に戻るためのバスにのり、純子のもとに帰ること。やはりタイムマシンのあるシーンではかなり重要なことをさらりと言う。
 「お前は知っていたのか?」「はい」と井上は小川市郎の死をすでに知っていた。さらりと言った重要なところは「50人のモニターが先行してバスに乗っている」50人のモニターって誰だ?ミニスカート姿で「うどん」を垂らしていた女子高生のことか。また、若い時にはさんざんタバコを吸っていたくせに令和になって「受動喫煙!!」と何食わぬ顔でアップデートしているおじいさんが含まれるのか。

すき焼きのシーンがめっちゃ面白い

 久々に昭和の時代に帰ってきて純子と感動の再開をしたはずだが、やっぱり面白い。娘の純子にハグするのは気持ちが入ってよくわかるのだが、どさくさに紛れて女友達にハグして、ついでに吉田羊にもハグしてまわる。コンプライアンス的にアウトだろうけど、涙を誘うシーンもしっかり笑いを取るところがクドカンクオリティーだ。

 小川市郎が帰ってきてからのすき焼きを囲むシーンがやはり爆笑を誘う。38年後の未来で「三原じゅん子が国会議員になる」は最大のツボだろう。あの「山田麗子」が国会議員は誰も信じないだろうな。さらに付け加えると愛の授業の杉田かおるがヤバい大酒飲みになるのも、当時じゃ信じられないだろう。あの頃の金八にはマッチだっていた黄金時代でもあるんだよね。しかし山田麗子の時代の金八はちょっと時代にあってない。昭和61年だったら第2シリーズだ。「腐ったミカン」とひたすらスローモーションで「時代」が回っていた味わい深いシリーズだ。

 そしてムッチ先輩の我らがマッチは「いろいろあって」レーサーになった。さすがマッチはいつになってもカッコいい。ただ近藤真彦のくだりは「いろいろあって」をいちばん口に出してほしかった。といってもあれは純子が犬島ゆずると出会うときの話だし、あのインパクトは当時でもかなり攻めていたと思う。昭和61年だったら絶対に外せない人物がまだ出てこないけど、ムッチ先輩も口にするのは難しいか。

 

純子令和に行く

 井上の話より昭和61年⇔令和6年のタイムマシンは試験的に何とか運航している。小川市郎は自分の純子の運命を抱えながら、純子と令和に行くことを決意する。純子が中年オヤジの犬島ゆずるとシンママになった犬島渚を何も知らずに見るのはどんな感じなんだろう。若いころの自分の妻だというのに現代人の古田新太が「アバズレの純子」というのは声出して笑ってしまった。この感覚は全然わからないだろう。昭和45年ぐらいから来た若い時のかあちゃんがいきなりオレの目の前に来たら「なんだこの女は?」って思うだろう。それとも違う反応を見せるのか?ちょっと考えたけど頭痛くなってきた。

 ハイライトは令和のテレビ番組に小川市郎が出演する。共演は松村雄基だ。彼は令和時代では昔懐かしの俳優扱いだが、大映ドラマを代表する名俳優、ドンピシャ世代の純子もなんも違和感なく「川浜1のワル」と呼んでおり、「イソップ」はと激アツのセリフを残している。

 昭和61年では小学2年生だった私にとってスクールウォーズはリアルタイムで見ることはなく、時折話題になってはいたものの2019年のラグビーワールドカップでようやく視聴することができた。令和元年だったらスクールウォーズはコメディーそのものだが、しっかり感動し泣くことができた。
 昭和61年に生まれていた人ならぜひ見ていただきたい。令和Z世代に生まれる前のドラマを理解してもらおうとは思わないが、「イソップ」や「今からお前らを殴る!!」「ゼロかゼロなのか?」「悔しいです」ですこしでも何か感じることができたなら是非とも見ていただきたい。
 スクールウォーズを理解しているようで全く理解していないことが如実にわかるはずだ。まず、スクールウォーズは明確に3つのフェーズで分けて考える必要がある。第1フェーズは大映ドラマおなじみの修羅の国であるが、山下真司はラグビー部の顧問ですらないぞ。松村雄基の変わらなさにビビるのも結構だが、小沢仁志の精悍さをじっくり目に焼き付けてほしい

 いかんいかん。松村雄基を目の前にしながら「イソップ」で反応してしまった。純子ではないけどこれは泣けた。ついつい熱くなって脱線してしまうところだった。

 それにしても「令和Z世代VS昭和おやじ世代」のクイズ番組、うーん面白くない、くそみたいに面白くない。これはクドカンが風刺を利かせて面白くない演出をやっているのはわかるが、最近見かけるこの手の番組も同じように面白くない。いったいこの手のクイズ番組のつまらなさはどこから来るのか。純子が言うように「親父をバカにするんじゃねえ」という解釈で正しいのだろうか?

