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不適切にもほどがある!第5話感想 既読スルーしちゃだめですか?

 不適切にもほどがある!まだ4話が終わったところだというのにあまりにも情報量の多いドラマだ。タイムリープものだけあって4話にして巷の考察合戦もにぎわってきました。私がタイムリープ物の小説やマンガを見たりするとすぐ頭がこんがらがってしまうのが、いろいろな考察を見たり聞いたりしているうちにだんだんと見えてきました。

 ここまでで、ドラマを見て明らかになったところを整理したいと思います。あくまでも私の貧困な頭でもわかる部分だけなので、考察サイトや動画で語られていることはここでは控えておきます。

・秋津睦美(ムッチ先輩)と令和の秋津君(秋津真彦)は親子
・秋津君のお母さんは小川純子(阿部サダヲの娘)ではない
・小川市郎(阿部サダヲ)と犬島渚(仲里依紗)がキスしようとすると、ビリビリが発生する 
(ビリビリというのはタイムパラドックスである)
・犬島渚の父親は犬島ゆずる(古田新太)
・昭和の時代の井上がキヨシにキスをしようとしたら、やっぱりビリビリが起きる。そういうことになるのをBLとよばれる
・井上と向坂サカエ(吉田羊)の息子は潔である。ただし、井上とサカエは後に離婚している。昭和の中学生井上と令和からタイムスリップで昭和にやってきたキヨシが深い中になるとビリビリが起きる。

 ここまでが4話で確実に明らかになっているところですね。これらの事実といろいろな状況から推察するに各所で考察合戦が繰り広げているようです。私が下手に考察するとおかしなことになるので、楽しみながら静かに見守ります。それにしてもタイムリープ作品は面白い。油断していると、これまでノーマークだったところが、しっかり伏線が張られていることがわかってきます。

それにしてもこのドラマは情報量の多すぎるドラマだ

既読スルーしちゃだめですか?

 昭和の阿部サダヲも令和に行ってスマホを手に入れて、仲里依紗とライン交換をした瞬間、ぎこちなくもすっかりスマホ中毒になってしまいました。令和でテレビ局のカウンセラーをしながら番組制作のグループラインに登録してからも、いろいろとやらかしております。

 やっぱりおじさんにLINEを使わせると空気の読めない使い方をしてしまうのだろうか?

 私もプライベートでグループラインが作られていますが、そのグループに一人のおじいちゃんが加入しております。やはりというかなんというか、いつでもくだらんことばかり投稿するので、みんな既読スルーされております。いつしかおじいちゃんが独演会を行うようになり、他の人は何も投稿しなくなってしまいました。飲み会やら旅行の誘いなどの業務連絡をしているうちに、やっぱりおじいちゃんが空気の読めない発言をしてしまいます。
 そうなると皮肉なもので、おじいちゃんを除いた別のグループLINEが立ち上がってしまいました。これはグループチャットあるあるというべきか、さらに闇が深いことになっているのか……
 阿部サダヲのやっていることを笑ってられなくなりました。

 阿部サダヲがLINEで暴走しかけているとき、令和の若者たちがやはり例の歌で説得に参りました。

 「SNSで本気になるものではありません……」

 これはわかったようなわからんような、何となくスッキリしないですね

 わたしもスマホもSNSも使いこなしているつもりだけど、コミュニケーションツールにはいつも悩まされており、本当の意味では誰も使いこなせていないのではないかと思っています。人とのコミュニケーションは昔から大きな悩みであり、令和になっても解決できていないと思います。

 令和の時代に入ってすぐコロナという厄災に巻き込まれ、リモートワークなど新しい働き方を強制的にアップデートが求められました。コミュニケーションツールも電話やメールの他にLINEやグーグルチャットで仕事することも一般的になってきました。中にはSlackやTeamsみたいなグループチャットも使うところ中にはあるでしょう。
 仕事では、電話やメール、グループチャットが混在しているが、プライベートだったら、LINEかSNSが大半を占めるでしょう。スマホが普及しSNSも活況であれば、電話番号もメルアドも知らなくたってつながります。

