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123 春分の日に

この春は、いつもより際立って
これまで と これから が
くっきりしそうな気配があって、

こりゃあやるしかねえな、
と呟きながら腕まくりをする日々。

すごく愛着があるけど、
もう絶対に自分に必要ではないものを
手放そうと、
クローゼットをゴソゴソしていました。

そして、いくつかの候補をピックアップ。

仕事をしていた時のビジネスパンツと
もう10年触ってないヨガマットと
合う服がなくなったブーツを
手放そうと決意。

もう何ヶ月も前から手放そうと思ってたから
心の整理はついていると思ってたんだけど、

ブーツを処分しようとして、
心がグラリと揺さぶられました。

小動物を殺すような
そういう気分になってしまって。

でもそのブーツはこの先履く機会はほぼ0。
その上、
レインブーツとともに仕舞われたせいなのか、
傷みも激しく、
リペアをしようとしたらおそらく結構な値段。
そんな状態だから誰かに譲ることもできないし。

ビニール袋にブーツを入れて口を閉めるときに、
「あたしを棄てるの?」とブーツに見つめられた気がして。

ゴミ収集車が来て回収する音を聞きながら
泣きながら頭を抱えていました。


あのブーツは
私の人生が1番困難だった時に、

ある種の現実逃避のために、
またはお守りのように、
買い求めたものだったの。

ブーツを履くと
草臥れてボロ雑巾みたいになっていた私が
価値のあるものに思えてきて
少し生きる気力が湧く、
そういう力をくれた靴だったんでした。

あの靴を手放そうとした時、
私は多分、
ズタボロだった自分の過去と
今の自分を
スッキリと切り分けようとしたんだと思うのです。

過去の延長の私ではなく、
今にフォーカスして生きることを
選択したんだと。


過去の私が
「私を棄てるの?」と
見つめている気がして、
「辛い人生から足を洗ってしまうの?」
「幸せに生きる資格なんてあるの?」
みたいな問いだったのかな?

今だに私はあの感情に
名前をつけることができないままでいます。

靴を道具として、
相棒として、
捉えているからなのか、

過去との訣別しようとしたからなのか、

とにかく私は
びっくりするほど
自分と一体化した何かを
引き剥がして
それによって心がズキズキしているのかもしれない。

とにかく印象的で、
いまだに正解のわからない春分の出来事だったんです。

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