 オレが小学生の時には「クイズ年の差なんて」という似たような番組があったのだがもっと面白かったぞ。「クイズ年の差なんて」の基本的ルールは「アダルトチーム」と「ヤングチーム」に分かれて各チームの時代に合わせたクイズを出し合う。アダルトチームは高島忠雄や朝丘雪路がなどがおり、ヤングチームは森口博子や坂上忍が中心だ。小学生の私にはアダルトチームの問題は全くわからんが、一緒に見ていた親父はヤングチームのクイズは全く答えられずにくだらんとか言って負け惜しみを言うのがいつもの流れだ。
 彼らは勝った負けたではしゃぐことはあっても、お互いの文化をバカにするようなことはなかった。アダルトチームがヤングチームの問題を堪えられなくても、森口博子が彼らをバカにすることは決してなかったし、アダルトチームの前時代的な文化をバカにすることはなかった。坂上忍も今ではいろいろと好きなことを言ってくれているようだが、当時じゃそんなこと全然なかったし別に嫌いなキャラではなかったぞ。
 「クイズ年の差なんて」のアダルトチームの問題は昭和40年代で私の生まれる前の話だが、わからないながらも普通に楽しく見てたぞ。

 私はヤングチームよりさらに若い立場で見ていたけど、気が付けば私も「アダルトチーム」になっている。本編のクイズ番組やいまのバラエティーに不快になるのはなぜだろう?

昔話をしてはいけませんか?

 もう私も若くはないことをいい加減認めなくてはいけない。「インスタグラム」も「乃木坂46」もかろうじてわかるけど、Z世代の文化や考え方も徐々についていけなくなりつつある。松村雄基の「どれも同じ顔に見える」は中々のパワーワードだ。この文脈は文化についていけなくなっているのを自虐的に笑っているが、乃木坂サイドからすればこれは聞き捨てならないはずだ。
 なにより、Z世代の「知らねーし、生まれてねーし」の態度は不快極まりない。その感じがある意味ではリアルに時代を表しており、これがテレビがつまらなくなったと思われるところかもしれない。ボンタン狩りに全く共感できないのはわかる。昭和61年に小学生の私も、ビーバップハイスクールやスケバン刑事の時代の高校って修羅の国としか思えなかった。喧嘩のできない私みたいなやつは真っ先にカツアゲのターゲットになるだろう。

 昔話をしてはいけないのか?
 これは思い当たることが多すぎる。知らないうちに今の文化についていくことが難しくなり、口を開けば昔話ばかりをしてしまっている。今書いている文章だって、ドラマそのものよりもちりばめられた昭和の話題の方が熱くなってしまっている。今になって大映ドラマを懐かしく見るようになって、目いっぱいしゃべりたい。令和のアニメや映画よりも昭和や平成初期のリバイバルの方が目頭が熱くなるぐらいだ。

 あの例のミュージカルも「17歳」のころをしきりに話したくなるという内容だ。令和Z世代も「現代」の世代だが、やがて昔話となるのは真実だろう。そして純子は17歳まだ何者でもなく、昭和の時代を「今の時代」として懸命に生きていくのだろう。そして、女子大生ブームにのってたくましく生きていく。しかし、昔話をできない運命を知らずに背負っている。

1978年生まれの私にとっての17歳はどんな年だったのか?