 しかし、スマホやLINEでのコミュニケーションは、ほんの10年前からの文化なのですよね。

21世紀初頭のコミュニケーション

 コミュニケーションツールにおける大きな変革は、インターネットと携帯電話の普及ですね。1995年にWindows95が登場しインターネットが産声をあげ、2000年代初頭にはインターネットが当たり前となりました。(ホントの意味でインターネットが産声を上げたのは1960年ぐらいから軍事用ネットワークというのはあったみたいですが)、時を同じくして21世紀には携帯電話が普及しておりました。携帯電話は昭和60年代でも「ショルダーフォン」というものがあり、ポケベル、PHS、携帯電話と段階を踏んで徐々に普及しました。iPhoneが登場したころには日本の携帯電話はガラケーと呼ばれて世界からバカにされておりますが、iモードが登場は世界の最先端の技術であり、そこから「メール」というものが日本で普及したのです。

 私が携帯電話を持つようになったのは、1998年に大学生になった時ですが、携帯電話を全くと言っていいほど使いこなせていなかったのです。

 1998年に携帯電話を持つ頃には手帳をもって友人に電話番号を聞きながら、手帳に書き込むことをステータスとしておりました。電話番号をぎっしりと書き込まれた手帳は個人情報の塊なのです。当時もコミュニケーションに難のある私にとって電話番号を集めるのは至難の業です。男から電話番号を教えてもらうことはかろうじてできても、もちろん手に入れたいのは女性の電話番号です。当時のゆがんだ価値観では男の価値は関係した人数だったが、それが0だったりすると自己肯定感はダダ下がりなわけです。同じように手に入れた電話番号に比例してステータスが向上する仕組みであれば、私はカーストの最底辺だったわけです。

 90年代の終わりの大学時代は携帯は持っていても電話をかけることはめったにありません。そのくせ携帯電話の性能は年を重ねるごとに進化します。着メロや写メールにiモードなど最先端の技術を携帯に取り入れています。大学時代は電話も全然かからないくせに、機種変更を繰り返して着メロ職人になっておりました。

 大学を卒業し社会人になった時、私にとっての携帯電話は着メロツールから恐怖のツールに変貌しました。当時のクソ上司に私の連絡先を教えたのが運の尽き、ファミレスで働いていた私のシフト外でも呼び出しがかかっては説教されるし、休みだというのに平然と呼び出すしで、恐怖のツールでしかありません。当時はメールもまだまだ貧弱だったので、上司にとってはコミュニケーション手段が電話しかありません。もちろん「既読スルー」なんて言葉はなく、着信無視をしたら後から詰められます。それどころか、「上司が電話したら3コール以内に出ろ」とか無茶苦茶行ってきます。

 時が過ぎて、2003年にはファミレスをやめて別の会社に転職しました。そのころにはインターネットもメールも当たり前になりました。今にして思えばLINEの「既読」やスタンプって便利ですね。メールにはそんなものはありません、メーリングリストのような一斉メールでも「承知しました」とでも返事しないと上司から「理解したのかわからない」と言われ、返事のしない奴だと怒られております。
 そうなると、一斉メールにたいしていろんな人が「承知しました」を連発するようになります。「承知しました」の返信だけは早いけど、なんも実行しない奴が大嫌いでした。

 メールによる日程調整もめんどくさいです。

 たとえば10人の関係者に「今度の打ち合わせは2月25日でよろしいでしょうか?」とでもメールをすると、10人から「OKです」と回答がきます。そうすると一人一人に承知しましたメールを出さないと文句つける老害が現れるのです。

 LINEで阿部サダヲがやり玉にあげられましたが、そんなのは平成時代のメールのころから、いろいろとめんどくさいことになっていました。LINEによってもっと気軽でスピーディーなコミュニケーションツールとして登場したのだが、仕事でLINEというのはまだまだ邪道と言われてます。

 メールもLINEも万人にとって最適なコミュニケーションの方法は見つかってないのではないでしょうか?
 つい先日マナー本を読む機会があったけど、ツッコミどころ満載で、最適解が見つかってないのが本当のところではないでしょうか?


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