no.12 義母、要介護4→5へ
介護認定の結果、4月1日から義母の要介護度は「5」になった。
5年の歳月をかけて「4」から「5」に進んだことになる。
そのうちの4年間は特養にいたのだが、その間、施設からは月に一度、利用料の請求書といっしょに、義母の近況を知らせるお便りが届いていた。
お便りはA4サイズに1枚。上半分に義母の写真、その多くは季節の行事の際に撮影されたスナップである。義母はこのような行事を楽しめないたちで、無表情で床をじっと見つめていることが多い。
そして、写真の下には義母の近況。
書いてくださっているのは、担当の介護福祉士さんで、丁寧な文字で、「最近の◯◯子様(義母のこと)は…」で始まり、「ご家族の皆さまも…」と家族を気遣う言葉で締めくくられている。
今読み返してみると、昨年の1月を境に、義母の衰えが加速していたことがわかる。そうとわかる変化を抜き出してみると、
<令和4年1月>
食事形態がミキサー食からソフト食に変更になった。
<5月>
食事は自力摂取を促しているが、なかなか進まない場合は介助をしている。
<8月>
夜間に独り言、拍手をしていることがある。
<9月>
昼夜逆転あり。夜間に独り言。
食事中に眠たい様子が見られ、介助することが多くなっている。
<11月>
日中、傾眠があり、その都度声をかけ、覚醒を促している。
これだけ書かれているのに、そのひとつひとつが、何を意味するのか、当時の私にはよくわからなかった。
「ふーん、そうなんだ」程度にしか、思わなかったのである。
特養に入所する頃、義母はすでに立ち上がることができなくなっていた。
手をついて、お尻をつけまま移動していた。オムツをしていた。耳が遠くなっていて、テレビは大音量になっていた。視力はほとんどなかった。
認知症もあった。それでも、身近な人の判別はできていた。
義母は今、傾眠が進み、一日中ほぼ眠っている状態だ。
義母ができることは何だろう。
食べるために口を動かすこと、首を左右に動かすこと…
名前を呼ばれたとき、返事をすること。
「ありがとうございます」ということ。
今は家族の判別さえ、できなくなっている。
自宅に戻っているのに、自分の世話をしてくれているのは介護福祉士さんと思っているようだ。
嫁の私のこともわからない。先日は「先生」と言われたし。(どうもw)
パジャマが開けていたので、直そうとしたら、
「先生の手、冷たい!」と言われたのだった。
では、何もわからないかというと、そうとも言えないのだ。
夫が言うには、義姉がほんの短い時間、立ち寄っただけでも、義母にはわかるのだそう。(やはり、実の娘だものね)
そのあとは、気持ちが上がって、ニコニコ顔になって、食事が進むというのだ。ふーん。
今日は、復活の在宅介護135日目。
義母もよく頑張っている。
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