 奇しくも1995年が私が17歳であり問題の阪神淡路大震災のある年だ。それをタイムパラドックスで回避しても、東京に戻れば例の地下鉄に乗ってしまう運命に逆らえないだろう。なるほど上手いこと設定してある。

 そう1月に阪神大震災があったかと思えば、3月には地下鉄サリン事件と立て続けに起こり、テレビ番組はしばらくこればっかりだった。90年代前半にバブルが弾けたと言われていたが、まだまだ余韻で浮かれていた。マハラジャで黒服をやってから神戸で背広を仕立てるというのは、時代にあった堅実な人生でもあるのだ。1995年は阪神大震災と地下鉄サリンでバブルがホントに弾けて、いよいよ不況と呼ばれるようになる。もう少しすると平成不況も本格化し就職活動が苦戦する時代となり、そこから私たちは「平成ロスジェネ世代」と分類される。

 1995年って二つの大事件からかなりヤバい時代と思われるが、悪いことばかりではなくこの年をきっかけに時代が変わったとも言われている。

 この年、近鉄バファローズの野茂英雄が自由契約を経て、大リーグのロサンゼルスドジャーズに入団し新人王となった。大リーグは遠い世界だと思っていたが、野茂選手のおかげで一気に身近になり多くの選手が海を渡り活躍し、大リーグも身近なものとなった。今じゃ大リーグで本塁打王になった年に10勝した意味のわからない日本人が大リーグにいるぐらいだ。いや、あれば日本人じゃない、日本にいたことがある地球外生命体だ。

 サッカーだって昭和の時代ではマイナースポーツだが、Jリーグを通じてメジャースポーツとなった。ドーハの悲劇でワールドカップに出場こそできなかったものの一気に世界との距離が縮まった。スポーツの世界では昭和の時代とは全く違う景色を見せてくれた。

 1995年はプレステーションとセガサターンが激しい火花を散らしており、次世代ゲーム機戦争とよばれていた。ほんの一年前にはスーパーファミコンの1強だった。みんながマリオカートやストリートファイター2に熱狂した。ファイナルファンタジー6がドラクエを圧倒しており、その美しさは芸術の域に達していた。そんな無敵のスーパーファミコンをプレステとサターンがオワコン化させてしまう。セガサターンを買ってバーチャファイターに夢中になっていた私は時代の最先端を走っていると信じて疑わなかった。2年後のファイナルファンタジー7がプレステに行くことで、次世代ハード戦争に決着をつけた。FF7の発表はポツダム宣言のように戦争の終わりをつげた。

 なんといっても1995年11月23日、Windows95の登場がその後の世界を一気に変えた。といってもそれは後付けであり、当時17歳の私にはWindows95の熱狂の意味なんて全然分からなかった。インターネットが世界を変えるなんて全く思えずパソコンを触ることもなかった。私の興味はプレステとサターンのどちらが勝つのかだけだった。それが、今じゃなくてはならないものに変貌した。

 確かに17歳を振り返るとなかなかにインパクトのある時代だった。95年が特別過ぎる年代かもしれないが、高校時代の前後の年もそれなりに面白く時代の最先端を進んでいる気がした。教科書よりもHotDogPressで学んだことがはるかに多く感じていた。思い返せばすべての文化を吸収してやろうという気持ちになっていたかもしれない。

 一方で時代についていけなくなる感覚は2000年代を超えて社会人になったころからかもしれない。学生という狭い地域で同じような年齢と一緒にいたときの時代が一番勢いがあり、社会人となっていろんな人と接するようになってからが時代についていけなくなるような感覚を持ち始めたのも確かだ。

 17歳を境に昔話をしたくなるのは何となくわかるのかもしれない。

 そんな昔話をしても、プレステはともかくセガサターンなんてオワコンといってもよいだろう。ましてはWindows95にダイヤルアップなんてオワコンもいいところだ。

 阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件も30年前の出来事になってしまっている。今生まれた赤ちゃんにとっては遠い昔のはなしだ。

 私が生まれた昭和53年の30年前は昭和23年である。昭和23年って戦争が終わったばかりだぞ。恐ろしすぎる。戦争は遠い昔の話だと思っていた。あさま山荘事件も生まれる前の話でファンタジーとしか思えなかった。Z世代にとっては1995年はファンタジーでしかないのか。

 令和Z世代の態度が不快に思えたのは何だったのか。昔話をしたがるのがオワコンと思われているのがいったい何なのか?

 歴史から学び互いにリスペクトすることが、今の時代に欠けていることなのかもしれない



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