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大人になった元半端な不良たちが率先してやる同窓会に行くか、行かないか ③終

(前回の続き)

今エリカちゃんに子供がいたとして、その子が誰かをいじめている事が分かった時、エリカちゃんは一体何を言うのだろう。

もしも、
「お友達を傷付けてはいけない」とか、
「相手の気持ちになってごらん」とか言うんだとしたら、
私は即座その子に近づいて、その子の目線まで姿勢を落とし、膝をついて、ママがあなたと同じくらいの時ね、私に何をしたのか、丁寧にわかりやすく話してあげよう、と。

エリカちゃんが不幸になればいいとか、仕返ししたいとかいう気持ちになったことは一度もない。そこはマジでどうでもいい。
ただ、
誰かに向かってそれらしい正しさを諭している姿を想像すると胸糞悪い。
特にそれが身近で大事な人、子供に対してやっていたとしたら重ねてかなり胸糞悪い。反吐が出る。

「そんな子はいじめておけばいいのよ」だったらO.K 
そうでなきゃ、とすら思う。
逆にエリカちゃんの子がいじめられたら、という想像は働かない。「いじめてはいけないのよ」と諭しているのだけはとにかく胸糞悪い。子供に全部チクりたい。
実際そんな機会は絶対に訪れないのだが、そう思うのだ。


 また、自分の子供がいじめられた時の対応はなんとなく想定できるのだが、誰かをいじめていたらどう言えば良いのか、というのは正直難しい。
私も人をバカにすることはある。誰かに「キモい」とか言って傷付けたこともあると思う。しかし私も夫も本来的に〝いじめる快楽〟が備わっていない。
まず「人を痛めつける」というのはかなり労力がいることだ。 
大変じゃん。

 それ故、普段から子供に大してそこに必要以上に気を掛ける部分がある。この子はいじめることの楽しさを知っている気がする
 しかしそれは異常なものではなく、人をチョンチョンすると笑ったり逃げたりやめてよ〜と言ったり、色んな反応がかえってきて面白いという、人への興味から由来する好奇心なのでまだ何とも言えない。ただ、真顔で私が「やめてよ」と言っても引き続きやってくることがあるので、確実にポテンシャルは兼ね備えている。
 その性質を、完全に親が矯正できるものではない。親が皆、自分の子には優しく育ってほしいと願ったとて、ジャイアンもスネ夫ものび太もこの世には存在するのだ。

人間として一番最低な行為とは何か?
ということについて、
絶対に超えてはいけないラインについて、
たまに一緒に話す、というくらいしか今のところ思いつかないでいる。

負わせた者は覚えていない。
負わされた者は一生覚えている。
私もまた誰かの負の記憶の一部であり、私はそのことを一生思い出すことはないだろう。

 同窓会に行くかは、まだ決めていない。

 会ったら楽しいんだろうなーという友達はいる。私の一番古い幼馴染も、元問題児たちに説得されてその役員の1人になっている。 率先して同窓会をやろうとしている元問題児たちがどんな感じで当日振る舞うのかも気にはなる。
それらを全てひっくるめて楽しめるのなら、私もそこに行く価値があるのかもしれないが、「嫌なノリ」に混じる気持悪さは拭えない。
ただ実際同窓会に行ったとして、その子たちに話しかけられたらと想像すると、変な笑顔で手短に終わりそうな返しをしている自分の姿しか思い浮かばない。
それが二十数年経っても変わらぬリアル。 

あと、この文章がその子たちに漏れたら必然的に一生顔を合わせないような道を選択するしかないのだが、その可能性もまあまあある。

まあいいか。

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