ヘインズポイント

もう30年以上前の話、

競馬にハマっていた僕は、大学の年度末、3月に牧場でバイトすることを思い付く。
凸で手紙を出し、なんと快諾された。
場所は何と社台ファーム。今のように三つに分裂する前、吉田善哉さんがまだいらっしゃった頃。

3月といえば牧場は出産シーズン。ズブの素人の僕など、本来なら足手纏いで居ても迷惑だったのだろうが、配属先のスタッフの皆さんは親切に色々教えてくれた。
寝藁の掃除から、出産を控える母馬の引き運動、放牧地の手入れなど。出産や種牡馬に関する業務は流石に携わることは無かったが、契約期間の3週間を終えようという頃には一通りはやらせて貰えていた。

時はサンデーサイレンスが初めて供用された年。一回の種付けで数百万か動き、セリになれば億の声がかかる。出産や種付けの業務に素人は関われないのは当たり前と思っていた。

最終日の前夜、厩舎長さんに「明日朝、出産にきてみるか」と誘われた。馬の出産は夜中から未明が多い。出産シーズンになるとスタッフは交代で夜中から小屋に入り、出産が迫った母馬の番をする。
最終日故の気遣いだろう。それに応える気持ちもあって夜中過ぎに小屋へ向かった。

好事魔多し。空振り。スタッフさんはバツが悪そうに「こういう事もあるんだわ」と言ってくれた。その配慮だけで嬉しかった。
その後は朝のルーティンをこなし、小屋で皆でお茶をしてくつろいでいた。僕は昼過ぎの飛行機の予定だったので、部屋に戻って荷物を纏めてとか、ボーっと考えながら放牧された馬を見ていた。

「あの、」と僕は呟いた。
どうした、と訊かれる。
「あの馬、さっきからピタリと止まってるんですけど」
通常、放牧された母馬は激しくはないものの絶えず動いている。たとえ止まってもそれは一時的であり、長い間静止することは殆どないのだ。
ある例外を除けば。
『ハゴロモ、まだのはずだけどなぁ』

『パンダ君、一緒に見に行くか』
緊張感を孕んだ声に、気押されながらも僕は頷いた。これから何が起こるか、頭の中で整理しながら。
僕らが到着しても母馬は佇んで、いや、立ち止まっていた。足元の雪は黄色ばんでいる。破水だ。

『じゃあ、小屋まで引いて行こう』
この三週間で一番緊張したと思う。僕らに引かれて辿々しく歩く母馬のお腹には、父トニービンの仔馬が外に出たいと待っているのだ。小屋に戻ると、ハゴロモは藁の上に横たわった。すぐに出産の準備が始まる。邪魔かな、と思って遠巻きに見ていたら、
『中に入って。君が見つけたんだ。手伝って』
手伝うって、何をと思う間も無く、大きいバスタオルが手渡される。
『そろそろ出るから、脚引っ張って』
ハゴロモから出てきた2本の脚。最初はおそるおそる掴んだが、その脚の生命力を感じてしっかりと握り直した。呼吸を合わせて引き出す。羊水でずぶ濡れの仔馬。すぐに鼻を拭く。気道を確保して、最初の呼吸をさせてあげるのだ。力強く鳴く声。新たな生命の誕生に立ち会ったのはその時が初めてだった。
その感動を味わう余韻も無く、タオルで身体を拭き、しばし見守る。自分の力で、その四肢で立ち上がり、母の乳房に辿り着くまでが仔馬の試練だ。すべてでは無いにせよ、立ち上がる際に脚の異常の有無が分かる。

まるで僕のスケジュールを把握するかのように、仔馬は立ち上がり、母の初乳を口に含んだ。

『この時間に産まれるのは珍しいんだよ。でも間に合ってよかった。』
勿論、完全に受け入れて貰えたわけではないだろう。それでも、この出産のお陰で牧場で働いたと言えるようになったと思った。

父トニービン、母サクラハゴロモ。母の名に因んでスプリングコートと名付けられたその馬は、奇しくもサンデーサイレンスを付けられてフローリッドコートを産む。そのフローリッドコートからフロールデセレッソが産まれ、モーリスとの間にヘインズポイントをもうけた。

5代前までは血統書に名前が載ります。スプリングコート、その記憶の為に指名します。

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